第十二話 足跡の先
町の人にしっかり怒られたせいで、出発は予定より遅くなった。
草地を元に戻せとまでは言われなかった。でも、魔法を使うなら場所と周りを確かめろと、何度も念を押された。
最後にはセルファも、一緒に頭を下げていた。
「いい教訓になったな」
「他人事みたいに言わないでよ。セルファも怒られてたじゃん」
「お前が焼いたんだろ」
「止めなかった方も悪いっしょ」
「次から止める」
「……全部止めるのは嫌だけど」
「勝手なやつだな」
そんな話をしながらソルネアを離れ、森へ入った。
木々の間を抜ける細い道には、武器を持った人の姿があった。腰に剣を下げた人も、大きな槍を背負った人も、同じ方へ歩いている。
その背中を追ううちに木々が途切れ、大きな岩壁が現れた。
岩肌に、ぽっかりと穴が開いている。何人も並んで通れそうな大きさだった。
前には何組かの人が集まり、荷物を確かめたり、仲間と話したりしていた。
「お、着いた」
眼鏡を押し上げ、穴を見上げる。
「これがダンジョン?」
「ああ」
「こんな感じなんだ」
怪しい扉とか、地下へ続く長い階段とかを想像していた。
目の前にあるのは、どう見ても洞窟。
覗き込むと、外の光が届く先から暗くなっていた。奥はよく見えない。
ゲームなら何も考えずに入る場所だけど、本物だと少し違う。
楽しみではある。
でも、普通に暗い。
「中では離れるなよ。すぐに助けに入れないこともある」
「そんな危ないの?」
「普段は、そこまで強い魔物はいない。だが、今回は様子がおかしいから調べに来たんだ」
「あ、そっか」
観光しに来たわけじゃない。
セルファが入口へ目を向ける。
「ほかの奴らもいる。勝手に魔法を撃つなよ」
「分かってる」
「本当か?」
「昨日怒られたばっかりだし」
ちょうど三人組が中へ入っていった。
その背中を見送り、杖を握り直す。
初めてのダンジョン。
「じゃ、行こ」
「ああ」
セルファと並んで、洞窟へ足を踏み入れた。
◇
少し進むだけで、外の光は背中の方へ遠ざかった。
岩壁には、間隔を空けて灯りが置かれている。足元は見えるけれど、通路の先は薄暗い。
湿った空気が頬に触れた。歩くたび、靴の音が奥へ響いていく。
「――赤き炎よ、我が声に応え」
声が聞こえた。
「ん?」
セルファが手を上げ、私を止める。
通路の広くなった先で、さっきの三人組が魔物と戦っていた。
前の二人が剣で動きを抑え、その後ろでは、ローブを着た女性が長い杖を構えている。
「眼前の敵を焼き、その身を焦がす焔となれ――」
杖の先に赤い光が灯った。声に合わせて膨らみ、揺らめく炎になる。
「《フラグナ》!」
前の二人が左右へ退いた。
その間を炎が抜け、魔物を飲み込む。洞窟が赤く照らされ、離れた私の頬にも熱気が届いた。
「おお……」
めっちゃ魔法使いじゃん。
ローブに杖、詠唱。最後に、魔法の名前。
完璧。
自分の杖を見る。
「セルファ」
「何だ」
「あれ、詠唱してたよね」
「ああ」
「私、したことないんだけど」
「必要ないんだろ」
「そういうもの?」
「詠唱で魔法を組み立てる奴もいる。お前は、なくても使えてるだろ」
確かに使えている。
手を向けて、《フルメン》。指を振って、《トリルス》。
ほい。バチッ。ほい。ズバン。
「私の魔法、雑じゃない?」
「使えてるならいい」
「そうなんだけどさ」
一回くらい、ああいうのやってみたい。
杖を少し持ち上げ、声を低くする。
「雷よ、我が声に応え――」
「やめろ」
「早くない?」
「昨日、何を燃やした」
「…………」
黒い草地が頭に浮かんだ。
しかも今は洞窟で、前にはほかの人もいる。
「……行こっか」
「ああ」
杖を下ろした。
◇
三人組が先へ進むのを待ってから、私たちも歩き出した。
「ほかの人が戦ってるところ、初めて見た」
「見すぎて足元を忘れるなよ」
「分かってるって」
剣の二人が退いたところへ、炎が通った。
撃つ前から、どこへ避けるか決めていたんだろう。
自分とセルファが戦う時のことを思い浮かべる。昨日まで、そこまで考えていなかった。
「それと、ほかの奴が戦っている相手へ勝手に手を出すな」
「横から倒しちゃ駄目ってこと?」
「ああ。助けが必要なら別だがな。先に見つけた物も、基本はそいつらの物だ」
「早い者勝ちなんだ」
宝箱とかあるんだろうか。
鉱石や、魔物の素材かもしれない。
「今日は、それを探しに来たんじゃないぞ」
「あ、うん。調査ね」
セルファの隣へ追いつく。
「魔物が増えてるんだっけ?」
「ああ。それに、今までなかった道が見つかったらしい」
「新しい道?」
「その奥を確認してほしいと頼まれた」
「ここのギルドに?」
「そうだ。ソルネアのギルドだ」
入口には、ほかにも何組もいた。
ここで何が起きているか分からないと、あの人たちも困るんだろう。
「で、お金もらえるの?」
「ああ」
「いくら?」
セルファが地図を取り出した。
「いくら?」
「こっちだ」
分かれ道の片方へ進んでいく。
「無視じゃん」
「今は道を見てる」
「あとで教えてね」
返事はなかった。
聞こえてはいるはずだ。あとで、ちゃんと聞こう。
◇
分かれ道をいくつか過ぎると、人の姿がなくなった。
声も武器の音も聞こえない。響くのは、私たちの足音だけだった。
セルファが地図と岩壁を見比べ、細い脇道の前で止まる。
大きな岩の陰に隠れるように、口が開いていた。言われなければ、通り過ぎていたかもしれない。
周りには崩れた石が転がっている。その奥には灯りもなかった。
「暗っ」
セルファが明かりを用意する。照らされた岩の表面が、湿って光った。
「足元に気をつけろ」
「セルファ、これなくても見えるの?」
「お前よりはな」
「エルフだから?」
「多少は」
「便利じゃん」
「その代わり、お前みたいな雷は出ない」
「じゃあ交換する?」
「できるならな」
少し先まで照らされた地面を見ながら進む。
暗くても見えるの、いいな。
でも、雷が出なくなるのは嫌かも。
そんなことを考えていたら、セルファが止まった。
「待て」
「ん?」
危うく背中へぶつかりそうになった。
セルファが見ていたのは、地面だった。湿った土に、大きな跡が残っている。
「……何これ」
足跡なのは分かる。
ただ、でかい。
私の靴がすっぽり入って、まだ余る。人間のものとは思えない形が、一つ、また一つと奥へ続いていた。
「めっちゃ大きくない?」
「ああ」
セルファがしゃがみ、跡の縁へ触れた。
「何の足跡?」
「分からん」
「セルファでも?」
「少なくとも、この辺りでよく見る魔物のものじゃない」
結構、嫌な答えだった。
セルファが立ち上がり、暗い通路へ目を向ける。
「やばいやつ?」
「まだ分からん。離れるなよ」
「うん」
腰の刀へ添えられた手を見る。
さっきまでみたいに、店のご飯や宝箱のことは考えられなかった。
杖を握り直し、少し後ろをついていく。
足跡は、奥まで続いていた。
◇
ガシャン、と音がした。
足を止めると、もう一度、ガァン、と響いた。
金属が、何かにぶつかる音。
セルファも止まり、片手を上げた。
「この先だ」
小さく頷き、壁際を進む。
通路の先には、少し開けた空間があった。セルファが岩の陰へ身を寄せ、私も隣から覗く。
最初に見えたのは、人だった。
「……女の人?」
長い髪を後ろで結んだ、若い女性が倒れていた。
両手は背中で縛られ、足首には太い鎖。服は汚れ、腕や脚には擦り傷が見える。
武器は見当たらなかった。
女性が奥へ顔を向ける。その表情が強張った。
「いや……来ないで……」
震えた声がした。
暗がりから、何かが出てきた。
二メートルはある身体を前へ丸め、長い腕を垂らしている。潰れた鼻に、大きく裂けた口。黄ばんだ牙が覗き、濁った目が女性を見下ろした。
想像していたゴブリンに、少し似ている。
でも、身体つきが全然違った。
肩は広く、腕は太い。くすんだ緑色の皮膚には古い傷があり、胸や腰には鉄板が雑に巻きつけられていた。
右手には、大きな鉄の剣。
剣というより、鉄の塊だ。欠けた刃を引きずるたび、岩の地面から嫌な音がした。
そいつが一歩進み、大きな足を地面へついた。
「……あ」
さっきの足跡。こいつだ。
「セルファ」
「ああ」
「あれ、ゴブリン?」
「似てるが、違う」
低い声だった。
「こんな場所にいる魔物じゃない」
魔物は、こちらに気づいていなかった。
女性を見たまま、鉄剣を手放す。
ガァンッ。
女性の身体がびくりと震えた。
太い手が足首を掴む。鎖が鳴り、その身体が乱暴に引きずられた。
「やめて……!」
逃れようとしても、縛られた手は動かせない。靴の先が地面を擦るだけだった。
魔物が、もう片方の手を伸ばす。
何をするつもりなのかは分からない。
でも、あの人が怯えているのは分かった。
指先で、青白い火花が弾ける。
「助けるよ」
「当然だ」
セルファは、もう刀へ手を掛けていた。
「お前はここから援護しろ」
「うん」
岩陰を出たセルファに、魔物が顔を向ける。
濁った目が、今度は私たちを捉えた。
「まずは脚を狙え。どれだけ効くか分からん」
「待って。セルファに当たらない?」
懐へ入れば、私が狙うところにセルファもいる。
動き回る一人だけを避けて撃てるほど、まだ上手くない。
「俺が横へ抜けたら合図する。それから撃て」
「……分かった」
「あの女の位置も見ておけ。広げすぎるなよ」
「うん」
そこだけは、絶対。
魔物が唸り、女性の足を放した。落とした鉄剣を掴み、持ち上げる。
先端が岩へぶつかり、欠片が飛んだ。
セルファが走ると、鉄剣が横薙ぎに振られた。セルファは身体を低くし、その下へ潜り込む。
速い。
でも、見てる場合じゃない。
杖を左手へ持ち替え、右手を前へ出した。
女性は魔物の後ろで、倒れたままだった。セルファは魔物の脇へ回り、こちらの射線から抜ける。
「今だ!」
狙うのは、女性から離れた方の脚。
昨日、何度も試した。雷を出す場所と、走らせる方向。
広げすぎないように、脚の位置へ短い光の線を思い浮かべる。
指先へ魔力が集まった。
「――《トリルス》!」
青白い雷が、魔物の足元を横切った。




