第二十四話 『魔女の一歩目』
息を呑むのは、リタが最後に見たあの日よりも綺麗だからだ。
微笑む彼女は少し頬がふっくらとしただろうか。髪も肌もさらに綺麗になっており、ヴァルトラウトがリタに何をしていたのかを物語る。リタの変化を間近で見ていたハインツは、複雑そうな表情を浮かべる黒兎を見て、黒兎もリタと同じく人の痛みがわかる人間なのだと思った。
「誰?!」
遅れてカレンが逆さまのリタに驚く。
リタも黒兎とカレンが逆さまに見えていたが、黒兎とカレンが手を繋いでいることはすぐにわかった。
「……私はドナトリア王国女王、リタ・リープクネヒトです。カレン様のお話はハインツ様から聞いています」
一瞬の間があってリタが答える。カレンはハインツを自分の顔の前に持ってきて、正面からリタを見つめた。
「…………」
自分がどんな顔をしているのかは五人の姉で知っている。人間にとっても人魚にとっても六つ子は珍しく、大半の人間は自分の顔を知らずに生きているらしい。
リタは、カレンが今まで見てきたどの人魚よりも綺麗だった。
黒兎がハインツに言うなと言ったのも理解できる。同性、その上他種族のカレンでさえ綺麗だと思うのだ。黒兎が綺麗だと思わない訳がない。
黒兎が寝ている間、ヴィガがヒルデに謝罪した。すると何故かヒルデもヴィガに謝罪した。ヴィガは変わる努力をする、だから、と言葉を続けようとしてヒルデに抱き締められる。
そうして、マーヴァル王国第一王子ヴィガ・グレンダールとキルデルシュ王国王女ヒルデ・ソールバルグの結婚と、ヴィガの即位が決まった。
そんな二人の結婚を誰よりも喜んでいたのが、砂浜で再会したオルメイとクラウスだった。
カレンは唇を噛み締める。あの時は異母姉の結婚を祝ったが、今は違う。
「初めましてリタ様、私はデュアル王国第六王女、カレン・クラウセンです」
それは、ヒルデに言えなかった挨拶だった。カレンはあの時と同じように胸を張る。それでも虚しさは感じていた。
「私もリタ様の話はヴィガとヒルデから聞いています。ウーリと結婚した人ですよね?」
ウーリとリタの結婚をマーヴァル王家とキルデルシュ王家が祝っていないのは知っている。ヴィガとヒルデとスヴァインの様子を見て、ウーリがろくでもない人間であることも知っている。
それでも、死が二人を分かつまでウーリとリタが離れ離れになることはない。黒兎がどれ程リタに溺れても、リタには一生手が届かない。
「はい。私はウーリ様の妻です」
リタは微笑みを崩さなかった。リタの視界に黒兎が入っていないならば当然の反応か。無意識だったが、カレンは黒兎の手を握る手に力を込めた。
「で、なんでリタ様がコノエと知り合いなんですか?」
「リタは俺の女王陛下や。ついでに工藤もな」
黒兎はカレンからハインツを奪い取る。改めて見るがやはりリタだ。夢ではない。
「どないしたんリタ、なんかあったん?」
何かあったらリタかハインツが既に言っている。それでも心配してしまうのは、リタがお人好しな性格だからだ。
「ハインツ様からお話を聞いたので、会いたいなと思ったんです。コノエ様もカレン様もお元気そうで何よりです」
ハインツは黒兎が何をしているのかを知っている。黒兎にはリタの話をしないくせにリタには黒兎の話をするようだ。
「余計なこと言うてへんやろうな、ハインツ」
「知られて不味いことはしていないだろう?」
黒兎は言葉を詰まらせる。まだヴィガやヒルデには会っていないが、イェンスや老年のメイド、団長には会っている。彼らが何も言わないならば黒兎の狙撃は許されたのだろうか。
最悪スヴァインを売る気でいたが、問題なかったならば確かに知られて不味いことはしていない。
「せやな」
「今凄い間がありましたけど……」
「リタ嬢、安心してくれ。コノエ坊がしたことはすべて話している」
「なんでやねん! ならリタのことも話せや!」
ハインツを上下左右に振るが、ハインツではなくリタが酔った。絶対にしないが、手鏡が壊れてもハインツは痛くも痒くもないだろう。
「ねぇ! そんなことより杖! 早く行こうよぉ!」
唇を尖らせたカレンが黒兎の腕に手を絡めた。どこでそんなことを覚えたのか──と思ったが周りの恋人らしき男女全員がそうしている。
「あ、あぁ、せやな」
禁所で散々歩きスマホをしていた黒兎はリタと話している間も店に向かって歩いていたが、カレンは面白くない。早く元のハインツに戻ってくれと思っていたが、リタが眉を下げた。
「あ、あの、お邪魔して申し訳ございません。お話できなくてもいいので、見ていてもいいですか?」
黒兎はふと辺りを見回す。この街は店や人が多く、活気に溢れている。リタがいる廃墟ばかりのドナトリア王国とは大違いだ。
「許可取らんでもええよ。一緒に行こうな」
ハインツが外の世界を知りたいと願うように、リタも外の世界を知りたいと願っている。それは、人としても女王としても願って当然のものだった。
結婚式はトレステイン王国で行ったが、観光する間もなくリタはドナトリア王国に帰ってきた。
トレステイン王国とはまた違うマーヴァル王国を知りたいと思うのは無理もない。
「ありがとうございます!」
瞬間、リタは今日一番の笑顔を咲かせる。
一方、カレンは再び唇を尖らせた。
黒兎はリタがよく見えるようにハインツを持つ。店の場所は忘れていないが、入店しようとするとハインツに「そこではない。二軒先だ」とツッコまれた。
余所見するカレンを半ば引き摺って入店するが、駅にある自動改札機のセキュリティゲートのようなものに行先を阻まれる。
「なんやこれ」
大人しく立ち止まっていると、カウンターの奥から店主らしき中年の男が出てきた。
「お前ら一見さんか」
「えっ、お断りなん?」
ここを勧めたのはハインツだ。視線を巡らせると複数の鏡が壁や棚に掛けられている。棚の中には商品が所狭しと並べられていた。
「そういう訳ではない。他の店には行ったか? それともここが初めてか?」
「初めてです!」
買うのは黒兎だが、選ぶのはカレンだ。店主はカレンを見下ろして、「ならこれを」と傍に置いていた水晶を差し出す。
黒兎の腕から離れたカレンには見慣れないものだっただろうが、カレンは躊躇うことなくそれを持った。すると、カラマの時と同じように渦が映し出される。
「水属性か。魔力量は──」
店主はその先の言葉を言わなかった。言えなかった、が正しいのかもしれない。口を大きく開いてカレンが持つ水晶を凝視している。
「どないしたん」
「天才か!」
揺さ振ろうとハインツを持っていない方の手を伸ばすと、店主が叫んだ。耳を塞ぐのは黒兎だけではない。リタも両耳を塞いでいる。
カレンは両目を思い切り瞑って耐えていた。亜人の魔力量が人間の比ではないのなら、聴力も人間の比ではなくてもおかしくない。
店主はカレンの手から水晶を奪い取って黒兎に押し付けた。突風が映し出されるが、店主は鼻で笑ってカレンだけをセキュリティゲートの奥に通す。
「なんやねん!」
失礼にも程がある。黒兎も客だ。
思わず嫌味を言いそうになったが、リタがいることを思い出して踏み止まる。
「ここのどこがお勧めやねん」
それでも耐えられず、ついハインツに文句を言った。
「落ち着けコノエ坊、魔法店はどこも客を選ぶ。魔法職の入口にさえ立てていないコノエ坊は客ではないということだ」
「先に言えや!」
黒兎はハインツを胸ポケットに入れて腕を組む。店主に連れ去られたカレンは、店主に聞かれたことに答える度に奥へ奥へと進んでいく。店主は数々の棚に手を伸ばしていたが、最終的に取ったのはカウンターの奥にある棚に置かれた木箱だった。
「コノエ坊、凄いぞ」
「何がや」
言われなくても嫌な予感はしていた。カウンターの奥にある商品は高価な物だと決まっている。
「あそこに置いてある杖は非常に頑丈だ。劣化も遅く、長く使える」
「どう凄いん?」
「頑丈な杖ということは、大量の魔力量にも耐えられるということだ。コノエ坊でも扱えるが宝の持ち腐れになるだろう? だから滅多に売られない」
「喧嘩売っとんのか」
というか最初から喧嘩を売られている。店主は嬉しそうな表情でカレンに杖を手渡すが、あの表情を黒兎には見せることはないだろうと確信していた。
「コノエー! これ欲しい!」
カレンは無邪気に杖を振る。その杖と他の杖の違いもわかっていないはずだが、欲しいと言われたら逆らえない。
「いくらやー?」
「金貨五枚だって!」
「ぼったくりや! 戻せ!」
「なんだと小僧!」
間髪入れずに店主が黒兎に詰め寄った。店主の前で言うべきではなかったかもしれないが、黒兎も譲れない。
「金貨一枚!」
それでも充分高い。金貨一枚あったらトレステイン王国のあの宿で何泊できるのだろう。
「金貨五枚だ!」
「いいや金貨一……」
「コノエ様、不足分は私が払います!」
値切る黒兎を遮ったのはリタだ。
「キンカゴマイ……ハラウ……」
リタが払うのはもっと耐えられない。黒兎の所持金はリタとウーリから貰ったものだが、それ以上をリタに求めることはできない。
「よし。払え」
黒兎は渋々巾着から金貨五枚を取り出した。店主はそれを奪い取り、「良かったな!」と瞳を輝かせるカレンに笑い掛ける。
「うん!」
カレンは今日一番の笑顔を咲かせていた。
「お前ほんまちゃんと仕事しいひんかったら許さへんからな」
恐る恐る巾着の中を見る。全財産を使った訳ではないがかなり痛い。
「魔法店はどこも高いぞ」
才能だけではなく金でも客を選ぶのか。黒兎はしっかりと肩を落とした。
「……魔法書買わなあかん?」
ハインツに言ったがリタにも聞こえている。リタはすぐに「不足分は!」と拳を握り締めたが、「金は取らんぞ!」と店主が言った。
「え?」
「この嬢ちゃんなら無料でいい! 好きなだけ持っていけ!」
「おっちゃん急に太っ腹やな?!」
店主はニコニコと笑っている。カレンを相当気に入ったらしい。カレンは視界に入る魔法書をすべて手に取って「うん!」と笑ったが、「待ってくれカレン嬢」とハインツが黒兎の胸ポケットから飛んで行った。
「一番上に乗っているのは戻そう。それは貰おう、それは戻そう」
カレンは素直にハインツの言うことを聞く。店主はニコニコとその様子を見ていたが、「鏡が喋ってる?!」と度肝を抜いた。
「俺の魔法や!」
「そんな訳あるか!」
「カレンの魔法や!」
「嬢ちゃん凄いな!」
信じるのか。店主は感心したようにカレンを眺めている。買い被り過ぎではないだろうか。
「お前嬢ちゃんの才能を生かせなかったら許さないからな」
店主から自分の言葉が返ってくる。色々と言いたいことはあるが、魔法店を営業している店主の言うことだ。
黒兎はひとまず「はい」と返事をし、ハインツが厳選した魔法書を抱えて戻ってきたカレンを迎えた。




