第二十七話 『五百年前から』
「西の魔女なぁ」
有り得ないとは思っていたが北の魔女のカロリーナではなくて良かった。
「どんな奴なん?」
シルヴァンの姿を変えた女だ。ろくでもない女であることはわかる。
「クソババァだ」
「お前が悪いんちゃうん」
そのような態度でなければ呪わなかったかもしれないのに。黒兎はすぐに脳内でアルフォンシーヌに謝った。
「俺様が悪い訳ないだろ!」
シルヴァンは納得できないらしく羽をバタバタと動かして黒兎へと突進する。軽く背中を踏まれたが、例えシルヴァンの言うことが真実だったとしても同情はしづらかった。
「元気になったみたいだね」
虎獅狼はそんなシルヴァンを見て手を合わせる。
「じゃあ、いただきます!」
シルヴァンは西の魔女に呪われてダチョウになった人間だ。虎獅狼はそれ以上の情報に興味がない。目の前の朝食を食べて腹が満たされることだけを考えている。
「興味持てよ!」
「話したいんかい」
虎獅狼に対してもそうだが、シルヴァンが見ていたのは最初からシルヴァンの話にまったく興味を持っていないリサだった。
リサにとって動物が話すことは珍しいことでもなんでもない。その上生まれた日から呪われている。呪いの話にも興味がない。そして目の前の朝食にも興味がない。
先程からリサが触っているのは、トロイメライが投げた骨だった。
「そういや、なんなんそれ」
一度気になると答えが知りたくなる。弓や弓矢は自衛の為だろうが、骨を渡した理由がわからなかった。
「これはティン・ホイッスルです」
リサは六つ空いている穴に指を当てる。骨に気を取られていたが、そうしていると確かに笛にしか見えない。
「てぃんほいっする……」
カレンにとっては初めて見る楽器だろうか。リサは微笑んで笛を吹いた。
「……すっごく綺麗!」
カレンが瞳を輝かせるとリサも嬉しそうな表情を見せる。
「骨とは思えん音やな」
禁所にいると宮殿から様々な楽器の音色が聞こえてくるが、骨で作られた簡単な楽器とは思えない程その音色は負けていない。
「なんの骨なんだろうね」
シルヴァンでさえ聞き入っていたが、虎獅狼だけは知的好奇心の方が勝っていた。
「工藤にはわからんか」
「え、近衛わかるの?」
「そういうことちゃう」
あまりにも風情がない。黒兎が溜息を吐くと、目の前にエルフが現れた。
「ぎゃーっ?!」
カロリーナもよく使う瞬間移動で黒兎たちの中心に姿を現したのはトロイメライだ。
トロイメライは「リサ!」と大きく腕を広げてリサを抱き締める。
「と、トロイメライ?! どうしてここに?!」
「どうしてって、笛を吹いただろう?」
「蛇か」
黒兎の脳裏を過ぎったのは笛を吹くと壺から出て来る蛇だ。トロイメライは黒兎のツッコみがわからなかったが、「メデューサのこと?」と解釈してリサを離した。
「メデューサはこれからアンデッドと一緒にエル・ドラドに埋葬するよ」
「まだ魔法ギルドの連中おるんちゃうの?」
戦いが終わってからまだ一時間も経っていない。黒兎も、そして多分トロイメライもそんな短時間では黄金郷周辺からたいして離れられない。いつ襲われてもおかしくないと思っている。
「リサが追い払ってくれたから大丈夫」
この場には死角から狙撃する黒兎、人間を斬ることに躊躇いがない虎獅狼、そして底知らずの魔力を持つカレンがいるが、トロイメライはその三人よりも魔獣と心を通わせることができるリサを厄介だと思っている。そんなことは妖精のエルフでさえできない。それができる種族をトロイメライは一つも知らない。
「追い払ったのレッドドラゴンやろ、知らんけど」
「知らんけど〜」
カレンはその言葉の何を気に入ったのか、黒兎の口癖の真似をする。
トロイメライは大陸のどこの国にもない訛りで喋る黒兎の言葉に首を傾げ、「あ」と朝食が置かれていることにようやく気付いた。
「食べなければ駄目だよ」
トロイメライは眠る前と後でリサの性格が変わる訳がないと思っている。リサの隣に座ってやることは五百年前と変わらない。
「はい。あーん」
トロイメライはふーふーと息で冷ましてリサの口元にスープを掬ったスプーンを持っていく。
「何してんねん」
ツッコむが、トロイメライが人間の世話を進んで行うエルフであることを思い出した。
「リサは食べることを面倒臭がるから、こうして食べさせてあげてね」
王女だったリサと世話好きなトロイメライ。点と点が繋がって黒兎はようやく納得する。
「なんでやねん」
だが、トロイメライのその言い方に引っ掛かった。まるで次からは黒兎が食べさせろと言っているようだ。
リサは黒兎が作った朝食を咀嚼し飲み込む。
「……! 凄く美味しいです!」
「なら良かったわ」
色々とツッコみたいことはあるが、今はリサの反応が嬉しい。リサは一口二口食べてハッと何かに気付き、困ったように眉を下げた。
「トロイメライ! やめてください! 自分で食べますから!」
リサはトロイメライに手を差し出し、トロイメライが持っているスプーンを求める。トロイメライはきょとんとした表情でリサの言葉を脳内で繰り返し、遅れて言葉の意味を理解した。
「こんなに大きくなって……!」
トロイメライはぼろぼろと泣き出す。感動しているらしいがトロイメライのその感情について行ける者はリサしかいなかった。
リサはぐっと拳を握り締め、ゆっくりと開く。
「生きるって、決めているんです」
そうやって自分の命を確かめている。
「お母様とお父様に心配させたくありませんから」
リサが無理して笑っているのは誰の目から見ても明らかだった。
トロイメライは涙を拭ってリサの口角を無理やり元に戻す。
「どんなリサでも私は好きだよ」
悲しい時は泣いていい。いつか心から笑える日が来ると、五百年前間人間の傍で生きていた彼女は思う。
「あの二人もそう言うと思う」
トロイメライが懐から取り出したのは親指程の石や木の欠片だ。ころんとトロイメライの掌で転がったそれを地面に置いて杖を振ると、すべて成人程の大きさに変化する。
「────」
元々その大きさだったのだろう。リサの目の前に現れたのは二つの石像とトロイメライが破壊したと見られる壁の欠片だ。
「おかあ、さま……おとう……?」
リサは両目を見開いたまま石像を見上げている。目覚めてから何度も流しているのに涙はまだ溢れてくる。
「どうして!」
「リサに会いたかったんだよ」
リサは一瞬だけ顔を歪めたが、すぐに口元を手で覆って言葉を失った。
トロイメライは石像をリサに向けている。黒兎、虎獅狼、カレン、シルヴァンは音を立てずにリサの背後に移動して老いた男女の石像に息を呑む。
メデューサに石にされたのだろうが、その表情はとても穏やかな表情で。女は何故か両手を前に出していた。
「お母様ッ!」
リサは駆け寄って女の腕の中に飛び込む。
石は硬く冷たい。辛く痛いだけのはずなのに、リサは必死に女を抱き締めている。それは女がリサの母だからだ。
「これも」
トロイメライは壁の欠片をリサに見せる。
壁には文字のような何かが刻まれているが、文字が読めない黒兎と虎獅狼、そして少し文字が読めるようになってきたカレン、大陸の人間であるはずのシルヴァンは揃って首を傾げた。
「……!」
その文字が読めるのはリサとトロイメライだけだ。リサは石となった両親の顔をまじまじと眺め、母から離れて壁の欠片を受け取る。
「なんですか? それ」
好奇心を抑えることができないのは虎獅狼だ。黒兎は虎獅狼の頭を叩くが、リサは「手紙です」と嬉しそうに答える。
「トロイメライ、ありがとうございます」
トロイメライがいなければこの命はどうなっていたのだろう。
トロイメライがいなければこの先どうなっていたのだろう。
リサはトロイメライも抱き締める。トロイメライはリサを抱き締め返す。
「いいんだよ」
恨まれても仕方のないことをした。リサはこんな自分を許してくれる優しい人だ。そんなリサを笑顔にさせたくてトロイメライを監視することにしたハリーの覚悟をようやく理解する。
「二人と壁は私が預かるから、会いたくなったらまた笛で呼んでほしい」
「えっ? トロイメライと一緒じゃないんですか?」
リサはトロイメライと行動を共にすると信じて疑っていなかった。
黒兎たちと共にいるのはトロイメライが魔法ギルドに追われているからで、迎えに来てくれたのだと思っていたのに。
「リサはコノエたちと一緒に行くんだ」
トロイメライは真っ直ぐな瞳でリサに伝える。黒兎は聞いていないと言おうとしたが、カレンの時と違って断る理由はないと思い直した。
「どうしてですか!」
リサにとって黒兎たちは目覚めた時にその場にいた者というだけでそれ以上の存在ではない。
「クドウ、黄金持ってる?」
「ありますよ」
虎獅狼は胸ポケットから黄金の塊を出した。
「カレン、元の大きさに戻せる?」
「カロリーナから教わる!」
カレンは杖を握り締める。トロイメライは頷いてリサの頭を撫でた。
「リサを襲うのは魔獣じゃなくてニーギュだから」
人間はトロイメライを攻撃することができるが、トロイメライは人間を攻撃することができない。
「コノエ、クドウ、カレン。リサを──リサがいたいと願う場所やリサを護ってくれるニーギュに出会うまででいいから、リサをニーギュから護ってほしい」
五百年前は自分がリサを護るつもりでいた。だが、既に多くの人間を飼っているトロイメライはリサだけを特別扱いすることができない。
「リサは魔獣から君たちを護るから」
「大歓迎やけど、それはリサの気持ち次第やな」
カレンの時と違って断る理由はないが、カレンの時と違ってリサから共に行きたいと言われた訳ではない。
「私、は……」
リサは戸惑うが、リサには選択肢がない。トロイメライと共に行けず黒兎と共に行くことを拒むなら、リサは何もない場所で一人、巨大な黄金を抱えて生きていかなくてはならない。
「一緒に行こうよ!」
カレンは躊躇いなくリサを誘う。気にしている訳ではないが、それでも同性がいてくれたら嬉しい。
「……私で良ければ、一緒にいさせてください」
「ええの?」
トロイメライとカレンに流されていないだろうか。
「迷いましたけど、私を溺愛するトロイメライが推す方ですから」
リサはふふっと笑みを零す。トロイメライを信じるリサは、トロイメライが信じる黒兎たちを信じる。
「ですが、一度城に戻ってもいいですか?」
未来の話をしているのにと、リサは申し訳なさそうに尋ねた。
「私も城に戻って埋葬したいんです」
「ええよ。ちゃんとさよなら言いたいもんな」
黒兎と虎獅狼は言えなかった。
だからカレンにはそうさせたし、リサにもそうしてほしい。
トロイメライが来たことによって急に黙ったシルヴァンだけが、静かに視線を落としていた。




