第二十九話 『三国の誓い』
真っ赤に染まった深紅のドレスは、綺麗に纏められた赤髪によく似合っていた。
カレンが仕立て屋から帰ってくるのを中庭で待っていた黒兎は姿を現したカレンを見て固まり、「どないしたんそれ」と尋ねる。
「仕立て屋の人が作ってくれてたの」
リタ以上とはいかなかったが黒兎と虎獅狼の反応は悪くない。カレンは満足して一回転し、足を縺れさせて派手に転んだ。
「あぁーっ!」
カレン以上に慌てたのは黒兎だ。全力で走ってカレンを抱き起こし、ドレスの無事を確かめる。
「か、カレン金どないしたん払ってへんやろ! いや払ってても汚したらあかん! 汚れてへんよな?!」
「む、無料! 無料で! よくわからないけどこれくれたの!」
黒兎の反応を見てカレンはすぐに否定する。有料だったら黒兎が嫌な顔をすると思ったのだろう。そこまで守銭奴な人間ではないとツッコもうとしたが、黒兎の口から飛び出してきたのは「えっ?! なんでなん?!」だった。
「わかんない! 着てほしいって言われたから着て帰ってきたの!」
黒兎と虎獅狼の代わりにカレンに付き添ったマーヴァル王国とキルデルシュ王国の騎士たちを見るが、彼らはカレンの言うことを否定しない。本当に仕立て屋の善意で綺麗なドレスを貰ってきたらしい。
必要なのはドレスではなくカレンの服だったが、一人の騎士の腕の中にはカレンが仕立て屋で注文した服がある。それは、海のような青色のローブだった。
「カレン様なんですかそのドレス!」
カレンはカレンを迎えに来たメイドたちにも同じ説明をする。黒兎と虎獅狼、そしてカレンには正装が用意されていたらしいが、メイドたちはカレンの為に作られたドレスとそれを着たカレンを見て恍惚とした表情を浮かべた。
黒兎と虎獅狼は遅れて来た執事たちに連行されて正装に着替える。そうしてカレンと合流した場所は、城のバルコニーだった。
「ここで見てええの?」
バルコニーは海の反対側にあり、そこから花束のような花の庭が見える。そこには結婚式を見る為に集まった大勢の国民たちがおり、白く飾られた新しい国王と王妃を見上げていた。
「関係者はここなんだって」
先に来ていたカレンはカレンに気付いた国民たちに手を振っており、その姿はどこからどう見ても王女だと黒兎は思う。
「俺たち関係者なんだ」
ウーリに討伐依頼を出されなかったら黒兎と虎獅狼はここにはいなかっただろう。いなかったらカレンと会うこともなかっただろう。
水の剣士の代わりに水の魔女が加入したのはどんな奇跡か。その有り難さを思い知った。
「お。ハインツおるやん」
手鏡は常に持っているが、黒兎たちの背後には壁に掛けられた横に長い鏡もあった。
「手鏡よりもここの方がよく見えるな」
壁に掛けられたハインツは項にベラドンナの痣を咲かせた三人を眺める。
魔女に呪われた者は少なくないが、三人集まることは珍しい。それがメルヒェン大陸とは無縁の三人であることを面白いと感じている。
「お。こっちはイェンスか」
黒兎は未だに自分たちを監視するイェンスの気配を察してその方向へと視線を向けた。イェンスは「こっちじゃなくてあっちです」とヴィガとヒルデがいるバルコニーを指す。結婚式は既に始まっており、国民たちが固唾を飲んで見守っていた。
黒兎たちがいるバルコニーの反対側にはオルメイやヴィガの母やスヴァインの他に顔以外を布で隠したクラウス、そしてカレンの五人の姉妹たちがおり、その隣にはエスタもいる。
「そういやエスタって結局どうなったん」
国民たちはエスタが何をしたのかを知らない。エスタがしたことを考えてエスタを結婚式に出さなければ、何かあったのかと訝しむ者も出てくるだろう。そういう意味ではいてもおかしくない。
「この結婚式が終わったら、他国の貴族と結婚する為にマーヴァルから出ます。……まぁ、表向きの話ですが」
「本当は?」
虎獅狼は遠慮がない。だが、カレンもイェンスの話を真剣に聞いていた。
「マーヴァルに残って、大臣としてヴィガ国王を支えます」
あんなことがあったのに二人はこれからもマーヴァル王国の血肉として生きていく。その関係が義兄弟であっても、国王と大臣であっても、二人は変わらずこの国で生きていく。
安堵の表情を浮かべたのはカレンだった。
虎獅狼は真実を知ることができればそれで満足なのか無表情のままヴィガとヒルデを眺めるが、黒兎は何があっても故郷から離れられないヴィガとエスタをどのように見れば良いのかわからなくなった。
黒兎も虎獅狼もカレンも故郷には帰れない。黒兎は帰りたいと願っているのに帰れない。虎獅狼は故郷を覚えていないせいで故郷に執着がない。カレンは夢の為ならば故郷に帰れなくてもいいと言う。
ヒルデはリタと違いこれからマーヴァル王国で暮らすのだろう。だが、キルデルシュ王国に帰れない訳ではない。ドナトリア王国から絶対に離れないと決めているリタでさえマーヴァル王国に羽を伸ばしに来れるが、ヴィガとエスタにそんなことができるだろうか。
黒兎とカレンは正反対だが、黒兎とカレンはヴィガとエスタとも正反対だった。
「皆さんに話があります」
結婚式は滞りなく進んでいると思ったが、進行を遮ってヴィガが国民たちに声を掛ける。場は一瞬だけざわめいたが、真っ直ぐに前を見据えるヴィガを見て次第に静寂を取り戻していった。
「マーヴァル王国が花と海の国になって、二十年以上の時が経ちました」
花に囲まれていても海の匂いは消えてくれない。花が海の匂いなのだと誤解する程にこの国は花と海に包まれている。
「私たちは増え続ける観光客の要望に応える為に漁業に手を出し、農業を捨てました」
カレンは拳を握り締めた。その隣で虎獅狼が顔を顰めたのは虎獅狼が魚介アレルギーだからで、魚を想って心を痛めた訳ではない。
なんだかんだ魚を口にしていない黒兎は寿司が食べたかったなぁと北国の空を見上げた。
「──それを捨て、農業の復活を目指します」
ヴィガはカレンを一瞥する。本当に一瞬だけ視線を向けただけだったが、カレンはその視線に込めたヴィガの想いをしっかりと受け取る。
人魚がこの世界にいると確信したヴィガはもう迷わない。カレンは微笑んで静かに涙を流した。
ヴィガはもう、水底に沈むことを選ばない。
同じ言葉を使っているのに理解できない、ならば声が出なくてもいいと思ってカレンはあの日声を捨てた。そう思ったのは間違いだった。
言葉を交わせなかったからカレンはヴィガの心もボーディルの心も誤解したのだ。
黒兎が寝ていた時、ヴィガはカレンに何故助けたのかと尋ねた。
数日前も、今も、何故海の底から引き上げてくれたのかと。短剣で刺されてもいいと思ったのにと。
ヴィガはカレンの想像通りのことを思っていた。馬鹿だと言って叩くことは簡単だが、エスタが既にヴィガを叩いている。
カレンは眉を下げて『ヴィガの顔が好きだから』と言って笑った。そうすると、ヴィガも予想外の返答に笑みを零した。そんな風にずっと笑ってくれることを願う。
『一度助けた人間を殺したい人魚なんていないんだよ』
本心は止まらない。ずっと言葉を交わしたくて水底から見ていたからかとめどなく言葉が溢れてくる。
言葉を交わしていたら違う結果になったとは思わないが、ヴィガと話すことがこんなにも楽しいと知っていたらもっと前から話したかった。小舟に乗ったヴィガの下まで泳いで、声を掛けて、仲良くなっていたら三国の王たちの話がここまで拗れることもなかっただろう。もっと早くにヴィガを海の呪いから解き放てたはずだ。
そんなこと、今さら考えても遅いのに。
『ありがとう』
カレンは礼を言うヴィガの晴れ晴れとした表情を目に焼き付ける。その綺麗な笑顔だけは何年経っても忘れたくなかった。
ヴィガに続いてスヴァインも農業に力を入れることを発表する。
クラウスの為に漁業を廃止することが目的だが、そこにはドナトリア王国との貿易も関わっていた。
ドナトリア王国には何もないが、ドナトリア王国の北西には広大な土地が余っている。
降り続ける雪がその土地を人間が住めない場所にしているが、雪に慣れているドナトリア王国の国民たちならば話は別だ。ヴィガとスヴァインは国王としてそこに期待していた。
国民たちは何故急にそんな発表をするのかとざわめくが、マーヴァル王国とキルデルシュ王国がデュアル王国の親族になったことは言えない。そもそもデュアル王国の存在を明かすことができないのだ。一方的にやめると言って申し訳ないとヴィガもスヴァインも思っている。
だが、肉を望んでいる声があるのも事実だった。二十年以上前は肉食がほとんどだったのだ。戻れないことはないと思っている。
それでも完全に魚食が失くなることはないだろう。それは三国すべてが思っていることだったが、他でもないクラウスが多少は目を瞑るべきだと告げた。
心がある者から大切に思われているのは魚だけではない。魚を大切にするあまり動物を乱獲することがあってはならないというのがクラウスの意見だ。
結婚式が終わって大広間に集まった三国の王族たちは、クラウスの意見を大切にすることを決めた。スヴァインとヒルデは水に浸かったクラウスの鰭を見つめ、クラウスがなんと言おうと魚は食べられないと思った。
「ところで二人とも、父は元気か」
いつか聞かれるかもしれない。そう覚悟していたスヴァインとヒルデは「わからない」と素直に答える。
「十八年前に父様がいなくなってからずっと旅に出ているんだ」
「生きているのかも死んでいるのかもわかりませんわ。お爺様の顔も名前も知りませんもの」
カレンに付き添う形で大広間に来ていた黒兎は、「旅に出てんならいつか会うかもな」と口を挟んだ。
「いや、コノエ坊は既に会っている」
「「「えっ?!」」」
声を上げたのは黒兎だけではない。スヴァインとヒルデは黒兎の肩に乗った手鏡に詰め寄るが、手鏡が喋ることにはもう驚かないのかと黒兎は思った。
「アブラハム坊だろう」
「嘘やん!」
ハインツの言う通り黒兎はその人物のことを知っている。言われてみれば確かにアブラハムはキルデルシュ王国出身だと言っていた。キルデルシュ王国の旗を見て逃げた理由もようやく合点が行く。
「どこで会った?!」
スヴァインがハインツが乗っていない方の黒兎の肩を掴んだ。
「マーヴァルの西や」
「今はどこにいらっしゃるの?!」
ヒルデもスヴァインに負けない声量で黒兎に尋ねる。
「……そういや西に行く言うてたな」
トレステイン王国に戻るとは考えにくい。多分南西に行ったのだろう。
スヴァインとヒルデは顔を見合わせた。
「捜索依頼書ですわ!」
「顔がわかるものがない!」
アブラハムの実子はクラウスだが、キルデルシュ王国の十八年を知らないクラウスは騒ぐ実子二人に気圧される。
「大丈夫だ」
そんな三人に声を掛けたのは今回も黒兎ではなくハインツで。
「旅に出るカレン嬢ならばいつか巡り会える」
そっと、スヴァインとヒルデと同じくアブラハムの孫であるカレンを映した。




