第六話 『踊り子リサⅠ』
「ふふっ! 楽しかったわ〜」
「もっともっと歌おうよ〜!」
リサとカレンは満面の笑みで黒兎たちの下に戻る。リサとカレンの距離は肩を組んで歩いているように見える程近い。広くない馬車の中でもこの距離になることはあったが、その時とは違ってカレンが傍にいても違和感はなかった。
リサは不意にカレンに心を開いている自分を不思議だと思う。今まで性別を問わず友人が一人もいなかったリサは、初めての同年代を前に今さらながら緊張した。
メイオール王国の貴族たちはリサのせいで国が滅亡することを知ってすぐに国を出てしまい、以降一度も会っていない。当時の貴族が五百年経った今でも生きている訳はなく、没落していてもおかしくない。
城の敷地の外に出たことがないリサにとって、友人はリサに対してなんの偏見も抱いていない動物たちだけだった。
だが、友人ができる機会がなかった訳ではない。国内には貴族たちがいないが、国外──魔法学校に通い始めてから話し掛けてきた人間はいる。
だが、それもすべてリサの完璧すぎる受け答えで壊してしまった。魔法学校では動物と話してはいけないと両親から言われていたリサは、護衛兼メイドのトロイメライに監視されていたこともあり、動物たちと友人になることさえできなかった。
カレンを一瞥すると、カレンは歌いたくて堪らないと今にも言いそうな表情でリサにくっついている。
リサの完璧な受け答えにもまったく気分を害していない──それどころかリサと歌を歌って感情を共有することを望んでいる。リサ自身も不思議だが、カレンだって不思議な女だった。
「今日はもうあかんで」
瞳を輝かせるカレンに良心をまったく痛めることなく止めるのは黒兎だ。呆れている黒兎はリサやカレンよりも年下に見えるが、精神年齢は低くないように見える。
そう思う理由の一つがシルヴァンだった。
シルヴァンは黒兎と虎獅狼、そしてドミニカと同じテーブルを囲んでいる。リサとカレンは歌うことに夢中でシルヴァンの姿が見えなくなっていたことに気付かなかったが、黒兎はそうではない。
小さな頭をテーブルに乗せて疲れ切った表情をするシルヴァンは、長距離を走り切る体力はあるのに歌い踊る体力はないらしい。歌い踊る体力はあるが長距離を走り切る体力はないリサは慌ててシルヴァンに駆け寄った。
「シルヴ……シドニー! 大丈夫なの?!」
五百年間眠っていたリサでもシルヴァンの事情はわかる。本名を呼びたい気持ちをぐっと堪えてシルヴァンの背に触れると、ぐったりとしているシルヴァンは呻き声で返事をした。
「これからはシドニーと呼びますね」
ドミニカはリサが付けた偽名で構わないようだ。ダチョウに敬語を使っている時点で怪しむ人間はいるだろうが、酒場にいる人間はリサとカレンしか見ていない。自意識過剰ではないと思える程の視線を感じるが、魔法学校に通い始めた時期もそうだったと不意に思い出した。
「あの人ら働いてへんの?」
黒兎は声を潜めずに尋ねる。誰かに聞こえていないだろうかとどきりとしたが、他所のテーブルの会話が聞こえる程静かではない。
セルヴォワーズを飲んでいたドミニカは樽から口を離し、働き盛りの老若男女を一瞥した。
「職を失ったんでしょ」
ドミニカは表情を変えずに事実を言う。
「なんでなん」
黒兎は驚いて理由を尋ねるが、リサは逆に黒兎が理由を想像することができないことに驚いた。
「内戦はそういうもの」
ドミニカも何故わからないのかと言いそうな表情だ。黒兎は言葉を詰まらせるが、ドミニカは「鳥頭」と黒兎に追い討ちをかける。
「あ。シルヴァンへの悪口だ」
「悪口じゃないッ! 申し訳ございませんそんなつもりではなかったのです!」
「シドニーやアホ!」
ドミニカは慌ててシルヴァンに謝り、黒兎はシルヴァンと呼んだ虎獅狼の後頭部を勢いよく叩く。シルヴァンも虎獅狼も気にしていないようだが、ドミニカと黒兎は慌てて警戒するように辺りを見回した。
「シドニー、シドニーね! よし覚えた!」
カレンは話を聞いていない訳ではないようだがドミニカと黒兎の反応を気にしていない。気にする側のリサは自分が加入する前の黒兎の心労を想像して胃の辺りを撫でる。
「あ」
瞬間、ドミニカが声を漏らした。
シルヴァン以外の全員がドミニカの視線の先へと目を向けると、そこにはクラウジーニョが立っている。隣にはドミニカと同年代の女がおり、妖艶に微笑んでドミニカに軽く手を上げた。
「クラウジーニョ、アリアドネ」
「あー! 白い肉の人ー!」
カレンは立ち上がってアリアドネと呼ばれた女を無遠慮に指す。
「「「白い肉の人?」」」
黒兎と虎獅狼、そしてリサはカレンの言うことがわからなかった。カレンの大声でようやく二人を見上げたシルヴァンも、眉間に皺を寄せて首を傾げる。ドミニカをすぐに忘れたようにクラウジーニョも忘れたようだ。
「白猫ね」
カレンは色の名前を知っていても動物の名前は知らない。アリアドネはそんなことも知らないカレンに優しく訂正するが、立派な水属性の魔法を使っていたとはいえこんな女に身内は負けたのかと複雑な感情を抱いた。
「なんでよクドウは知ってるじゃん!」
カレンはバシバシと虎獅狼の前頭部を叩く。黒兎もカレンも虎獅狼の頭を叩き過ぎなような気がするが、三人の今までを知らない自分が咎めていいものなのかわからずリサはおろおろと険悪な雰囲気にならない三人を交互に見た。
「《黒の迷い子》だからなぁ」
クラウジーニョは《黒の迷い子》のことを理解している。理解しているから期待もしていなければ落胆することもない。
「《黒の迷い子》?」
だが、リサはその存在を知らなかった。
「リサは知らんのか」
黒兎は意外そうだ。馬車の中で聞いた話を纏めると魔法学校に通っていたのはリサだけだったが、黒兎はそれだけで賢いと思っているのかもしれない。
「わ、私は五百年前の人間ですから……!」
「……いや、そのリサが知らんのやなって」
黒兎はリサの反応を戸惑った目で眺める。
「あ、そういうことなんですね!」
「五百年前のメルヒェン大陸に《黒の迷い子》はいなかったって話か」
クラウジーニョとアリアドネは近くのテーブルから椅子を持ってきて同じテーブルを囲む。二人が持っているのはドミニカと虎獅狼が注文したセルヴォワーズが入った樽で、この店にはそれしかないのかと思う程セルヴォワーズの匂いが溢れていた。
「《黒の迷い子》の存在が確認されるようになったのは二十年くらい前からだもの。リサちゃんは知らないわ」
アリアドネは足を組む。褐色の長くて綺麗な足が顕になったが、酒場の注目の的は変わらずリサの顔だった。
この顔はそんなに綺麗なのだろうか。それとも美しい容姿を大勢に見られることと定義した祝福の影響なのだろうか。
美し過ぎるならば自分の顔は父にも母にも似ていないのかと悩む。目の形も唇の形も。輪郭やそれぞれの配置も。似ていれば父と母も美しいと騒がれているはずだ。
リサは自分の頬に触れて視線を落とす。友人でもない人間の顔を見ることの一体どこが楽しいのか。友人がいないリサだから理解できない感情なのか。
「二十年なぁ。五百年を聞いた後やと長いんか短いんかようわからんわ」
「長いんじゃない? 普通に考えたら」
虎獅狼は黒兎に言葉を返すが、自分のことのはずなのに他人事だ。カレンは虎獅狼の反応にさすがに呆れる。
リサはリサの顔を凝視する人間の感情を理解することはできない。だが、自分がついて来ることを歓迎してくれた黒兎たちはリサの顔を凝視しない。それどころか別のことを考えている。
それは普通を目指して友人を欲するリサにとっては計り知れない救いだ。
だからか黒兎たちから目が離せなくなった。




