第二十五話 『大道芸人カレンⅠ』
分厚い魔法書をカレンに持たせる訳にはいかない。そう言って黒兎は魔法書をすべて持ったが、ビニール袋やエコバッグがない世界だ。持ちにくくて仕方がない。
そういう訳で黒兎たちは一旦馬車に戻り、虎獅狼に声を掛ける。リタが虎獅狼に挨拶をすると、虎獅狼は「どなたですか?」と尋ねた。
「リタや」
最悪の記憶力だ。まさかと思って「ラッセラーラッセラー」と言ってみる。虎獅狼は狂人を見るかのような目で黒兎を見ていた。
「俺の名前覚えとる?」
「近衛でしょ」
何言ってるんだ、と言いそうな表情に腹が立った。黒兎は魔法書を馬車の中に置いて「見張り頼むで」と踵を返す。腹が立つが、それが輝夜の呪いの一部ならば黒兎は何も言えなかった。
「え、また行くの?」
「食料と日用品買うたらすぐ戻るわ」
黒兎が行くと、カレンがついて来る。カレンがついて来ると、カレンが持っているハインツとリタ、ついでにクラーケンもついて来る。
虎獅狼と一緒にいることが嫌な訳ではないが、カレンは自分を唯一信じてくれた黒兎の傍にいたかった。
「…………」
あの時の礼はまだ言えていない。再会した時は照れくさくて言えなかったが、今は言うタイミングを逃して言いづらい。
虎獅狼が仲間に誘ってくれた時は心底嬉しかった。魔法の勉強なら魔法学校に行った方がいいとヴィガとヒルデだけではなくスヴァインやエスタからも言われたが、カレンが虎獅狼の誘いに乗った唯一の理由が呑気にカレンの前を歩いている黒兎だ。
あの広い海でヴィガに惹かれていたように、この広い陸で、黒兎がいない場所にいたいと思う理由がない。
独学でも魔法の勉強ができるなら、カレンは黒兎の傍で勉強したかった。
カレンは黒兎と談笑する手中のリタ──いや、ハインツの後ろ姿をじっと見下ろす。黒兎の傍にいるのは自分なのに、心が遠い。
「ねぇ、何買うの」
物理的に二人の間に割って入ることはできない。カレンは頬を膨らませて黒兎に尋ねる。そんなカレンの表情をリタとハインツが見ることはなかった。
「日用品先に見に行くか」
黒兎はカレンを無視しない。街を歩いている目的を忘れた訳ではないようだ。
「ハインツ、仕立て屋どこや。安……いや……高くても……えぇ……」
魔法店で散々金額について文句を言っていたが、服を安く済ませるつもりはないらしい。
「高くてもいいの? なんで?」
カレンにとって杖は武器だ。黒兎と虎獅狼が魔法書を不要と言っても仕方がないと思えるが、カレンにとっては必要だ。服はそのどちらでもない。
「服代ケチったら死ぬで」
カレンが今着ているのはヒルデから貰った薄い紫色のワンピースと老年のメイドから押し付けられた暖かいコートだ。人魚のカレンは寒さを感じないが、老年のメイドは着ていけと言ってうるさかった。
結果従って正解だったと思う。行き交う人々は皆当たり前のように上に暖かい物を着て、それでも寒そうに歩いていた。
「……ヒルデから貰えへんかな」
「コノエ坊、そこは折れたら駄目だ」
「この国一番の全身鏡を買って差し上げる言うとったやん」
「鏡を見ろボケナスって意味だったのでは」
黒兎は真剣に悩んでいる。カレンにはわからないが、黒兎にとってお金は相当価値のあるものらしい。
「い、いいよ、ヒルデから貰うよ」
金貨五枚の価値もわからない。そんな自分が何かを欲しいと強請ってはいけなかったのかもしれない。
「コノエ様、不足分は出します」
すかさずリタがそう言ったが、黒兎は「要らん!」とハインツを──そしてそこに映るリタを一瞬だけ手で隠した。
「カレン! ちゃっちゃと行くで!」
腹を括ったのだろう。黒兎はカレンの手を取って走り出す。
「うひゃあ!」
歩くことには慣れてきたが走ることには慣れていないカレンだ。転びそうになると片手が空いている黒兎に支えられる。
「すまん、大丈夫か?」
「う、うん。平気……ごめん……」
走ることもできないなんて情けない。まだ魔法を使えない自分には一体何ができるのだろう。
「魔法職は体力のない者も多い。カレン嬢が必要以上に気に病むことはないだろう」
「う、うん……」
だが、気分が晴れることはなかった。
黒兎は速度を落としカレンの様子を見ながら歩いていく。ハインツは黒兎に逐一指示を出して仕立て屋に連れて行った。
「おっちゃん! おばちゃん! この子の服一着欲しいんやけど、ある?」
黒兎は初めて訪れたとは思えない程気楽に仕立て屋に入っていく。仕立て屋を営んでいる男女はぽかんとした表情で黒兎を見ていたが、カレンが中に入ると笑顔を見せた。
「あらあら、可愛いお客さんね」
「採寸するからこっちにおいで」
カレンは手招きをする男女の下へと歩いていく。声が出るようになったのに、こういう時なんと言えばいいのかがわからない。
「採寸……それってどんくらいでできるん?」
「うぅん。それは作る服によるね」
「カレン、どんなんがええ?」
「えっ」
カレンは突然声を掛けられて戸惑った。カレンが初めて着た服はメイド服だ。後はヒルデのドレスかワンピースしか知らない。街を歩く女たちが着ている服は、コートに覆われていて見えなかった。
「えっと……お勧めで」
本当はヒルデのドレスやリタのドレスが気になっている。だが、これから旅に出るのに動きづらい服は求められない。
「わかったよ。少し時間が掛かるけど大丈夫かい?」
「なら、その間に色々買うて来るわ。ハインツ持ってくで」
「えっ!?」
ハインツはカレンが持っている。それを持つ手に力を込めるが、「ハインツおらんと迷うやん俺」と真っ直ぐな目で言われたら渡さずにはいられなかった。
「じゃ。終わってもここで待っとって」
黒兎は片手を上げて外に出て行く。知らない場所に一人で残される不安や寂しさはあるが、仕立て屋の男女はカレンに優しい。足にはクラーケンがおり、店中にはカレンを映す全身鏡──ハインツがいた。
黒兎はきっと戻ってくる。カレンが見つめるハインツはカレンに何も言わないが、カレンはあの時自分を信じてくれた黒兎のように黒兎を信じることにした。
「どうしたの?」
仕立て屋の女がカレンの傍らに立つ。
「もしかして、自分の姿を見るのは初めてだった?」
全身鏡を凝視するカレンはそう見えたのだろう。カレンは黙って苦笑いを浮かべた。仕立て屋の女は紐でカレンの体を測りながら「それで」と口を開く。
「本当はどんな服が欲しいの?」
「えっ!?」
測りながらカレンの様子を窺っていた仕立て屋の女は、慌てるカレンにふふっと笑みを零した。
客は少なくないが、若い女の客は珍しい。貴族令嬢は王族御用達の店に行くし、庶民の娘は自分で作る。ここに来るのは下流貴族や冒険者が大半だ。そんな彼らは欲しい服を明確に決めてここに来る。カレンの瞳に迷いがあることは長年の勘で見抜いていた。
「…………可愛い、服を」
憧れているのはドレスだ。人間の王女はどうしてあんなに綺麗で可愛らしい服を着ているのだろう。同じ王女としてカレンも一度でいいから着てみたい。だが、黒兎の隣に立つのは王女としての自分ではなく魔女としての自分だ。
真に求めているのはワンピース以上に動きやすい服だが、心が求めているのは可愛いと言ってもらえる服だった。
「ふふっ」
仕立て屋の女は微笑む。照れながら自分の願いを呟いたカレンを愛らしいと思わない親世代はいない。
「恋人には可愛いって思ってほしいわよね」
「こっ、恋人じゃないです!」
顔を真っ赤にしながら焦って否定する様も愛らしい。紐をしまって測った数値を羊皮紙に書き、「どういう時に着るの?」と尋ねた。
「えっと、旅に出るんです!」
「旅? 貴方冒険者なの?」
仕立て屋の女が目を丸くする。女の冒険者は珍しくないが、過半数を上回るのは男だ。
「はい」
「そうだったの。役職は?」
カレンが恋人じゃないと言ったのはそういうことか。納得するが、カレンにそのつもりがないとは思っていない。可愛い服と言われる前から視線で気付いていた。
「魔女です!」
「杖は?」
「これです!」
スカートの中に手を入れると、すかさずクラーケンが杖を手渡す。杖を仕立て屋の女に見せると仕立て屋の女はそれも紐で測った。
「冒険者ならば動きやすさも大切ね」
「魔女だって、戦いやすさも大事だ」
振り返ると、仕立て屋の男が様々な色の生地を奥から持ってきたところだった。遠目からでも素材が違うことがよくわかる。
「どれがいいかな」
カウンターに置いて、一つずつ取り出しカレンに手渡した。厚い生地も薄い生地もある。触り心地もだいぶ違う。カレンは感触の違いに瞳を輝かせた。
陸に出てから海の中にないものばかり視界に入る。
カレンはその中から海の色──クラウセン家全員に共通する青色を手に取った。
「あら素敵。カレンさんの瞳の色ね」
仕立て屋の女は褒めるのが上手い。どの生地を体に当てても褒めてくれる。
「カレンさん、見て」
見せられたのは様々な服が描かれた紙の束だった。捲って多くのデザインを見せてくれる。服を知らないカレンには有難い。
「素敵な服を作りましょうね」
瞬間、思わず息を呑んだ。
杖とは違う。魔法書とも違う。既にこの世にあるものではなく、カレンの希望が詰まったものを選ぶことに対する輝きが仕立て屋の女の言葉にはあった。
「はいっ!」
カレンは笑顔で答える。
「動きやすいのはこの辺りかしら。動きにくい服でも動きやすいように改良できるわよ」
仕立て屋の女はカレンの想像以上に親身になってカレンの希望を聞いてくれる。カレンは嬉しくなって色々と話してしまう。
そうすると時間はあっという間に過ぎていった。
「この服だとできるのは明日だね」
「そんなに早くできるんですか?!」
「旅に出るんでしょう? 最優先に仕立てるわ」
「ありがとうございますっ!」
仕立て屋の女も、男も、温かくて優しい。全身鏡へと視線を移すと、微笑む自分が映っていた。




