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第二十二話 『四人目は海の中』

 目を覚ますと、窓から明るい光が射し込んでいた。


 黒兎くろとは慌てて起き上がって辺りを見回す。いつの間にか宛てがわれた部屋のベッドで寝ていたようだ。

 飛び下りた後のことは覚えていないが、あの程度で自分が気絶するとは思えない。原因があるとすれば魔力切れだろう。


「起きたか。コノエ坊」


 声を掛けたのは手鏡のハインツだった。黒兎は呆然とハインツを見下ろし、「カレンは……」と呟く。


 終わりは日没だった。日の出ではない。


 恐る恐るベッドから出て扉へと歩いていく。閉ざされた扉にそっと触れるが、それを開く勇気はなかった。


「そんなに悲しいか?」


 ハインツは想像以上に落ち込む黒兎に驚く。知らない仲ではないがたいした縁がある訳でもない。その上、黒兎が事情を聞いた時、カレンに残された時間は一日もなかったのだ。やれるだけのことはやっていたと思う。


「悪いかアホ」


 覚悟の上だったとしても、あんなにも誰かを想う少女を黒兎は死なせたくなかった。

 ヴィガを叩き起してカレンの魅力を伝えていたら奇跡は起こったのかもしれない。そんな時にヒルデが撃たれたら、ヴィガはカレンが襲撃犯ではないと証言しただろう。


 今になって後悔するのは、カレンがヴィガを護る為に命を懸けた姿を見たからだ。

 惚れた人間を殺したい人魚はいない。それでも、自分の命が終わるその瞬間まで誰かを護ろうとする人魚も人間もなかなかいない。


 十年前、黒兎たちを庇って命を落とした軍人たちの行動をそうするのが当然だったと言えない黒兎だからそう思う。


 まだ虎獅狼こじろうを助けてくれた礼も言っていない。カレンはまだ死ぬべきではなかった。涙を流す程ではないが気分は晴れない。


 ハインツは「だ、そうだ」と黒兎ではない誰かに告げた。


「は?」


 冗談ならば許せない。黒兎は振り返ってハインツを睨む。


「じゃじゃじゃじゃーん!」


 瞬間、勢いよく開いた扉が黒兎の後頭部に直撃した。


「いった! 何これ、なんか引っ掛かって……いやぁーっ! もしかして今頭打った?! ごめーん!」


 背後が騒がしい。騒いでいるのは少女のようで、昔から痛みをまったく感じない黒兎は気にしないように片手を上げる。

 今一番痛いのは頭ではなく心だ、だからとりあえず黙ってほしいと告げようとして少女の顔を視界に入れた。


「うわーっ! 幽霊ーっ!」


 カレンの姉妹ではないとすぐに気付いたのは、その表情がコントをしているのかと思う程にうるさかったからだ。そんな表情をするのはカレンしかいない。遅れて長い赤髪が視界に入る。

 カレンはメイド服ではなく薄い紫色のワンピースを着用していた。


「ゆーれーって何?!」


「生前の姿で現れた生物の魂のことだ」


「勝手に殺すなぁ!」


 黒兎の腕をバシバシと叩いたカレンは確かに生きている。黒兎は飛び上がってベッドまで戻り、「寝た振りすな工藤くどう!」と叫んだ。

 ベッドで横になっている虎獅狼が起きていると確信した訳ではないが、経験上、虎獅狼はこういう時は必ず起きている。


「後で起こして」


「二度寝すな!」


 枕を虎獅狼の体に投げると、虎獅狼は渋々と目を開けた。そのままカレンを視界に入れるが、驚いた様子はない。


「成程、生き返ったんか」


 今更人魚姫が生き返った程度では驚かなかった。腕を組んでうんうんと頷くと、「だから勝手に殺すなってばぁ!」と水を掛けられる。


「冷たっ! 何すんねん!」


「コノエが私のこと殺すからでしょ?!」


「カレン嬢、許してやってくれ。コノエ坊はずっと寝ていたんだ」


 知らなかったのは黒兎だけのようだ。カレンは腰に手を当てて唇を尖らせ、「わかった」と不満そうな声で黒兎を許した。


「どんな態度やねん」


 礼を言おうと思っていたが全部吹き飛ぶ。二度寝する虎獅狼を叩き起しながら、黒兎はカレンとハインツからあの後の話を聞いた。


「故郷に……帰れへんの?」


 カレンは想像以上にショックを受けた黒兎に驚く。たいした縁がある訳ではないが、カレンを助けてくれた黒兎だ。それに似た反応はすると思っていたが、絶望した誰かの表情は見たことがなかった。

 人魚の国はメルヒェン大陸の北と南にあり、二国を行き来することは現実的ではない。どちらの国だろうと追い出されたら同族のいない広い海を一人で生きることになる。人魚にとって国外追放は死と同義だ。だが、人間になったカレンにとっては死と同義ではない。


「どうしてそんな顔するの……?」


 素直にそう思った。


 話し合いができなければ相互理解は永遠にできない。


 声を失くして伝わらないことにもどかしさを感じ、ヴィガとエスタの喧嘩を間近で見たカレンだから疑問に思ったことはすべて知りたかった。


「故郷はアイデンティティやろ」


「あいでんてぃてぃ……」


「イントネーション微妙にちゃう」


「いんとねーしょん……」


 話し合えているはずなのに何もわからない。言葉の意味がわからないのは、黒兎とカレンが生まれ育った場所が違うからだ。


「アイデンティティは……あれや。自分らしさや」


 デュアル王国しか知らないカレンだったらそう言われてもわからなかっただろうが、今ならばわかる。

 キッチンで切断された魚の体を見た時も、黒兎と虎獅狼が何かの肉を食べていた時も、あまりの惨さに吐き気がした。なのに平然としている人間たちを見て、信じられない──非道だと思った。


 それが彼らの常識だと頭では理解していても、心ではまだ受け入れられない。それがカレンのアイデンティティだと黒兎は言うのだろう。


 確かに、カレンは自分の常識と彼らの常識に大きな違いがあると感じている。

 自分の常識が通じる故郷にいれば自分は幸せになれるのかもしれない。だが。


「私、故郷には帰らないよ」


 今度は黒兎が驚く番だった。


「なんで……」


 声が掠れる。故郷に帰りたい、帰らなければならないという思いで黒兎は騎士になってほしいと言ってくれたリタの下から離れたのだ。カレンの答えは黒兎の答えと正反対のところにある。


「お母様みたいな立派な魔女になりたいの!」


 カレンは胸を張った。同族からは疎まれ、人間からは呪いの魔女や海の魔女と呼ばれているが、カレンにとってボーディルは誰に対しても自慢できる母だった。

 例えフローラにもう一度会う為に故郷や家族や王族の立場を捨てた女だとしても、カレンはボーディルを憎めなかった。


「魔法の勉強は海ではできないからねぇ」


 そう言われたら納得できる。黒兎の周りにはいなかったが、人は夢があれば故郷を出ることもある。カレンがそれなのだ。

 黒兎は故郷を出たくなかった。だから故郷に帰ろうとしている。真っ直ぐに黒兎の目を見て夢を語ったカレンが──黒兎にはどうしても眩しかった。


「頑張りや」


 カレンを見つめ返すことはできない。黒兎は視線を逸らしたが、告げた言葉は本心だった。


「うん、頑張る!」


 カレンは両手の拳を握り締める。


「それで、いつ出発するの?」


 そして黒兎と同じベッドに腰掛けた。


「出発? あー……なんやったっけ。魔法職の人スカウトしてぇ、銃弾と食料買ってぇ……あ? ハインツ、次の国までどんくらいなん? ちゅーか国あんの?」


 黒兎たちは準備が終わり次第マーヴァル王国から出て南下する予定だ。歩く道は黄色いレンガ道だが、オズ王国まで国がないとなると、食料はトレステイン王国で貰ったそれの何十倍を買えばいいのだろう。


「黄色いレンガ道に近い国はすべて、黄色いレンガ道で繋がれている。一番近いのはここから四日程掛かるオハイラ王国だ」


 ハインツは地図を映してマーヴァル王国の南東に位置するオハイラ王国を赤丸で囲む。キルデルシュ王国は黄色いレンガ道沿いの国ではないらしい。

 獣道を走るしかなかったトレステイン王国とマーヴァル王国間とは違い、ほとんど直線で行けるオハイラ王国は少し遠い場所にあった。


「まぁ、四日ならしょうゆでも運べるか」


 丸一日様子を見に行かなかったが、しょうゆは大人しくしているだろうか。……いや、していないだろう。何故だかそれは確信できる。


「安心してくれ、ここからは先は安全な道だ。人の往来も激しいし、途中で餓死することは絶対にない」


「なら魔法職要らんやん」


「マーヴァル王国内で魔法職がいなくて困ったのはどこの誰だ?」


「俺や」


 黄色いレンガ道だとしても何が起こるかわからないのがメルヒェン大陸だ。溜息を吐くと、「ちょっと」と眉を釣り上げたカレンに頬を引っ張られた。


「じょーだんでも魔法職要らないって言わないでよねぇ」


 カレンは怒っているらしい。確かに魔法職を目指す人間──人魚の前で言うべきではなかった。


「すまんかった」


 素直に謝る。だが、カレンは「杖買ってくれなきゃ許さなーい」とそっぽを向いた。


「なんでやねん」


「だって私お金ないもん」


「知らんわアホ。勝手に貯めて勝手に買え」


 カレンは水属性の魔法ならば一通り使える。少し街に出ればすぐに稼げるだろう。


「なんでよケチ!」


「おおきに。ケチは俺にとって史上最高の褒め言葉や」


 また黒兎の腕をバシバシと叩こうとするカレンの腕を掴んで抵抗していると、ハインツが二人の間に割って入った。といっても手鏡では壁にはならない。


「クドウ坊を助けた報酬として渡すべきだ」


 だが、こういう時のハインツの言葉はいつも納得できるものだ。黒兎は「うっ」と言葉を詰まらせ、「わかった」と不満そうな声でカレンに杖を買うことにした。


「やったぁ! じゃあ今すぐ買いに行こーよ!」


「わかったわかったわかったから引っ張んなぁ」


 ハインツは引き摺られる黒兎の肩へと飛ぶ。そして胸ポケットへと滑り落ちる。


「工藤! 起きろドアホ! 肉料理冷めんで!」


 しれっと二度寝する虎獅狼を肉で釣って、黒兎はついて来た虎獅狼の首根っこを掴む。


「コノエ坊、街に行くなら魔法書も買った方がいい」


「報酬なら杖で充分やろ」


「カレン嬢は仲間だ。水魔法しか使えなかったら困るのはコノエ坊とクドウ坊だろう」


「…………は?」


 カレンは構わず黒兎の腕を引っ張るが、黒兎は足を止めてハインツを見下ろした。


「あれ、聞いてなかったっけ」


「言ってなかったの間違いや」


 虎獅狼はこれも知っていたらしい。黒兎は虎獅狼を離して虎獅狼の頭を叩き、「これからよろしく!」と笑ったカレンを指す。


「不採用!」


「なんでよぉ!」


 カレンはすぐさま黒兎の人差し指を掴んで反対方向に曲げようとした。軽率に人の骨を折ろうとしている時点で仲間として信用できない。やはり不採用だ。


「カラマのねーちゃんとタラのねーちゃんが入れろ言わはったんはお前ちゃう!」


「だが、カレン嬢は人魚だ。水魔法に関してはウンディーネに次ぐ力を持っている。魔力量も亜人ならば人間の比ではない。きちんと学ぶ機会があればボーディル嬢を遥かに凌ぐ魔女になれる。伸び代だけは心強いはずだ」


「だけってなんやねん」


 黒兎は聞き逃さなかったが、ハインツはどうしてもカレンを仲間に入れたいようだった。


「故郷に帰れないって言うから俺が誘ったんだけど、駄目だった?」


「お前かい」


 虎獅狼は賛成でも反対でもないと思ったが、誘った張本人らしい。脱力し、ハインツの言葉に「やったぁ!」と喜ぶカレンを再び指す。


「お前らがええならええ……って言うと思ったか! トロール一人で倒せるまで認めへんで!」


 かなり大きな声で言ったが、カレンは聞こえていないようだった。

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