第九話 旅をしていた頃
「この辺で、今日は野営するか」
セルファが足を止めた。
「はぁー……やっと」
その言葉、ずっと待ってた。
ヴァルグと戦ったあとも、旅は普通に続いた。歩いて、魔物が出れば戦って、また歩く。
何度か《フルメン》を撃つうちに、最初よりは当たるようになった。でも、そのぶん疲れる。背中の鞄も、時間が経つほど重くなっていった。
朝は景色を見る余裕があったのに、今は足元ばかり見ている。杖も途中から、完全にただの荷物だった。
お父さん。
私、異世界でとてつもないハードワークしてます。
セルファは街道を外れ、木々の間を見回してから、平らな場所へ進んだ。私もついていき、ようやく鞄を下ろす。
「っはぁー……」
肩が軽い。最高。
今日一番幸せかもしれない。
そのまま座ろうとすると、セルファがこちらを見た。
「何してる」
「休憩」
「野営の準備をするぞ」
「……今から?」
「今からだ」
空を見上げる。日はもう傾き、草の先が橙色に光っていた。
宿もベッドもない。ご飯だって、勝手には出てこない。
「野営って、全部自分ですんの?」
「ほかに誰がいる」
「セルファ」
「お前もやるんだよ」
ですよね。
ハードワーク、まだ続くらしい。
言われた通り、近くへ落ちた枝を拾いに行く。
小さい頃、家族でキャンプへ行ったことはある。でも、テントもご飯もお父さん任せで、私は遊んでいただけだった。
あれ、こんなに準備してたんだ。
今さらありがたみを知りました。
◇
枝を抱えて戻ると、セルファは寝床にする場所の小石をどけていた。
私が鞄を下ろした辺りも、いつの間にか片づいている。焚き火をする場所には落ち葉がなく、その脇には荷物から出した鍋が置いてあった。
手際がいい。
枝を地面へ置きながら、横顔を見る。
「ねえ」
「何だ」
「あの町で、なんで私に親切にしてくれたの?」
セルファが顔を上げた。
「親切だったか?」
「まあ、それなりに」
言い方は冷たい。今日だって、普通に魔物と戦わされた。
でも、お金も宿もなかった私に町のことを教えて、買い物にも付き合ってくれた。旅に誘ってくれたのも、この人だ。
「会ったばっかりなのに、色々してくれたじゃん」
「一人で放っておくには危なそうだった」
「私、そんな危なそうだった?」
「ああ」
「どの辺が?」
「全部」
「全部!?」
即答するほど?
いや、お金もないし、泊まる場所もないし、魔法も使ったことなかったけど。
……結構、全部だな。
「でも、それだけ?」
「それだけだ」
セルファは集めた枝を選び、細いものから重ね始めた。
名前を聞いた時も、今日、魔法を《フルメン》と呼んだ時も、この人は少し変な反応をした。何か言いかけたように見えたのに、結局何も言われない。
「私のこと、どっかで見たことある?」
枝を並べる手元へ目を向けたまま、尋ねた。
「どうしてそう思う」
「たまに、そんな感じするから」
セルファの手が止まる。
こっちを見たけれど、すぐに私の置いた枝へ目を落とした。
「それ、湿ってる。乾いたのをもう少し持ってこい」
「……話変えたでしょ」
「火がつかないだろ」
「そうだけど」
枝を一本拾い直す。確かに、裏側が湿っていた。
聞いたところで、今は答えてくれそうにない。
「あとでね」
「ああ」
乾いた枝を探しに戻る。
こっちも、早くご飯にしたかった。
◇
火がつくと、辺りの感じが変わった。
草地に荷物と寝床が並び、炎のそばへ座れば暖かい。枝の弾ける音を聞いていると、ようやく今日はここで休めるんだと思えた。
ちょっと、キャンプっぽい。
昼間は魔物に追いかけられていたのに、今だけ見れば随分平和だった。
食料の袋を開く。見覚えのある野菜もあれば、何なのか分からないものもある。
「ご飯、私作るわ」
「頼む」
あっさり任された。
「失敗するかもしれないけど」
「食えるものにしてくれ」
「そこは大丈夫。たぶん」
毎日料理していたわけじゃない。でも、何もできないほどでもない。
知らない食材はセルファに聞き、使えそうなものを選んだ。肉と野菜を切り、鍋へ油を入れて炒める。じゅっと音がして、香ばしい匂いが広がった。
水を加え、調味料を少しずつ入れる。煮込みながら味を見た。
「……うん」
悪くない。
もう少し塩を足すと、シチューみたいな味になった。
パンもあるし、十分でしょ。
火の向こうでは、セルファが刀の手入れをしていた。布で刀身を拭き、傾けて刃を確かめている。
その刃が今日、私の目の前を横切った。
思い出すと、鍋を混ぜる手が少し遅くなる。あの時は、転ばないだけで精いっぱいだった。
「焦げるぞ」
「あ、うん」
慌てて鍋底から混ぜた。
こっちも目を離したら駄目らしい。
しばらく煮込んでから鍋を火から下ろし、器へよそう。
「できたよ」
セルファへシチューとパンを渡し、自分の分も持って火のそばへ座った。
「いただきます」
一口食べる。
あ、おいしい。
お腹が減っていたせいもあるけど、温かいものが入るだけで身体が少し楽になった。
「どう?」
セルファも口へ運んでいた。
「ああ。美味い」
「でしょ?」
よかった。
パンをちぎってシチューにつける。汁を吸ったところを食べると、もう一口欲しくなった。
◇
「セルファって、ずっと一人で旅してんの?」
食べながら尋ねた。
「今はな」
「前は違ったんだ」
「ああ」
「何人くらい?」
「何人かだ」
「雑」
セルファはパンをちぎった。
「昔の話だ」
「いいじゃん。聞かせてよ」
「俺は食ってる」
「私も食べてる」
話しながらでも食べられるでしょ。
「仲良かった?」
「普通だ」
「絶対嘘」
「なんでだ」
「そんな言い方する?」
セルファが一度、私を見る。
「じゃあ、どう言えばいい」
「楽しかったとか、喧嘩ばっかしてたとか。何かあるじゃん」
器へ目を落とし、少ししてから答えた。
「……色々あったな」
今までより、柔らかい声だった。
聞こうとしていた言葉が止まる。
何か思い出したように見えたけれど、続きはなかった。火が揺れ、セルファの顔に落ちる影も動いている。
「今も、その人たち旅してるの?」
「してる奴もいる」
していない人もいるんだろう。
その先まで聞いていいか、少し迷った。いつもみたいに面倒そうなだけではなく、言葉を選んでいるように見える。
「じゃあ、今日はやめとく」
シチューをひと口食べた。
私だって、会ったばかりの人に何でも話せと言われたら困る。
「その代わり、いつか聞かせてよ」
セルファの手が止まった。
火の向こうで目が合う。
「……機会があればな」
「何それ」
「食え。冷めるぞ」
また誤魔化した。
でも、今はそれ以上聞かなかった。器へ目を戻すと、さっきより湯気が薄くなっていた。
食べ終わる頃には、日は完全に落ちていた。
顔を上げると、星が見えた。
一つ二つじゃない。木々の間に開けた空いっぱいに、細かな光が広がっている。
「……すご」
焚き火から離れた場所は、もう真っ暗だった。今日歩いてきた道も見えない。
朝は町にいたのに、今は知らない草地で、自分で作ったご飯を食べている。
肩も足も痛いし、明日はまた歩くらしい。
それでも、温かいシチューはおいしかった。セルファが昔は誰かと旅していたことも、少しだけ分かった。
「こういうのも、結構いいかも」
「何がだ」
「ご飯食べながら、星見るの」
「そうか」
セルファも空を見上げた。
火の中で枝が弾ける。
空になった器を膝に置き、もう少し眺めていた。
明日も歩くけど、今はまだ、立たなくていい。




