第二十六話 『ついて行く理由』
「なぁ! おい! 喋っただろ鏡! なぁ! おい無視すんな!」
シルヴァンは自分も喋ったのだからハインツも喋らなければならないと、ハインツを胸ポケットに入れて歩く黒兎に張り付く。
「邪魔やアホ」
「《黒の迷い子》に言われたくねぇよ!」
黒兎はシルヴァンを押し退けて朝食を作り始めた。
しょうゆ、クラーケン、リサ、シルヴァンのおかげで魔法ギルドから逃れることができたが、感謝はしても邪魔をすることは許さない。
食べるには少し早い時間だが全員が夜明けと共に戦った。空腹になれば動けない。生きる為には食べなければならない。
黒兎は飢えを知った中年の男女を思い出し、彼らのようにならない為に気合いを入れた。
「シルヴァンは不思議ダチョウなの?」
そう尋ねたのは森での食料調達を終えた虎獅狼だ。
「俺様は人間だ!」
シルヴァンは虎獅狼へと突進しようとしてすぐにやめる。
虎獅狼が抱えているのは茸や山菜といったいつもの食料で、シルヴァンはいつものように顔を歪めた。
「抵抗しても無駄やで」
虎獅狼は頑固な性格だろうが、それ以上に聞いたことをすぐに忘れる男だ。シルヴァンも、何度拒んでも諦めずに口の中に植物を突っ込んでくる虎獅狼にいよいよ恐怖を覚えてくる。
「はい。食べて」
「やめろーッ!」
シルヴァンは虎獅狼がさらっと付けた火で料理をする黒兎を避けて辺りを走る。シルヴァン──というかダチョウが本気を出したら普通の人間は追い付けない。これにはさすがの虎獅狼も諦める。
シルヴァンは虎獅狼がしょうゆに飼葉を与えた瞬間に戻ってきたが、シルヴァンだけは諦めずに黒兎の胸ポケットの中に入ったままのハインツを奪う機会を窺った。
「カレーン! こいつ縛ってくれー!」
黒兎が声を掛けたのは、馬車の中で眠るリサを見守るカレンだった。カレンは樽の中から様子を窺うクラーケンにリサを頼み、「えいっ」と杖を振る。
「なんでだよ!」
麻の縄で縛られたシルヴァンは激しく抵抗するが、ダチョウが凄いのは脚力だけだ。動けば動く程に羽が散っていく。その姿は罠に掛かった動物にも駄駄を捏ねる幼児にも見えた。
「はい。食べて」
その隙を逃す虎獅狼ではない。シルヴァンの死角から現れて飼葉を口元に押し付ける。
「だーッ! やめろーッ! 俺様はぜってー肉しか食わないからな!」
「胃袋どうなってんねん」
ダチョウは草食動物だ。だから虎獅狼はどんなにシルヴァンが拒んでもしょうゆと同じか自分が採った植物を与えることに躊躇いがない。
黒兎も草食動物の胃袋で動物の肉が消化できるとは思えなかった。
「俺様の胃袋は強靭だからな! お前らの分も食い尽くしてやるぜ!」
ダチョウだが、ドヤ顔をしている人間の表情が見えてくる。というかシルヴァンは何故こんなにも偉そうなのだろう。黒兎の脳裏にはウーリが浮かぶが、シルヴァンの方がまだ僅かに可愛げがあった。
「本当に消化できてるならダチョウじゃないのかもね」
虎獅狼は大人しく飼葉を引っ込める。黒兎はシルヴァンに会ってから今までの旅を思い返す。だからかトロイメライがくれた卵料理を思い出した。
「そういやお前うんこ産めるん?」
「何言ってんだお前!」
「間違えたわ。卵産めるん?」
「産める訳ねぇだろ俺様は男だ!」
シルヴァンは黒色の羽を動かそうとするが、カレンの魔法はなかなか解けない。
シルヴァンが卵を産めたらまた卵料理が食べられると思ったが、そう上手くはいかないようだ。黒兎は落ち込んで調理に戻る。
「で? うんこは?」
真面目な表情をするのは虎獅狼だけだった。
「言う訳ねぇだろ!」
「いや、うんこが健康なうんこならシルヴァンが肉食べても大丈夫ってことになるから出たら見せてよ」
「見せるかバカ!」
シルヴァンは黒兎以上の声量で虎獅狼に怒鳴る。虎獅狼の言い分は理解できるが、それ以上に虎獅狼に振り回されるシルヴァンの感情が理解できる。
黒兎はうんうんと頷いて「カレン、解いたって」とシルヴァンを解放した。
「とりあえず飯やな」
シルヴァンが暴れている間に準備はできた。
「ほんで? リサは?」
今まで騒がしかったのはシルヴァンではなくカレンだが、カレンはずっとリサの様子を気に掛けている。
六人姉妹の末っ子とはいえ姉たちは全員同い年だ。五人の姉たちは異母姉と判明したヒルデと共に過ごす時間をこれからいくらでも作ることができるが、カレンはそうすることができない。
同い年しか知らないカレンは、五百年前に産まれたとはいえ同い年のリサを放っておくことができなかった。
「おーい、リサー」
カレンが呼び掛けるがリサは起きない。呪われている時は呼吸をしていないのではないかと疑う程に動いていなかったが、今は心地良さそうな表情で寝息を立てていた。
「リサ嬢、そこで眠るとドレスが汚れてしまう」
近付いた黒兎の代わりに声を掛けたのはハインツだ。シルヴァンは「あ! その声!」と黒兎に近付き「やっぱ鏡だろ喋ってんの!」と不自然に胸ポケットから出ているハインツを覗き込む。
「それは嫌ぁ」
そんなハインツに映ったのは情けない声を出して起き上がったリサだ。
「あ。起きた」
だが、リサの目は閉じられたままだ開く気配がない。カレンはリサの両肩を掴んで前後に揺さ振る。心配はするが力加減がわからない女だ。
「リサ死ぬで」
黒兎はカレンの手を掴んで止める。黒兎の予想通りリサはぐったりとしており、カレンは慌ててリサに回復魔法を掛けた。
「あ。治ったわ!」
リサは驚いて両手を上げ、手の甲ではなく腕をまじまじと観察する。
「怪我しとったん?」
そんな素振りは今までまったく見せていなかった。黒兎もリサと同じくらい驚く。
「弓を使った時に痛めました」
「そうなん?! 言えや!」
「いつものことでしたので」
リサはなんでもないような表情で言う。
回復魔法を生み出したのはフローラだ。五百年前のリサが回復魔法を知っている訳がない。リサは不便な時代を生きてきたのだ。
「ありがとうございます」
リサは微笑んでカレンに礼を言う。
「えっ? いやっ……どういたしまして」
礼を言われると思っていなかったカレンは戸惑い、リサの綺麗な笑みに照れる。リサはトロイメライが投げたものを受け取った虎獅狼にも礼を言い、最後に自分を黄金郷から連れ出した黒兎に礼を言った。
「ええよ別に」
黒兎はリサの項に痣があることを確認している。リサに会ったのは今日が初めてだが、トロイメライが育てた人間ではなくてもそれを持つ者は皆家族同然だと──禁所で育った黒兎はそう思っていた。
問題があるとすれば食料だ。
奇跡的に虎獅狼が行く先々で食料を調達することができる男だったおかげで減りは遅いが、本来であれば既に次の目的地だったオハイラ王国に到着している。
食べずに残していても長い間保存することは難しい。オハイラ王国ではなくてもそろそろ次の国に向かわなければ厳しいだろう。
「口に合うかわからんけど、とりあえずこれ食べ」
そんなことを考えているが食料を使うことや食べることを惜しむ黒兎ではない。五百年前の王女のリサに手料理を勧めて、出していた干し肉を食べようとしないシルヴァンに目を見開いた。
「どないしたん。腹痛いん?」
「うんこ溜まってるの?」
「ねぇ食事中なんだけどぉ!」
元人魚のカレンでもうんこはわかる。たいしたものは口にしないとはいえ虎獅狼に怒るが、食事を面倒臭がるリサや食事ができないハインツは急に大人しくなったシルヴァンを見ていた。
「…………俺様、だちょうじゃねぇの?」
なんだと思えばそんなことか。
「いやダチョウやろ」
「見た目はね」
シルヴァンをダチョウと認めるのは《黒の迷い子》の黒兎と虎獅狼だけだ。ハインツもカレンもリサもシルヴァンの問いに答えられない。
「…………だちょうってなんなんだよ」
シルヴァン自身もダチョウを知らない。黒兎もどう答えればいいのかわからない。
「鳥綱ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属」
虎獅狼だけが答えを知っているが、それは正解だとしても正しくはない。
「魔獣じゃねぇのか」
「鳥やで、ただの」
シルヴァンが最も恐れていたことは、魔獣になることだった。
シルヴァンは俯くが、最大の鳥類であるダチョウは二メートルを軽く超えている。大きな目から溢れる涙は地面に落ち、立っていられなくなったのか地面に座った。
「よかっ……良かったぁ! だちょうとかよくわかんねぇけどぉ! 俺様ぁ! まっ、魔獣じゃなかったぁ!」
黒兎はシルヴァンの事情を知らないが、薄々察してしまう。
確かめずにいられなかったのがカレンだった。
座ったシルヴァンの背中に乗ったカレンはシルヴァンの長い項を触り、「あった!」と黒兎に報告する。
何が、と聞かなくてもわかる。それは黒兎の項にも虎獅狼の項にもカレンの項にもリサの項にもあるものだ。
「誰に呪われたん?」
シルヴァンの痣は毛で隠れていたが、シルヴァンがこの数日間で黒兎たちの痣に気付かないはずがない。
自分がなってしまった姿を知っていること。自分の痣が見えているのかは知らないが、全員の項に同じ痣があること。
黒兎は、シルヴァンが何があっても黒兎たちについて行こうとした理由を痛いくらいに理解してしまう。
ダチョウを知っている黒兎と虎獅狼、人間ではないのに喋れるハインツ、人魚から人間に姿を変えたカレン、ついでに動物の言葉がわかるリサ。
シルヴァンがこのパーティの傍にいたいと思う理由は充分過ぎる程にあったのだ。
シルヴァンは嗚咽を漏らしながら黒兎を見上げる。
「西の魔女……アルフォンシーヌ」
黒兎はその名前を知らないが、その二つ名は知っていた。




