第十一話 『小さな王と女王』
密着されていないが歩き難い。黒兎はカレンとトロイメライを先に行かせることを諦めて先頭を歩く虎獅狼に追い付く。
トロイメライが迷宮化したと言った通り、二階に上がってから一度も真っ直ぐな廊下を見たことがない。曲がり角かと思ったらまた曲がり角で、何故か今まで歩いてきた方角へと続いていた。
窓はあるがすべて閉ざされており、外はどこまで歩いても茨に覆われていて何も見えない。廊下でさえ変わらない景色に発狂してしまいそうだった。
「ほんまにこっちで合ってるんか」
熟知しているのはセバスチャンだが、この城に住み着いているのならドミニカたちも知っているはずだ。
「合ってるニャ」
セバスチャンは自分を信じていないのかと不満そうな声色で言う。ドミニカたちは何も言わなかった。
「ちゅーか、どこにおるんやあのクソ野郎。全然追い付けへんやん」
「探検してるんじゃない?」
虎獅狼はウーリを恨んでいない。怖い顔をする黒兎と違ってウーリを探す気にはならない。
「何が目的なんやぁ!」
「知らないけど」
黒兎もウーリも年下だが、ウーリよりも年下の黒兎に対する態度は大人気ないと思っている。いい加減大人になろうと思っている虎獅狼にとってウーリを好きになる理由はない。
ウーリに追い付いたら何をする気なのか、黒兎は歩く速度を上げていった。
「近衛──」
黒兎が先頭でどうするのか。呼び止めようとした瞬間に足元で何かが動いた。
「あ」
光は天井に掛けられたランプしかない。見え難い足元を素早く移動していたのは複数の蛇だった。
「いやぁあぁあ!!」
悲鳴を上げるのは最後尾の女たちだ。男たちも三十匹はいる蛇の集団に「うわっ」と少なからず声を上げる。
「お前らすぐに逃げるニャ!」
「早くこの縄解け!」
「それが無理なら担いでください!」
セバスチャンやドミニカたちだけが何が起きているのかを理解していた。
「逃げる?」
トロイメライを倒せる者はそういない。今まで逃げたことがないトロイメライは不思議そうに首を傾げる。
「こっちだニャ! 早く! 蛇を追い掛けるニャア!」
暴れるセバスチャンを抱えている男は怪訝そうな表情をする。何故わざわざ蛇を追い掛けるのか。理由がなければなるべくしたくないが──
「バジリスクが来るニャ!」
──そう言われた瞬間に全員が蛇を追い掛けた。剣士や魔法使いは縄を解こうとするが、諦めて縛られたまま彼らを追い掛けていく。ドミニカでさえそうしていた。
「バジリスク?」
黒兎も虎獅狼もカレンも同じ表情を浮かべる。
「そんなのも住んでいるんだ」
「お前らもさっさと来るニャア!」
遠ざかっていくセバスチャンが危機感のない黒兎たちを全力で叱った。
バジリスクの存在を知っているのは、興味深そうに頷いたトロイメライと胸ポケットから飛び出したハインツだ。
「だっ!?」
無言で黒兎の顎に激突したハインツが言いたいことはわかる。黒兎もすぐにカレンを抱え、トロイメライの手を引いてセバスチャンたちを追い掛けた。
「どうして逃げるの?」
「あんなに逃げろ言われて逃げへんアホおるか!」
ハインツが逃げろと言っているのだ。黒兎はトロイメライよりもハインツの危機感を信じている。
「カレン、おいで」
黒兎一人でカレンとトロイメライを連れて行くと両手が塞がる。虎獅狼は黒兎からカレンを強引に受け取り、黒兎は左手で落ちてきたハインツを受け止めた。
「どぉして私なのぉー!」
「連れて行くより運ぶ方が楽でしょ」
「私は荷物じゃなぁい!」
カレンは両手をバタバタと動かしているが両足をバタバタと動かすことはない。虎獅狼は「はいはい」と言いながらそういうところだと思う。
「で?! バジリスクってなんなん!」
「蛇だよ」
「ならどうして蛇が逃げるんですか?」
虎獅狼の疑問はもっともだ。カレンも頷きながらトロイメライを見上げる。
「蛇にとっても恐ろしいということだね」
トロイメライはわかりきったことしか言わない。黒兎は振り向こうとしてセバスチャンに怒られた。
「見たら駄目ニャ! 目が合ったら死ぬんだニャア!」
「そんなんで?!」
鳥肌が立つ。見ただけで死ぬなら無敵の生物ではないか。倒しようがない。
「絶対に戦ったら駄目ニャ! 蛇が逃げてたらすぐに逃げるニャ!」
セバスチャンは両目を塞いでいる。黒兎の耳も床を這う巨大な何かの音が聞こえている。
瞬間、左手の中のハインツがぐるりと回った。見るとハインツに何かが映っている。
「セバスチャン! 倒せるなら倒してええんか?!」
このダンジョンの番猫に念の為尋ねた。襲われないと断言できる距離ではない。早くしてほしかったがセバスチャンは何故か即答しなかった。
「セバスチャンッ!」
ハインツ越しに確認する。廊下の奥には、隙間がない程に巨大な蛇が黒兎たちを見つめていた。
「仕方ないニャア! やるニャア!」
黒兎はトロイメライの手を離して銃を抜く。ただの銃撃では勝てない。バジリスクに勝つ方法は一つだけ。
「風は空気」
呟いたのはトロイメライだった。振り向かずに背後に銃を向けた黒兎の右手首にそっと触れる。
「行くよ」
何が、と思ったがすぐに理解した。トロイメライから送れてきたのは魔力だ。
口を開くバジリスクをハインツで確認しながら引き金を引く。トロイメライの魔力が足された銃弾はバジリスクの口内に入り、竜巻のような威力で体内から身を破壊した。
「えっ、ぐぅ……」
そこまでするつもりはなかった。恐る恐る振り返ると鏡で見た光景が広がっている。
「お前よく当てたな!」
黒兎の声を聞いて速度を落としていたらしい。銃声を聞いて戻ってきた男女たちも廊下の奥の光景に表情を引き攣らせる。
「的がでかかったからな」
あれならば誰でも銃撃できる。だが、ハインツがいなければ何もできなかった。黒兎は無言でハインツを握り締める。
「……この先に進まなきゃだめぇ?」
虎獅狼に下ろされたカレンは眉間に皺を寄せて自分たちが先程まで歩いていた道を眺めた。
「嫌やなぁ」
バジリスクの中身が飛び散った廊下を好き好んで歩く者はいない。セバスチャンはカレンと同じように眉間に皺を寄せていたが、「仕方ないニャア」ともう一度だけそう言った。
「道は一つじゃないニャ。そっちを使うニャ」
使いたくなかった理由があるのだろう。あまり嬉しくなさそうだが、バジリスクの死骸でできた道ともう一つの道を天秤に掛けて後者を選ぶ。
「あっちニャ」
セバスチャンはもう自分で歩く気はないらしい。自分の思い通りに動くように男に指示をするが、男がそれを嫌がることはなく、他の男女も羨ましそうにしていた。
「三人はこっちだよ」
トロイメライはドミニカたちに手招きをする。
ドミニカたちを縛ったのも、武器を奪ったのも、トロイメライだ。何故大人しくついて来るのかと思ったが、バジリスクが出るようなダンジョンに三人のままでいる方が危ない。死にたくないならばトロイメライについて行くしかないのだ。
「おーい! お前ら! 先頭行ってくれ!」
それは先頭集団になってしまった男女も同じだ。武器もなければ戦う体力も残っていない。黒兎たちは男女を追い越す。
「そこを上ニャ」
上、とセバスチャンは言うが階段ではない。斜面を上がってしばらく歩くと下へと続く斜面が出てくる。
「ほんまに出れるんか、これ」
行きだけで既に二時間は経過していそうだ。こんな時でも腹は減る。ドミニカたちが蓄えた食料がどこかにないだろうか。そんなことを思っていると奥に扉があることに気付く。その途中に階段や曲がり角はないようだ。
「セバスチャン、あん中入るん?」
「……そうだニャ」
セバスチャンの反応は今までと違う。今までの道が最初の道と大差なかったのだ。その反応から、セバスチャンがこの道を通りたくなかった理由が奥の部屋にあることを物語っている。
黒兎は無言で虎獅狼に目配せをした。カレンやトロイメライを先に中に入らせるのは論外だ。奥にいるのは敵ではなさそうだが、念には念を入れた方がいい。
「じゃ、開けるね」
その役目は虎獅狼だ。黒兎は死角に隠れてしまっていなかった銃を構える。
「そんなことしなくていいニャ」
セバスチャンの声は小さい。黒兎は虎獅狼が開けた部屋をハインツを使って確認し、どこにでもあるような普通の客間に首を傾げた。
「何もないやん」
先に中に入った虎獅狼も何も言わない。カレンも不思議そうに辺りを見回している。
「あぁ」
最初に納得したような声を上げたのは、トロイメライだった。
「そうだったね」
思い出したのだろう。トロイメライが眺めているのは人の形をした石像だ。
「なんやこれ、変な像やな」
黒兎は一度、マーヴァル王国で聖女フローラの銅像を見ている。空へと片手を伸ばす聖女フローラは微笑んでいたが、この部屋に置かれた数え切れない程の石像はすべて何者かに襲われたかのような体勢と表情だ。
「趣味悪いな」
大陸の常識がある男女もそう思うらしい。一方、ドミニカたちの反応は違った。
「石化した人間ですよ」
セバスチャンの代わりに説明するのは魔法使いだ。
黒兎を含め気付かなかった全員が息を呑む。そう言われてから見る石像は、不快だと一言で片付けることができない負の感情を浴びせてきた。
「お前らがやったんか」
確認せずにはいられない。そこまで非道な奴らだとは思わないが、知っているなら疑ってしまう。
「やったのはメデューサだ」
剣士が心外だ、とでも言いそうな表情で答えた。黒兎はほっと息を吐くが、周りの男女はそうではない。
「メデューサな訳あるか!」
「馬鹿言うんじゃないよ!」
「本当ですよ。クラウジーニョのところに行けばその死体もあります」
魔法使いは重ねて説明するが、誰もクラウジーニョパーティの二人を信じなかった。
「なんで嘘やと思うねん」
「メデューサは五百年前に勇者アーサーが退治したんだ! ステンノーやエウリュアレーならわかるがメデューサと言うのは許さねぇぞ!」
「それにゴルゴンがいるのは南西だ! 北西にいる訳がない!」
「何を言われてもそれが真実です」
大陸の人間にとって勇者アーサーというのは聖女フローラに並ぶ素晴らしい人物らしい。彼らは怒り狂っているが、セバスチャンは何も言わない。
黒兎は魔法使いの言うことが正しいのだと思うが、とりあえず彼らを止めなければ先に進めそうにない。
「おっちゃんおばちゃん、行けばわか……」
黒兎は口を閉ざす。彼らの声に紛れて遠くから聞こえてきたのは、憎き宿敵の声だった。
「クソ野郎や!」
最初に選んだ道が違ったのだ。黒兎はぐるんと体を部屋の奥の扉に向けて走る。
「あっ、ちょっ! 近衛?!」
「どこ行くの?!」
虎獅狼とカレンを無視して廊下に出た黒兎は、「素晴らしいッ!」と叫ぶウーリの声を追い掛けた。




