第二十五話 『風の威力』
「毎度見事だな」
ハインツはロレンツォの杖を正確に狙撃した黒兎に感心する。光線は自分の意思で動かせるが銃弾はそうではない。
ハインツは鏡だが、かなりの速度でトロイメライを追い掛けていたロレンツォへの狙撃が人間離れしたものであることを理解していた。
「褒めてもなんも出えへんで」
褒められたとは思っていないが一応そう言う。世の中には褒める振りをして嫌味を言う人間がいるのだ。褒め言葉は流して聞いた方がいい。
「本心だ」
黒兎の声色で黒兎が褒め言葉をまともに受け取っていないことに気付いたハインツは念を押すが、黒兎はハインツの言葉を聞いているのかいないのか、自分の馬車へと走っていった。
「工藤! カレン! あぁあとリサも! 行くで!」
トロイメライの馬車は遙か遠くだ。魔獣と会話ができるとはいえ何もないこの場所にリサを残して行くことはできない。
虎獅狼は素早く御者台に乗り込み、カレンは肩から下りたセバスチャンを目で追うリサの腕を引いて馬車に乗り込み、黒兎はハインツを胸ポケットに入れたまま馬車に乗り込む。
しょうゆを馬車に繋げていたのはまさかのクラーケンだ。カロリーナとダビは残しても大丈夫だろう、黒兎は全員がいることを確認して「出せ!」と叫んだ。
「まっ、待ってください! 私はここに残ります!」
すると、カレンの馬鹿力に引き摺られただけのリサが慌てる。
メイオール王国の城で生まれ育ったリサは、国内とはいえ城の外に出るつもりはない。城は壊れたが直せばまだ住める。五百年前から何も変わっていない、愛しい両親と共に過ごした城を捨てたくない。
「残ってどないすんねん!」
リサの想いを痛いくらいに理解しているのは黒兎だ。
故郷を思い出せない虎獅狼、そして故郷を出る覚悟を決めたカレンにはどうやったって理解することができない──いつまでも故郷にいたいという感情は黒兎も大切にしていたい。
「メイオール王国は滅んだんやぞ!」
それでも訴えた。メイオール王国にまだ黄色いレンガの壁があり、どこかで人間が暮らしていたら、リタのように再興するという手があっただろう。
リタは故郷とそこで暮らす国民への愛故に革命を起こした女だ。そこで今も戦っている女だ。
だが、リサは自分が眠る五百年ですべてを失った。リサはまだ五百年という途方もない時間の現実を実感していない。目を見開いたまま黒兎の怒声を聞いたリサは、桃色の双眸からぽろっと大粒の涙を一粒流した。
「……この国にはもう誰もおらん」
目覚めたばかりのリサに言い過ぎた。黒兎は申し訳なくなって視線を落とすが、トロイメライがいない今誰かがリサに伝えなければならない。
「……リサはもう王女やないんや」
リタは王女から女王になった。カレンは王女から魔女になった。リサも王女から違う何かにならなければならない。
黒兎の言葉を聞いてぽろぽろと涙を流すリサは何を思っているのだろう。リサの想いを理解しているのは黒兎だが、リサを無言で抱き締めたのはカレンだ。想いを完全に理解することはできなくても悲しみに寄り添うことはできる。この場にカレンがいてくれて良かったと黒兎は思う。
「わかりました」
リサは頷いて持っているものを床に置いた。そしてそっとカレンの手に触れ、カレンの青色の双眸と視線を交わして確かに頷く。カレンがリサを離すと、リサは馬車から身を乗り出した。
「えっ?」
リサの口から漏れたのはリサが言おうとしていた言葉ではない。
リサの声に虎獅狼以外の全員が振り返ると、トロイメライを追い掛けているはずのロレンツォがこちらに向かって飛んでいるのが視界に入った。
「げぇっ?!」
黒兎は思わず舌を出す。
ロレンツォは何故か破壊した杖を持っており、遠目からでも黒兎を睨んでいることがよくわかる表情を見せている。
「なんやねんあのおっちゃん! トロイメライ討伐するんちゃうんかい!」
トロイメライには討伐されてほしくないがこちらに来るのは想定外だ。最初にロレンツォを狙撃した時の反応とロレンツォのトロイメライ討伐に対する熱意を見てこの程度ではこちらには被害は及ばないと踏んでいたが、そんなことはなかったらしい。
ロレンツォ以外は全員妖精、アンデッド、レッドドラゴン、そしていつの間にか来ていたグリフォンやゴブリンを相手にすることで手一杯に見えることだけが救いだった。
「グァーッ!」
こんな状況でもついて来るダチョウがロレンツォの襲撃に悲鳴を上げる。リサはダチョウへと視線を移して咄嗟に手を伸ばすが、ダチョウにはその手を掴む手がなかった。
「カレン! 頼む!」
狙撃銃を構え、狙いを定め、引き金を引くには時間が掛かり過ぎる。
リサの肩を引いて代わりに身を乗り出したカレンは一瞬で光線を放つが、ロレンツォはそれを避けてカレンの倍の威力に見える光線を放った。
「いやぁぁああぁあぁあ!」
悲鳴を上げるカレンは馬車に防御魔法を掛ける。カロリーナの教えの通り綺麗に全体を覆えているが、馬車の周辺を走っているダチョウはその範囲外だった。
「グェーッ?!」
「ダチョーッ!」
直撃はしていない。それでも完全に光線の攻撃内に入っている。
飼ってもいないがそれなりの期間餌付けをしていた動物だ。カレンと黒兎の悲鳴を聞いて思わず振り向いた虎獅狼も、「ダチョーッ!」と珍しく大声を出す。
「そんな……」
リサは口元を覆って言葉を失くした。ダチョウとの付き合いはないが動物を誰よりも愛する彼女はこの結果を許すことができない。
「グェッ! グェッ!」
誰もが黒煙を呆然と眺めていると、汚い鳴き声が聞こえてきた。
「グァーッ!」
羽を大きく動かしても飛べないダチョウが黒煙から飛び出してくる。馬車を追い掛けた結果攻撃を受けてもまだついて来るようだ。
「ダチョウ! 無事か!」
「本当にごめん!」
カレンは防御魔法の中にダチョウを入れるが、悪いのはカレンではなく無関係のダチョウを巻き込んでも攻撃をやめないロレンツォだ。
リサは涙を拭って床に置いた弓を構える。黒兎も狙撃銃を構えていたが、このまま引き金を引くとリサに当たると判断して狙撃銃を下ろした。
「いけるんか?!」
どう見ても弓矢が届く距離ではない。物理的に不可能だと思うのにリサの背中は頼もしく見える。
「任せてください!」
その返事は力強く、放たれた弓矢は風の威力でロレンツォの右腕を弾き飛ばす。
「えっ、ぐぅ……」
それはまるでトロイメライの魔力を借りてバジリスクを中から殺した竜巻のような銃弾だ。
黒兎は眉間に皺を寄せ、自分はまだ魔力を理解していないのだと痛感する。
魔力があれば不可能は可能になる。
右腕を失くしたロレンツォは左手で右肩に触れ、徐々に右腕を回復させていく。
思えばロレンツォは黒兎の銃弾もその身に受けた。風属性の黒兎とリサが理由なのか、反射神経が良いカレンが理由なのか、ロレンツォには防御魔法を掛ける間がなかったようだった。
「クドー! そこ通って森の中行こ!」
「その間頼むよ、ここすっごく見通し良いから」
深手を負った上にまた杖を破壊されたロレンツォはゆっくりと陸に下りていく。
それを確認したリサは、ずっと戦ってくれた妖精たちや魔獣たちへと声を張り上げた。
「本当にありがとうございます! この御恩はいつか必ず返しますから!」
リサは彼らの返事を聞く。言っていることは様々だが、誰もがリサの無事を祈っている。
リサは心から微笑んだ。愛した者がトロイメライ以外誰もいない世界だが、愛してくれる者が誰もいない世界ではない。
「どこ通るねん」
そんなリサと彼らの別れを見守った黒兎は進行方向に体を向けた。
「────」
黒兎と同じタイミングで振り向いたリサは息を呑む。それは黄金郷から全方向に伸びている、黄金郷に行くならば誰もが必ず通る道だ。
「これ、は」
その声は震えている。この景色を見て感動しない人間はいない。
「綺麗ですよね」
虎獅狼がリサの想いを代弁するように言葉に出した。
「……っ」
止まったはずの大粒の涙がぽろぽろと流れる。
行きと同じように全員を迎えるのは森の王であるオークの並木道だ。五百年前にリサが両親と共に植えたそれは、トロイメライの言う通り正木となりリサを迎える。
涙が溢れて止まらないリサはどうしても言葉を出すことができない。その代わりに必死に頷いて涙を拭い、雄大なオークを目に焼き付ける。
「待て!」
その涙は一瞬にして驚きで止まった。
「うわっ、しつこいなあのおっちゃん!」
ロレンツォの声だ。黒兎はリサの頭に手を置いてリサがオーク以外を見ないようにする。
黒兎はリサの事情を知らないが、邪魔をしてはならない時間だったことはわかる。低空飛行で飛んで来るロレンツォを睨み銃を構えると、その上にどこからか飛んで来たクラーケンが着地した。
「何してんねん!」
クラーケンと遊んでいる暇はない。黒兎が腕を下ろす前に、クラーケンは接近してきたロレンツォの顔面へと墨を吐き出した。
「ぎゃははははっ!」
黒兎はかつてのヴィガのように笑う。何度か顔面に墨を吐かれたことがある黒兎は急に前が見えなくなる恐怖を知っている。無様に地面に転がったロレンツォを全力で蹴ったのは、ロレンツォの攻撃を唯一受けたダチョウだった。
骨が折れるような音と共にロレンツォは黄金郷へと転がっていく。ダチョウは「グァッ! グァッ!」と鳴いており、その表情は口角を上げて高らかに笑っているようだった。
「あぁなったらしばらくは追ってこないだろう」
黒兎の胸ポケットから状況を見ていたハインツがそう判断する。
「せやな」
ダチョウの脚力は侮れない。黒兎でさえ多少は心配してしまう。
ダチョウはその脚力ですぐさま馬車に追い付き、リサと共にハインツを凝視した。
「「鏡が喋ったぁ?!」わ!」
「は?」
聞こえてきたのはリサの声と男の声だ。黒兎はカレンと共にダチョウを凝視した。
「「ダチョウが喋った?!」」
「まぁ! 動物は喋りますよ?」
それはリサの常識であって黒兎とカレンの常識ではない。
「やかましい! 工藤! 大変や! ダチョウが喋ったで!」
「へぇ。不思議だねぇ」
「なんで冷静やねん! いてこますぞ!」
「鏡も喋るんだからダチョウも喋る……ダチョウが喋った?!」
虎獅狼は勢いよく振り向いたが、ダチョウは斜め上を見るだけで口を開かない。
「絶対俺らの言葉理解しとるで!」
「喋らないと干し肉抜きだよ!」
「うるせぇよお前ら! 鏡が喋ってる方がおかしいだろうが!」
虎獅狼の言葉が効いたのか、ダチョウはバタバタと羽を動かしながら怒りの声を出した。
「「「ダチョウが喋ったぁ!」」」
「だからうるせぇ! 俺様の名前はシルヴァン・ベルトランだ! ひれ伏せお前ら!」
「よし。今日はダチョウのステーキや」
「食うな!」
ダチョウ──いや、シルヴァンは馬車を蹴ろうとするが、その脚力はカレンの防御魔法には敵わなかった。
黒兎と虎獅狼はシルヴァンを観察し、シルヴァンはハインツを観察し、カレンはクラーケンを褒めてリサは疲れたのか座ったまま眠りにつく。しょうゆは今日も自分に背中を向ける虎獅狼を凝視し、諦めたように前を向いた。




