第二十八話 『海と白雪』
虎獅狼としょうゆに迎えに来てもらい、黒兎たちはマーヴァル王国の城に戻る。
行きと違って座席を買っていた黒兎は、喜んで足を伸ばすカレンを見て笑みを零した。黒兎と虎獅狼とハインツだけならば座席は要らない。ハインツは最初から、なんだかんだ言いつつも黒兎がカレンを仲間として認めていることを知っていた。
「あ。帰ってきてたんですか」
三人で廊下を歩いていると、見回りをしていたイェンスに会う。
「ついさっきな」
「それ、凄い荷物ですね」
イェンスは黒兎と虎獅狼が持つ荷物とカレンが持つハインツ、クラーケン、花束を見てそう言った。
「これでも少ない方やで」
座席や飼葉は馬車に置いたままにしている。持ってきたのは馬車に置けないものだった。
「いつ出発するんです?」
「どないしようかなぁって。明日カレンの服ができるんやけど、昼に出て変なとこで野宿もしたないしなぁ」
「じゃあ明後日にしてくださいよ。明日はヴィガ殿下にとって大切な日になりますから」
イェンス曰く、明日の午前に戴冠式を行って午後に結婚式を行うらしい。話は聞いていたが同日にやるとは思わなかった。
「なら明後日にするわ」
黒兎はカレンを見てそう言った。
カレンがヴィガの結婚式を見たいのかはわからない。だが、その結婚式にクラウスやカレンの姉妹たちが来ることを知っている。海にハインツを沈めない限りカレンが彼らに会えるのはその日が最後なのだ。
「あの……その結婚式ってウーリ様は招待されていないのですか?」
小声で尋ねたのはリタだった。イェンスの手前気を遣ったのだろう。だが、リタに気付かないイェンスではなかった。
「またコノエの魔法か!」
カレンが持つ手鏡を覗き込むと、当然そこに映っているリタと目が合う。イェンスは固まってすぐに膝から崩れ落ちた。
黒兎が説明する前にリタが自己紹介をすると、イェンスが廊下に倒れたまま「貴方様が?!」と大声を出す。
「どうしたんだイェンス」
大声は城中に響いていたらしい。すぐに廊下の奥からヴィガとヒルデ、そしてスヴァインが姿を現した。
リタにとって彼らは他国の王である前に夫の幼馴染みだ。緊張しながら挨拶をすると、三人はイェンスと同じように固まった。
「おーい」
仕方なく黒兎とカレンが三人の目を覚まさせる。
「ウーリの……妻……?」
「何かの間違いだ!」
ヒルデとスヴァインの反応を見た虎獅狼は、「傾国だねぇ」と顎に手を添えて頷いた。
「私は本当にウーリ様の妻でドナトリア王国の女王です! 信じてください! お願いします!」
リタは信じてもらおうと慌てて告げるが、そうすると余計に怪しく見える。
「大丈夫です、信じています」
リタの討伐依頼書を見たことがあるヴィガだけがリタの言うことを信じていた。
「会えて良かった……。ちょうど父が貴方に会いたがっていたんです」
「えっ?」
リタは目を丸くする。ヴィガが言う父とはまだマーヴァル王国の国王であるオルメイだ。
「なら、マーヴァル王国に来るか」
「ん?」
喋ったのはハインツだ。手鏡に目線を合わせていたヴィガは誰が喋ったのかと犬のように首を傾げる。
「来るってどういうことなん?」
そんなヴィガを黒兎が押し退けた。
「リタ嬢が通れる鏡があればこの国に来れる」
「ほんま?! 全身鏡! ヒルデ! 全身鏡や!」
リタから一度も視線を逸らせないヒルデに急いで詰め寄る。そんな黒兎をヒルデが押し退けた。
「そんなものありませんわ! わたくしの部屋見てたでしょう?!」
「城で一番大きな鏡は謁見室にあります」
「行くで! 工藤、これ頼むわ!」
黒兎は自分の荷物を虎獅狼に押し付け、両手が塞がっているカレンを荷物を持つように抱き上げる。
「どこや謁見室ーっ!」
そしてそのまま走り出した。
「えぇええっ?!」
「コノエ坊、そこを右だ。そのまま真っ直ぐ、そこの階段を上がって」
叫ぶカレンとは違いハインツは冷静だ。扉の前にいるマーヴァル王国の騎士たちをカレンを盾にして退かし、黒兎は謁見室の中に入る。
そこに、白色のドレスを着たリタが立っていた。
リタは黒兎と黒兎に抱き上げられたカレンを視界に入れて一瞬驚き、何事もなかったかのように微笑む。
カレンはハインツとクラーケンと花束を抱き寄せて、初めて生で見たリタに息を呑んだ。
「不審者発見! どこから……これは……夢……?」
謁見室に人影を確認した騎士たちが黒兎とカレンを護るように雪崩れ込むが、リタを視認した瞬間に勢いが落ちる。リタが美し過ぎて幻を見ていると思ったのだろうか。彼らも固まって動かなくなった。
「何事だ」
振り返るとオルメイがいる。遅れてやって来たヴィガが、「彼女がリタです!」とオルメイに説明した。
「いつここに来たんだ、私は何も聞いていな……」
「カレンの魔法や!」
黒兎はカレンを下ろしてカレンに目配せをする。カレンは「そうです!」と頷いたが、カレンが魔女として歩き始めたばかりであることを知っているオルメイは信じてくれるだろうか──。
「……そうか」
間はあったがオルメイは信じた。「会えて良かった」と先程のヴィガと同じことをリタに言う。
「トレステイン王国に暮らしているのか」
「いえ、ドナトリア王国で暮らしています」
「トレステイン王国にはよく行くのか」
「いえ……復興が忙しくて……」
叱られると思ったのかリタは申し訳なさそうに縮こまったが、オルメイは「ウーリ国王はドナトリア王国に来るのか」と気にせず続けた。
「いえ……ウーリ様も忙しい方なので……」
ヴィガとヴィガの背後にいるスヴァインとヒルデは顔を見合わせる。安堵しているように見えるのは気のせいだろうか。
「そうなるのか」
呟いたオルメイが考えていることもわからない。髭を撫でるオルメイは、「復興に必要な物はあるか」と尋ねる。
それを聞くということはそれを与えるということか。
思っていることが顔に出やすいリタは戸惑うが、深呼吸をしてオルメイを見つめた。
「資材も食料も足りていません。我が国と貿易をしていただけませんか」
リタは無償を知らずに生きてきたのだろう。相手に何かを求める時は相手が求めるものを差し出すべきという考えは女王として当然だろうが、そもそもの話、リタの中に無償という選択肢がないような気がして胸が締め付けられる。
「ドナトリアには何も期待していない」
発展しきったマーヴァル王国にとってはそうなのだろう。オルメイは下がり、入口付近に立っていたヴィガとスヴァインを前に出した。
「個人的な援助はするが、国としてと言うならば二人と話をしてくれ」
突然話を振られたヴィガとスヴァインはオルメイを凝視する。だが、二人にとってリタは国の為にウーリに嫁いだ女だ。最初から同情していたが、ヒルデやカレンと比べて謙虚で儚いリタを見ていると余計に何かをしてあげたいと思ってしまう。
「投資だな」
スヴァインが腕を組んだ。
「そうだな」
ヴィガが頷いた。
リタが簡単にマーヴァル王国に来れたのだ。この先技術や魔法が発展すれば、ドナトリア王国は遠い国ではなくなる。その先の土地の広さは地図を見ればわかることだった。
*
三人の王の話を黙って聞いていることしかできなかった黒兎は、海に行きたいと勇気を振り絞って我儘を言ったリタを喜んで海に連れて行く。
「わぁっ!」
ハインツから聞いていたそれは、リタの想像以上の景色だった。
海の色は青色と聞いていたが、その上に広がる空の色の青色とは違う。太陽は北国に温もりを与え、光は海に反射して輝く。リタは深呼吸をして、ドナトリア王国にはない空気を体に取り入れた。
城にいた時はそれ程でもなかったが、海に近付けば近付く程に不思議な匂いがする。リタは少し動きづらい砂浜を懸命に歩いて海の目の前で立ち止まった。
「この匂いって、もしかして海の匂いなんですか?」
「らしいで」
当たっていたらしい。リタは嬉しくて思わず笑みを零し、深呼吸を繰り返す。黒兎はそんなリタを微笑ましく眺めながら、数日前の自分のようだと思った。
「花があって、海があって──この国は本当に素敵ですね」
心から言っているようだがリタのその言葉に込められた感情は憧れではない。黒兎は寂しそうなリタの横顔を見て、自分の知らないリタがいるのだと当たり前のことに気が付いた。
「良かったな。花貰えて」
リタがマーヴァル王国に求めた物の一つが食料の種だった。
半日をマーヴァル王国の観光に使ったリタは至る所に花が咲いているこの国を見て何を思ったのだろう。その景色を褒めたリタに、ヴィガが花の種を贈ると言ったのだ。
「はい」
野菜は生きる為に必要だが、花はそうではない。そう思ったリタは遠慮したが、「花は人の心を癒す」と言ったヴィガの前で涙を流す。
ヴィガは慌てて「聖女フローラの言葉です」と付け足して、「聖女フローラが誕生した国の王として、聖女フローラの意志を継ぎたい。協力してくれますか」と復興を目指すリタに微笑んだ。
「……カレン様が持っていた花束、凄く素敵でした」
黒兎は花束を持ったカレンを思い出す。黒兎にとって花束といえば花嫁だ。リタがそれを持ったことがあるのかは知らないし、想像もしたくないが、リタのその言葉には憧れが込められているような気がした。
「せやな」
「私も、あんな風に花を愛せる国にしたいです」
ドナトリア王国は明日生きているかもわからない者たちで溢れていた。食べられるのなら花も食料だったはずだ。リタはそんな国を良しとしない。
謁見室でヴィガとヒルデから結婚式に招待されたが、リタはウーリが招待されていないならば出席できないと断った。その上もう一日もドナトリア王国を空けている、これ以上は離れられないと言ったリタをヒルデが抱き締める。
同じ王族でも生まれた国が違うだけで背負うものが大きく違う。ヴィガやエスタを見ていればわかることだったが、この大陸の国はマーヴァル王国とキルデルシュ王国だけではない。マーヴァル王国の王妃になる前にリタに会えて良かったと思った。
「俺はドナトリア王国の黒騎士やからな。なんかあったらほんまに飛んで帰ったるわ」
その為には全身鏡が必要だということがわかった。馬車に乗せる場所がない気がするが、なんとかなるだろう。
「ふふっ。何かあったらよろしくお願いします」
リタは今日も心からの笑顔を見せている。復興は簡単ではないが、タラとローラが傍にいる。一人で抱え込むことはないだろう。
「お使いもできるで」
「欲しいものがあったらお願いしますね」
多分リタからは何も望まないだろう。黒兎は一時の休息を楽しむ何者でもないリタの黒騎士として、リタがドナトリア王国に帰るまで傍にいた。




