第十四話 もう一つの入口
ソルネアに戻る頃には、空が赤く染まっていた。
セルファの背中で、エマはほとんど眠っている。
途中で何度か声をかけたけれど、返事はだんだん小さくなり、町の門を抜ける時には顔を上げるだけだった。
宿に着くと、事情を聞いた宿の人が空いている部屋へ案内してくれた。
エマをベッドへ寝かせ、傷の手当てを頼んだ。
手首や足首には擦り傷があり、腕にも痣が残っていた。
足首に残っていた金具も外してもらい、水を飲ませると、彼女はすぐに眠ってしまった。
ベッドの横へ椅子を寄せ、頬にかかっていた黒い髪をそっと脇へよける。
さっきまでずっと身体に力が入っていたのに、今は少しだけ表情が緩んでいた。
「……寝たね」
「ああ」
壁際に立つセルファへ、小声で話しかける。
「あの道、どうするの?」
「もう一度調べる」
「私も行く」
「まずは、こいつの話を聞いてからだ」
布団から覗く手首には、縄の跡が残っている。
聞きたいことはあったけれど、今は起こしたくなかった。
「じゃあ、明日ね」
椅子から立ち上がり、静かに部屋を出る。
セルファは先にギルドへ報告してくると言い、階段を下りていった。
私は自分の部屋へ戻り、杖を壁に立てかけた。
椅子へ座った途端、肩から力が抜ける。右手を開いても、もう火花は出なかった。
今日は、ちゃんと役に立てた。
そう思ってベッドへ目を向けると、急に眠くなってきた。
◇
翌朝、エマはベッドの上でスープを飲んでいた。
借りた服に着替え、長い黒髪も整えられている。
背中へ流れる髪は艶があり、前髪の下から覗く瞳は淡い灰紫色だった。
昨日は顔色ばかり気にしていたけれど、こうして見ると、目元の柔らかな子だ。私より少し年上だろうか。
「おはよ。具合どう?」
「おはようございます。まだ少し痛みますけど、大丈夫です」
「無理してない?」
「してません」
そう言って笑ったあと、エマは器を置いた。
「昨日は、本当にありがとうございました」
「うん。助けられてよかった」
改めて頭を下げられると、ちょっと照れる。
隣を見ると、セルファは腕を組んだままだった。
「セルファも、なんか言えば?」
「何を」
「そこは自分で考えてよ」
「なら振るな」
エマが小さく笑った。
昨日より声がしっかりしている。それに安心して、私は椅子を引いた。
「それで、エマはなんであそこにいたの?」
彼女の指が、器の縁に触れた。
「町の外で、植物を調べていたんです」
「植物?」
「はい。この辺りに生えているものや、地形を。昨日も、その続きをしていて……」
「そういう仕事?」
「研究です。場所によって、見つかる植物や素材が違うので。それを調べながら旅をしています」
旅をしているのは、私たちと同じらしい。
知らない町を見たい私と、その町の外に生えているものを調べたいエマ。
行く場所は同じでも、見ているものは違うんだな。
「薬草とかも分かる?」
「はい。薬に使うものは、よく調べています」
「じゃあ今度、見分け方教えて。私、前に薬草と間違えて毒ある花摘んだんだよね」
「どんな花でした?」
「白くて、花びらが六枚」
「ああ、それなら――」
顔を上げたエマが、途中で口を止めた。
「……すみません。今は、昨日の話でしたね」
「いや、私から聞いたし」
さっきまで器を見ていたのに、花の話になった途端、こっちを向いた。本当に好きなんだろうな。
「昨日も、気になる植物を見つけて。もう少しだけ調べようと思っていたんです」
「一人で?」
「はい」
「魔物が出たら、どうするつもりだったの?」
「見つかる前に戻ろうと……。戦うのは、できないので」
「それ、危なくない?」
「……危ないですね」
エマは少し俯いた。
「今は、とても反省しています」
妙に素直に答えられて、それ以上は言えなくなった。
セルファが腕をほどく。
「捕まった時のことは覚えてるか?」
「植物を見ていたら、後ろに影が落ちたんです。振り返った時には、もうすぐそこにいて……逃げようとしたんですけど」
器に添えられた指が、ぎゅっと縮まった。
あの大きさだ。すぐ後ろに立たれていたら、逃げる間もなかっただろう。
「どこから連れていかれた?」
「岩場です。崩れた岩のところに、大きな穴があって。そこから中へ」
「ダンジョンの入口じゃなくて?」
「昨日、町へ戻る途中で見た入口とは、違いました」
セルファと顔を見合わせる。
私たちは、ダンジョンの奥からあの場所へ入った。
エマは外にある別の穴から連れてこられたらしい。
「……外まで繋がってるってこと?」
「確かめる必要があるな」
「じゃあ、あのでかいやつも、そっちから?」
「だろうな。ほかにも出入りしているかもしれん」
「一匹で終わりがよかったんだけど」
「俺もだ」
昨日はエマを助け、そのまま引き返した。
部屋より奥に何があったのか、まだ見ていない。
セルファが、穴の場所を尋ねる。
「岩壁の近くに、背の低い木がまとまって生えていました。その横を抜けると、崩れたところが見えます」
エマは指で、道の曲がり方まで示してくれた。
「めっちゃ覚えてるね」
「地形も調べていましたから」
そう言って、布団をめくる。
「私が案内します」
「え、待って」
足を下ろしかけた彼女を止めた。
「もう歩けますよ」
「歩けるのと、魔物に会って大丈夫なのは別でしょ」
エマは自分の腕に巻かれた包帯を見た。
セルファも頷く。
「場所は大体分かった。俺たちで探す。お前は休んでろ」
少し迷ったあと、エマは足を布団へ戻した。
「……分かりました」
「あと、私たちがいない間に調べ物しに行かないでね」
なぜか、返事までに間があった。
「……行きません」
「今の間、ちょっと怪しいんだけど」
エマは器を持ち直し、スープへ目を落とした。
否定してほしかったな。
◇
宿を出たあと、まずギルドへ向かった。
昨日の魔物については、セルファが昨夜のうちに報告している。
今日はエマから聞いた岩場の場所と、外にも入口があるかもしれないことを伝えた。
受付の人が紙の上へ、目印になる木と岩壁を書き込む。
「こちらでも知らせておきます。場所を確認できたら、また報告をお願いします」
「ああ」
ギルドを出ると、朝の通りには店を開ける人や荷物を運ぶ人が行き交っていた。
昨日も、きっとこんな朝だった。
その間に町の外でエマが捕まっていたと思うと、行き交う人の向こうにある門が気になった。
杖を握り直し、セルファの隣を歩く。
「今日もあのでかいやつがいたら?」
「まず数を見る」
「すぐ倒す、じゃないんだ」
「一匹ならともかく、何匹いるか分からんからな」
昨日の剣を思い出した。
あれが二本、三本と振られるところに自分がいるのは、あんまり想像したくない。
「私、どこ狙えばいい?」
「脚だ。昨日みたいに動きを止められれば、助かる」
「顔とかの方が効きそうだけど」
「当てられるか?」
「……動かなければ」
「なら脚を狙え」
木板は動かなかったけど、魔物はこっちへ来る。
しかも、当たるまで待ってくれない。
「昨日の、覚えてるだろ」
「剣振ったあと?」
「ああ。大きく振れば、戻すまでに間がある。そこを見ろ」
町を出て林へ入ると、枝の間から朝日が差し込んでいた。
歩きながら、昨日の戦いを思い返す。
あの腕と剣がどこを通り、その時セルファがどちらへ動いたのか。
怖くて見ていたつもりなのに、順番に考えると曖昧なところがあった。
「……もうちょっと、ちゃんと見とけばよかった」
「次に見ろ」
「できれば安全なとこからね」
「そのために俺が前にいる」
隣の顔を見るといつもの、特に何でもないことを言った顔だった。
「今日も援護するから」
「ああ」
返事を聞いて、前へ目を戻した。
◇
ダンジョンへ向かう道から外れると、足元が悪くなった。
土から岩が突き出し、木の根が絡んでいる。
枝を避けながら歩いていくと、やがて木々の向こうに岩壁が見えた。
その手前に、背の低い木がまとまって生えている。
「ここかな」
「ああ」
横を抜けた先で、足が止まった。
岩壁の一部が崩れ、大きな穴が開いている。
高さは三メートルくらいあり、横幅も広い。昨日の魔物でも、身体をかがめずに通れそうだった。
「……でか」
セルファが手を上げ、私を止めた。穴の手前へしゃがみ、湿った土を見ている。
「足跡?」
「足跡だな」
横から覗くと、大きな跡がいくつも残っていた。
昨日、ダンジョンの奥で見たものによく似ている。
ただ、その横には少し小さい跡もあった。踏み重ねられた土の上では、どれがどこへ続いているのか分かりにくい。
「これ、一匹じゃないよね」
「大きさが違う」
「だよね。確認しただけ」
セルファは穴の周りも見てから、立ち上がった。
「外へ出た跡もある」
「……町の方に?」
「途中で曲がってる。どこへ行ったかまでは、ここでは分からん」
後ろを振り返る。
通ってきた木々の間に魔物の姿はなかったけれど、見えていない場所の方がずっと多かった。
「中を少し確かめる。離れるなよ」
「うん」
杖を持ち直し、セルファの後ろについた。
洞穴には、ダンジョンにあったような松明もない。
彼が用意した明かりに照らされ、岩肌の凹凸が浮かび上がった。
二人並んでも余裕があるほど道は広く、天井も高い。奥から流れてくる空気は冷たく湿っていて、土の匂いに獣のような臭いが混じっていた。
入口から数歩進んだところで、セルファが足を止める。
ずる、と、奥で何かを引きずる音がした。
昨日も聞いた。重たい刃が床を擦る音。
私は口を閉じ、杖の先を少し持ち上げた。
もう一度、音が響く。
今度は右の方からだった。そちらへ目を向けた直後、最初に聞こえた正面の暗がりでも、石を擦る音がした。
……一つじゃない。
セルファの指が、刀の柄にかかった。




