幕間 『諦めたくない恋だから』
黒兎がヴァルトラウトを殺して救われたのは輝夜だけではない。
第一皇女の服を着て禁所に向かうと、それぞれの項を無言で見つめる子供たちがいた。
「あっ!」
輝夜が来る前から禁所は静かだったが、子供たちは輝夜を視界に入れて動きを止める。
「姫様……」
彼らは幼い頃から宮殿に住んでいるが、彼らと輝夜は義兄弟ではない。皇族と一般人では身分が大きく異なっている。あの日家族を亡くしたのは輝夜だけではないのに、輝夜だけがあの日からずっと孤独だった。
「話は聞いているな」
輝夜の周りにいるのは軍人ではなく職員だったが、彼らの間に緊張が走る。輝夜は十年以上前から職員として働いている者しか傍に置かない。彼らにとっても親の顔よりも見た顔ばかりだっただろうが、誰も職員を親として見れなかった。
輝夜も親代わりになってほしくて長い間勤めてくれている者たちを傍に置いている訳ではない。十年前のあの日を知っている職員だけが、輝夜が皇帝であることを知っているのだ。
そんな職員に接する時、輝夜は第一皇女としての輝夜であることを許されなかった。だからこんな喋り方になる。
本当の自分は違う喋り方をしていたはずなのに、もうどんな喋り方をしていたのか覚えていない。本当の自分は十年前から少しずつ削られていた。
「我々の呪いは解けた。貴様らはもう自由だ」
子供たちにとってはそうだろうが、輝夜にとってはそうではない。ただ終わる日が延びただけだと思う。
輝夜はそれだけを告げて踵を返した。彼らは輝夜が告げる前からその事実を知っていたが、輝夜が自分の口から伝えたくてここに来ることを選んだのだ。伝えてしまったらこれ以上この場所に用はない。
「姫様! 黒兎がやったんですか?!」
輝夜は思わず足を止めた。一つ屋根の下で暮らしているとはいえ輝夜と子供たちは滅多に会えない。今を逃したら次はいつ会えるかわからないから子供たちは勇気を振り絞って尋ねたのだ。
子供たちは日々努力を重ねる黒兎を輝夜よりもよく知っている。子供たちとは言うが輝夜の同い年も黒兎の同い年もいて、輝夜が答えるその瞬間を待っていた。
自分の終わりよりも第一皇女である輝夜の終わりを。
自分の終わりよりも復讐を決意した黒兎の終わりを。
心配して、その命が終わるのを惜しいと思ってくれていたのが輝夜と黒兎の同い年たちだ。
輝夜にとっては友人でさえないが、赤の他人と言うつもりもない。昨日まで当たり前のようにそこにあったものを大切にしたいと思う気持ちに身分差はなかった。
「……そうだ」
黒兎の為に嘘は吐きたくない。彼ら程ではないが輝夜も軍人たちに鍛えられてきた黒兎の姿を目で追い掛けていた。彼らには黒兎が本懐を遂げたことを知っていてほしくて言葉を絞る。
「黒兎は今どこにいるんですか?!」
素直に答えるとやはりそれを聞かれてしまう。軍人になることは今生の別れではない。彼らが黒兎に会えないことを不審に思うのは当然だ。
「貴様らにそれを知る権利はない」
輝夜が黒兎を忘れられないように、彼らだって黒兎を忘れられない。それはわかっているが口が裂けても黒兎の現在だけは言えない。
輝夜が皇帝であることも魔女であることも知られてはならないように、黒兎が月光国から遠く離れた世界にいることも知られてはならない。
黒兎は亡くなったと嘘を吐くべきなのだろうが、輝夜はそれさえも言えなかった。
「生きて……いますか?」
輝夜がそう思っているように、彼らも黒兎には生きていてほしいのだ。
家族でも友人でもなかったとしても、どこかで元気でいてほしいと思えるのは黒兎が常に真っ直ぐだったからだろう。
「あぁ」
輝夜は最低限の返事をして禁所を後にする。
幼い頃から十八歳になれば死ぬのだと思って生きてきた。自分と同じ境遇の同年代と共にいればその運命を思い出して苦しくなった。
愛することも愛されることも無駄だと思っていた。
同じ境遇の者たちに心を許せば許す程に十八歳の誕生日が恐ろしくなる。他の子供たちは誕生日を喜ぶことができるのに、それができない自分たちに絶望して憎しみをぶつけたこともある。
当たり前に過ごせたはずの時間が砂時計の中の砂のようにさらさらと落ちていった。当然手元には何も残らない。
そんな中で黒兎だけが毎日を必死に生きていた。
多分だが、呪いが解けてすぐに幸せを感じる者はいない。それ程多くの子供たちが十八歳の誕生日で亡くなっている。宮殿の外に複数あった禁所が今は宮殿の中にしかないくらいに自分たちには亡くした者が多過ぎる。心がついて来てくれない。
それでも輝夜は前にしか進めなかった。
眉間に皺を寄せながら次に訪れたのは応接室だ。そこには輝夜の同級生の御影将門と将門をここまで案内した職員がいる。
「久し振りですね」
将門は同い年とは思えない艶のある笑顔を浮かべて立ち上がった。
戦国時代に武将として活躍した者の末裔の将門は、財閥の御曹司としても有名な男だ。輝夜には将門のような同級生が数多く存在している。
その中で最も血筋が良い将門が輝夜の婚約者として挙げられていた。
「座れ」
輝夜は将門を婚約者として認めていない。だが、輝夜の寿命が十八歳で終わると判明した時、真っ先に白羽の矢が立ったのが将門だった。
国を想えば結婚することも、子供を産むことも、輝夜の伴侶が将門でなければ釣り合わないと思われていることも、理解できる。
初めて会ったあの時からずっと、将門が輝夜の伴侶になるつもりでいることも知っている。それでも輝夜は首を横に振り続けた。
輝夜に唯一残された親族である大叔父の月皇熾成だけが将門を婚約者にと言い続けたが、国が続くことを望んでいる職員たちは様々な男たちを宮殿に呼んで輝夜に会わせる。それでも輝夜は首を横に振り続けた。
黒兎がヴァルトラウトを殺しても、時間切れが延びただけで輝夜の運命は変わらない。
禁所に行って黒兎の話をした輝夜は将門と話をしても黒兎のことばかり考えてしまう。
皇帝であり皇女である輝夜は呪いが解けてから発生した公務が多過ぎてしばらく学校に行けなかった。
そんな輝夜に将門がどれ程学校の話をしても、輝夜の興味関心は将門にも学校にも向かない。将門はそれを承知の上で話していた。
軍人になる為に進学を選ばなかった黒兎は将門が言う学校行事に参加できない。何も習っていない黒兎が輝夜が渡された宿題を解くことはできない。
輝夜が進学を選んだのは学歴を得る為だ。
将門の話をぼんやりと聞きながら、初めてそのことを自覚した。
「……それで、私と婚約していただけますか?」
将門に会う日はいつもその話題で終わる。
将門は不登校の人間にプリントを渡す係を進んで行う御曹司ではない。相手が輝夜だから進んで行うのだ。そうやって少しでも多く輝夜と将門が同じ時間を過ごすことを輝夜の婚約者を探している者全員が望んでいる。
「またその話か」
「姫様に私とのことを考えてもらう為ならば何度だってします」
誇張ではない。将門は幼馴染みではないが、それ程幼い頃から何かと理由をつけて輝夜に会いに来る狂人だ。
将門の想いと周囲の思惑が上手いように噛み合っているから将門は何度も宮殿に入ってくる。暇ではないはずなのに暇人かと思う程の頻度だ。
──それ程皇帝の座がほしいのか。
輝夜は魔女として大抵のことができるが、人間の心だけは読めない。将門がそういう人間ならば躊躇うことなく牢屋に入れるなり記憶を消すなりして無理矢理にでも自分から遠ざけるのに。
何故、自分に関わるものだけが上手くいかないのだろう。
輝夜は将門から視線を逸らした。
「何をすれば姫様は私のことを見てくださいますか」
「一生見ない」
「ならば諦めさせてください」
「諦めろ」
「無理です」
輝夜は思わず顔を歪めた。面倒臭い男だ、例え天と地がひっくり返っても将門を選びたくないと答えが出てしまう。
「私の辞書に諦めるという言葉はありません」
「なら何故諦めさせろと……」
「私の愛を試してほしいのです」
輝夜の言葉を遮って将門が言う。
「期限は十八歳の誕生日でしたよね」
十年前、輝夜がそれまでに結婚して子供を産まなければならないと最初に聞かされた部外者が将門だった。
覚えていたのか──いや、その期限をすべてなかったことにしろと命令したのは輝夜だ。伝わっていてもおかしくない。
「それまでに達成できなければ諦めます。私の愛を試す課題をください」
輝夜は耳を疑った。理解するつもりはないが狂人の考えていることは理解できない。
「なんでもいいですよ」
輝夜が将門の考えを読もうと思考を巡らせる間も将門は勝手に話を進めていく。身分は輝夜の方が上なのに、今も昔も将門の歩調で歩いているようで苛々する。
「……仏の御石の鉢」
呟くと正門は絶句した。
「……蓬萊の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の珠、燕の子安貝」
それらすべてはたった今輝夜が考えた物だ。
「それを全部持って来い」
この世に存在しないが、輝夜の魔法があれば簡単に生み出せる。
「何を言って」
「なんでもいいんだろう」
輝夜は皇帝だが鬼ではない。将門が宮殿から出たらすぐに生み出して月光国のどこかに隠す心はある。
「期限は私の十八歳の誕生日。参加者は私に求婚する男たち全員」
将門の表情が次第に険しくなるが輝夜は口を閉ざさない。
「──勝負だ」
将門の返事を聞かずに応接室から飛び出した。口だけの男ならば好都合だ。誰も見つけることができなかったら輝夜は結婚を急がない。皇帝である輝夜の決定に文句は言わせない。
「姫様?!」
職員たちが慌てて輝夜を追い掛ける。輝夜が目指す場所は梟小屋だ。そこには輝夜が飼っている数千羽の梟がいる。
「姫様どういうことですか?! 何をしようとしているのですか?!」
輝夜は構わずドレスの中から杖を出した。十年以上も勤めている職員たちが見ているならば問題ないだろう。五つの宝を魔法で生み出す。それを小袋に入れて五羽の梟に託した。
「国の各地へ」
一言で命じて空へと羽ばたかせる。職員たちは梟を視線で追い掛け、「本気なのですね」と諦めた。
「誰かが見つけたら私も諦める」
そういう勝負だ。輝夜は杖と同じ場所にしまっていた黒兎のスマホを取り出して指で撫でる。
「……諦めるから、足掻かせて」
そして杖と共に元の場所にしまった。
「それで、近衛は?」
輝夜はいつの間にか落ちていた視線を上げる。
「近衛というか、工藤大尉が海の魔女と交戦したようです」
そして一瞬で体が強張った。
「殺したのか」
「いえ、生きています」
輝夜はゆっくりと体を弛緩させる。輝夜が殺したかったのは天の魔女だけだ。海の魔女は関係ない。
「今何をしているんだ」
手を出して手鏡を要求する。渡されたそれを見ると、何故かタキシードのような服を着ている黒兎と虎獅狼、そしてドレスを着た輝夜と同年代の少女が映った。
「……増えてる」
少女は黒兎と虎獅狼と仲が良いようだ。数日前に同じくらい仲が良さそうだった女が離脱したばかりなのに。
「…………増えてる」
職員たちは立ち尽くす輝夜を黙って見守る。梟が輝夜の頭に留まっても、輝夜は身動ぎもせず見つめていた。




