第十話 『大陸の異物』
黒兎は無表情のまま剣士が振り翳す剣を避ける。黒兎自身が足を撃たれただけで止まる剣士ではない。剣士が動けることを驚くことなく、もう片方の足を撃つ為に狙いを定める。
「なんだあいつら……!」
血を流しながら剣を振り続ける剣士と、剣士から逃げ回りながら躊躇なく剣士の左太腿を撃ち抜く黒兎。武器を奪われ空腹に苦しむ中年の男女はトロイメライの防御魔法に守られながら血飛沫が舞う戦闘を目の当たりにして恐怖に震える。
国の外に出れば魔獣だらけの大陸で、財宝が眠る数々のダンジョンに夢を見て、魔獣だけが敵だと思い込んでいる彼らは人間同士の争いに視線を逸らした。
例え神や法が許してもまともに育てば人間に武器を向けられる人間はほとんどいない。
トロイメライは多くの人間を見てそう理解したが、トロイメライが今まで見てきた《黒の迷い子》はまともに育っているように見えてまともな人間は一人もいない。
まともに育っていないが故に人間を襲うことができるドミニカのような人間が自分たちに襲い掛かるならば、今黒兎と虎獅狼がそうしているように躊躇なく迎え撃てるのだ。
殺す覚悟は当然、殺される覚悟もできている。
黒髪黒目という珍しい見た目や必ず所持している彼らしか扱い方を知らない武器からそうだと判断する者は多いが、トロイメライは冷静に人間と戦える《黒の迷い子》の魂を見て全員同じ民族だと考察していた。
トロイメライも《黒の迷い子》がどこから来ているのかは知らない。だが、メルヒェン大陸の人間ではないことはわかる。
殺す覚悟も殺される覚悟もできている彼らはメルヒェン大陸にとって異物同然だ。そう理解しているが、トロイメライは相手がどんな人間でも殺せない。見かけても何もすることができない。
彼らがこの大陸で何かをしようとしているならば、トロイメライでは止められない。
厄介だと、今まではそう思っていたのに──トロイメライはまた微笑む。黒兎たちに出逢ったのは偶然だが、トロイメライは自分の豪運を自慢に思った。
戦い慣れていないカレンでさえ、元人魚であるが故に人間に対する攻撃に躊躇いがない。
人魚だけではなくデュラハンやケット・シーも人間に害を与えることがある。トロイメライはそんな彼らを野蛮だと思っているが、妖精に害を与える人間もいる。彼らの間で争いが絶えないのは仕方がないことだった。
この世界は平和からかけ離れた世界だ。それを知るトロイメライの、これから目覚める王女への心配が尽きることはない。
五百年間約束を守れば終わる話ではないのだ。王女の人生はトロイメライ程ではないにしろ続いていく。だからといって王女を自身の飼い人にすることはできなかった。
「しぶといですね!」
「そっちこそ!」
カレンは杖を振って防御魔法で魔法使いの光線を受け止める。
今までの魔法職の人間はカレンを含め全員各属性の攻撃を仕掛けてきたが、それ以外の魔法も使えるこの魔法使いは彼らよりも格上だ。
「──速い」
魔法使いは嬉しそうに口角を上げる。
クラウジーニョと旅をするようになって数年、瞬殺できなかった冒険者は一人もいなかったというのに。
「そっちがお! そ! い!」
カレンは魔法使いの光線にもドミニカの妨害にも素早く対処する。
どの攻撃も呪いの魔女と呼ばれる実母のボーディルや師匠のカロリーナ、もしくはトロイメライと比べるとたいした威力はない。反射神経や動体視力も人魚の時と変わらないカレンは魔法をすべて弾きながら困ったように眉を下げた。
グリフォンにそうしたように相手に渦をぶつけることができたら簡単なのに。屋内であることを悔しく思う。
各属性の魔法しか使えないということは、どこかの戦場で不利になるということだ。
それが許されるのは魔法職ではないドミニカのような戦闘職の人間だけ。最初は土の隆起でカレンと黒兎を躓かせようとしていたドミニカだが、今は虎獅狼に手一杯らしくその回数を減らしている。
カレンを速いと言うなら虎獅狼はカレンを上回っている。ドミニカは少しでも選択を誤れば斬られると感じていた。
「またかぁぁあぁ!」
カレンと違って魔力に鈍感な黒兎はドミニカの姑息な罠に何度も引っ掛かっている。
情けない声を上げて躓く黒兎がいるせいで、ドミニカはどれ程自分に危機が迫っていても妨害をやめられない。むしろ自分が黒兎を切りたいと思っている。
(この男を殺せたら……)
後はご褒美だ。銃撃ならば自分の土の壁で防げる。
──パァンッ!
敵が代われば瞬殺だ、そう思うのに銃声は絶えることなく聞こえていた。
(何故?)
情けない声を上げる男と躓いて転んでも銃口が剣士に向いていたらどんな体勢でも撃てる男は同一人物だ。ドミニカはそんな二面性を持つ人間を知らない。
「だーっ! 邪魔や! はよしばけ工藤! 何してんねん!」
どれ程引っ掛かってもドミニカの罠は黒兎には効いていないようだ。
だが、剣士にも黒兎の銃撃は効いていない。効かない筋肉達磨だから敢えて受けるのだ。
(馬鹿と馬鹿)
そんな馬鹿に全員が手こずっているのは何故だろう。漆黒の髪は大陸では馬鹿の証だ。目の前の虎獅狼もそのはずなのに。
(馬鹿となんとかは紙一重)
ドミニカは短く息を吐いた。
魔法使いの光線もカレンの水玉もすべて防御魔法に防がれている。どちらも黒兎や剣士と違って相手の攻撃を受けるつもりはない。
虎獅狼もドミニカが振り下ろす斧を易々と避ける。
ドミニカは僅かに眉間に皺を寄せた。自分が斧を振り下ろせば、武器も人体も防御魔法でさえも真っ二つに切れる。それが心地良いから斧が好きだ。
早く味わいたいと思えば思う程にひらりひらりと躱す虎獅狼に苛立つ。それでも虎獅狼から見ればドミニカの表情は無表情から変わらない。
人の表情の変化に鈍感な虎獅狼だが、ドミニカの呼吸は次第にわかる。ドミニカが斧を振り翳す瞬間を見逃すはずがなかった。
魔法の扱い方を黒兎程理解していない虎獅狼はドミニカの胸部を真一文字に斬る。血は吹き出すが切断はしていない。トロイメライならばドミニカを救えるはずだ。
勢いはドミニカの首に刀を当てた瞬間に殺す。
「どうする?」
ドミニカは斧を手放さなかった。だが、虎獅狼の胴体を切断しようと動くならば、その前にドミニカの首が切断される。ドミニカにもそれがわかる。
ドミニカならば躊躇なく真っ二つにする場面だが、虎獅狼はドミニカを生かすことを選んだ。
それに驚いたのはトロイメライだ。道中は自分の為に不殺を貫いたのだと思ったが、こんな時でも不殺を貫く人間がいるなんて理解できない。
黒兎へと視線を移す。黒兎は再び狙いを定めてまた引き金を引く。
銃弾は剣士の手首にめり込んだ。剣士は剣を振り翳したが、手首から血を流しながら剣を落とした。
「その怪我で持てたらバケモンやで」
成人になった瞬間に死ぬ──裏を返せば成人になるまで死なないという呪いを掛けられた黒兎だ。頑丈な人間が何に弱いのかを知っている。
剣士は自身の両手首を凝視した。両太腿と両手首。普通の人間ならばもう二度と手足を動かすことができない傷を負っている。
「降参しいや」
黒兎も相手が折れる瞬間を待っている。降参するような人間に見えるのだろうか。見えなくてもそれを促すのだろう。
トロイメライはらしくなくぽかんと口を開いた。
「もうっ!」
残っているのはカレンと魔法使いだ。
黒兎と虎獅狼が加勢すれば魔法使いに勝ち目はない。だが、二人はカレンに加勢しない。カレン一人で充分だと思っている。
頬を膨らませたカレンは大量の水を出して魔法使いの防御魔法を囲んだ。
黒兎と虎獅狼が終わらせたのだ、自分も早く終わらせなければ。そう思った大雑把な性格のカレンは防御魔法の上に大量の水を重ねていく。
「これは……」
元人魚のカレンだから一瞬で実現することができた水の檻だ。渦は暴れるが檻は重ねるだけでいい。それだけで勝手に防御魔法が水圧で壊れる。
「ッ!」
後は水圧に耐えられるか溺れるかの勝負だが。
当然、水中で生きられる人間はいない。
溺れる人間を水中で何度か見ているカレンは魔法使いが気絶した瞬間に水を消す。
首を狙われている戦士、剣を持てなくなった剣士、気絶した魔法使いを魔法で拘束したのはトロイメライだった。
「凄いね」
お世辞でも馬鹿にしている訳でもなく本気でそう思っている。戦場では殺すことよりも相手を降伏させる方が難しい。
トロイメライは三人に回復魔法を掛けて彼らの頭をよしよしと撫でた。
「最初からこうしろや」
黒兎はまだ気絶している魔法使いの縛られた手首を掴んでぶんぶんと振る。
「さすがにあんなに激しく動き回るニーギュに手錠を掛けることはできないよ」
トロイメライは万能ではない。手首を揃えて大人しくしていない人間ならば簡単に破られてしまう。
黒兎は「そうなんか」と呟いて、ずっと硬直したままのセバスチャンに近寄った。
「無事かぁ?」
「ニ、ニンゲン……!」
セバスチャンを襲ったのもセバスチャンに声を掛けるのも人間だ。セバスチャンは涙目になりながらトロイメライの防御魔法を爪で引っ掻く。
「ニャー! ニャア! ニャーニャー! ニャアァァ!」
「セバスチャンのメンタルやばいで!」
嫌いだと思う相手も好きだと思う相手も人間だ。セバスチャンは昇華できない気持ちを抱えて鳴きながらごりごりと引っ掻き続けた。
「じゃあなんとかしてよ」
「なんでやねん」
「ニーギュは猫好きでしょ?」
「せやな」
黒兎は頷いて戦闘中何もしていなかった中年の男女に暴れるセバスチャンを渡す。
黒兎も虎獅狼もカレンも猫に特別な感情はない。腕を引っ掛かれてもにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべている彼らに任せる。
「ニャアァァアァ! 助けてニャアァァアァ!」
「案内だけ頼むわ」
「上ニャア!」
ドミニカたちを連れてセバスチャンの言う通りに歩いていく。先を歩くのは虎獅狼で、その後を何故か黒兎がついて行く。
隣を歩いているのがカレンとトロイメライで、トロイメライの後ろを歩いているのがドミニカたちだった。
「先行けや」
黒兎は狙撃手だ。魔女や射手の隣を歩いているのはおかしい。
「嫌かな」
「私も!」
トロイメライは黒兎と虎獅狼からなるべく離れたくない。だから必然的に黒兎の隣を奪われたくなくて死守しているカレンが最も近い場所にいる。
何があっても人を殺めない《黒の迷い子》に初めて興味を持ったのだ。カレンが最も近いとはいえ、離れることは考えられなかった。




