第五話 『双月』
「なぁカラマのねーちゃん、こないなとこで野営できるん? またトロール襲ってきいひん?」
「襲ってくるわよ。だから誰かが見張りをしないといけないの」
カラマについて来てもらって本当に良かった。黒兎と虎獅狼は心から思う。
「クドウ、貴方火属性なんだから火をつけなさい」
日は傾き始めており、辺りは薄暗い。今から準備すれば日が沈んだ頃には眠れるだろう。
「え、どうやってつけるんですか?」
「地面抉ったでしょう。あれの要領で火属性の魔力を使うのよ。少しでいいから」
カラマはそう言って人差し指を立て、水をぴゅっと出した。虎獅狼もそれに倣うと火がぼっと出る。
「点火!」
カラマが馬車に積んでいたランプを虎獅狼の手元に押し付けると、簡単にランプに火がついた。
「便利やなぁ」
「成程のぅ。お前さんたち《黒の迷い子》か」
三人のやり取りを馬車の中でのんびりと眺めていたアブラハムは、顎に手を添えて納得する。
「お嬢さん大変じゃのぅ」
「もう慣れましたから。クドウ、晩御飯作るから手伝いなさい。コノエはしょうゆの世話よ」
黒兎も虎獅狼もカラマに従う。黒兎は馬車に積んでいた飼葉を抱え、ハーネスを外したしょうゆに与えた。
「バル……」
しょうゆは飼葉を食べながら黒兎を冷めたような目で見つめる。あれからアブラハム──いや、ハインツの歌に夢中になって御者台に一度も座らなかった黒兎には言いたいことが山程ある。
「なんやねんその目。腹痛いんか?」
伝わらないから頭を噛むが、黒兎は相変わらず平然とした様子でそれを受け入れていた。
「何か手伝った方が良いかのぅ」
「ハムのじーちゃんは何もせんでええよ。その分たっぷり払ってや」
しょうゆは仕方なく食事に専念する。カラマと虎獅狼もスープを作るのにそれ程時間をかけなかった。スープに必要な水も、それを煮る炎も、二人ならば一瞬で用意できる。邪魔にならないようにしょうゆの背に寝そべったハインツを横目で確認しながら黒兎は手を合わせた。
「いただきます!」
晩御飯はパンと豆のスープのみで、視線を巡らせると小動物の姿が見える。国外で肉を食べたければ自分で狩れ、というのがこの大陸の常識のようだ。
満足な量とは言えないが、飢えで死にそうな訳ではない。肉はマーヴァル王国に到着した時の楽しみにしておこうと黒兎はスープを飲み干した。
「美味いのぅ」
「味付けがええよなぁ」
異世界なのに妙に口に合うのは何故だろう。不満があるとすれば具材の少なさだけだ。
「近衛はそう思ってるんだ」
虎獅狼は木製のスプーンでスープを混ぜる。虎獅狼の口には合わなかったらしい。
「何があかんの」
「薄味じゃない?」
もう少しだけ味付けをしたかったらしいが、トレステイン王国で扱っている調味料のほとんどはハーブだ。黒兎は虎獅狼の故郷を思い出し、「成程なぁ」と呟いた。
「そんなんは覚えとるんや」
「え、何が?」
「工藤の故郷は味付けが濃いんやと。この間テレビでやっとったで」
「へぇ。そうなんだ」
虎獅狼は相槌を打ってスープを飲み干した。
「もうちょい興味持てや」
虎獅狼の興味の矢印がどこに向いているのかさっぱりわからない。何故自分の故郷の味付けには興味がなくて醜悪なトロール肉には興味があるのか。
「そんなことより今は見張りの話よ。人数が少ないから見張りは一人として、順番はどうする?」
「見張りは私がしよう。交代は要らないから安心してくれ」
そう言ってハインツが起き上がった。回転して前後左右どの方向も鏡に映す。
「便利やなぁ」
ハインツには食事という概念も睡眠という概念もない。何の苦労もなくそれができるからそんな無茶な提案をする。
「なら頼むわ」
食べ終わる頃には日が沈み、迂闊に行動できなくなった。
アブラハムはあっという間に眠りについたが、その横にはアブラハムよりも先に眠りについた虎獅狼がいる。
「アムのじーちゃんよりもじーちゃんなんか、コイツ」
「疲れているのよ。……多分」
カラマも疲れた。溜息を吐いて毛布を取り出し、馬車の隅で横になる。黒兎はカラマとアブラハムの間で横になった。
幌はハインツが見張りをしやすいように開放されており、視線を上げると満天の星が見える。月光国にいた時はほとんど見えなかったそれに異世界を感じ、視線を巡らせて息を止めた。
「なんやあれ……」
「どうしたコノエ坊。トロールか?」
カラマも目を閉ざしただけで起きていたが、反応したのは人恋しいハインツだった。
「ハインツ、なんで月が二個あんねん!」
黒兎は起き上がって並んで浮かぶ双月を指す。
「なんでと言われても。月光国は二個ではないのか?」
「一個や!」
双月は片方が大きく片方が小さい。どちらも月光国で見た月と大きさが異なっている。
「成程。だがそういうものだとしか言えないな。月は私がこの大陸に存在する前から二個だ」
言われて気付いた。確かにハインツの言う通りだ。
「すまん、取り乱した。ハインツの言う通りやな」
「大丈夫だ。今に始まったことではない」
その返事は少し気になるが、黒兎は再び横になって双月を見上げた。
「ちなみにだが、月は少々古い呼び方だな」
「え。他になんて言うん」
「大きい方をマヤ、小さい方をカグヤと呼ぶ。合わせてマヤ・カグヤだ」
「カグヤ……」
ゆっくりと呟いた。カグヤと呼ばれる小さな月は金色に輝いている。マヤと呼ばれる大きな月は銀色に輝いており、黒兎が知る月はカグヤによく似ていた。
「……綺麗やな」
輝夜だって綺麗だった。黒兎の呟きはハインツには聞こえない。だが、カラマには聞こえている。
人恋しいのはハインツだけではない。黒兎は毛布に包まって眠りについた。
「全員起きろ! フェンリルだ!」
ハインツの声で飛び起きる。後頭部付近に置いていた狙撃銃を手に取ると、熱い炎が馬車を掠めた。
「──ッ?!」
それは走ってくる巨大な狼が出した炎ではない。誰よりも速く馬車を飛び下りた虎獅狼の刀が纏う炎だった。
「工藤?!」
虎獅狼は既に抜刀しており、鞘は馬車の中に転がっている。フェンリルを斬ったその後ろ姿は、いつも見ていた石井や阿倍に酷似していた。
「工藤、おおきに! 大丈夫か?!」
「大丈夫大丈夫。二度寝していい?」
まだ早朝だ。フェンリルの亡骸を担いで戻ってきた虎獅狼は黒兎とカラマに欠伸を見せる。
「駄目よ。もう充分寝たでしょう」
カラマは溜息を吐き、「なんで持ってきたの、これ」と白銀のフェンリルを見下ろした。
「え? スープに入れようと思って」
「やめなさい!」
カラマはフェンリルを食べようとする虎獅狼を叱る。
「フェンリル肉って食べへんの?」
トロールよりも美味しそうに見えるのに。勿体ない。
「どうしてそんな発想になるのよ! 魔獣を食べるなんて有り得ないわ! フェンリルも! トロールも! 食べたら殺すわよ!」
「「はい」」
馬肉を肯定するカラマが許容できないのだ。余程許されないことなのだろう。虎獅狼は残念そうにフェンリルを見下ろした。
「はぅあ〜。よく寝たわい」
「ブラのじーちゃん、おはようさん」
アブラハムを起こしたのはハインツの声ではなく、完全に姿を見せた太陽の光だった。眩しそうに目を細めるアブラハムは、いつ老衰してもおかしくない。起きて本当に良かったと思う。
「おはようさん。……ん、なんじゃフェンリルか。綺麗な切り傷じゃのぅ」
アブラハムはフェンリルの亡骸を見ても驚かず、体をゆっくりと伸ばし始めた。
言われて黒兎もフェンリルの傷を見下ろす。綺麗なそれは素人が付けた傷には見えない。虎獅狼は刀の扱い方も覚えているようだ。そして、その実力は衰えていない。改めて変な覚え方をしていると思う。
「朝御飯作るわよ。コノエはしょうゆ、クドウは料理。今日は自分たちだけでやりなさい」
「「はい」」
二人は急いで持ち場に向かう。ハインツは変わらず見張りを続け、カラマはアブラハムの長話に相槌を打つ。
「ハインツ、今どこなん?」
「ここだ。三分の一まで来ているから順調に進んでいるんだろう」
しょうゆに飼葉を与えるついでに現在地を確認すると、ハインツの言う通りいい所まで進んでいた。この調子ならば明日中には着きそうだ。
「問題はここからじゃぞ」
すると、カラマ並みに各国を旅したアブラハムが口を挟む。
「お前さんたち欲望はあるか」
「よ、欲望?」
手鏡が喋っていることに気付いているのかいないのか。わざとかどうかわからないが、アブラハムはハインツには一切言及せずに真剣な表情をする。
「叶えたい願いじゃ」
「そりゃあ……あるけど」
月光国に帰ることも、記憶を取り戻すことも、両親に会うことでさえそう簡単に叶うものではない。ハインツの願いでさえ百年以上経って叶った願いだ。
「なら、絶対に自分の力で叶えるのじゃ。他人の力を借りてはならん」
黒兎は言葉を返せなかった。自分の力ではどうすることもできないからオズ王国に行くのだ。アブラハムは持たざる者の気持ちをわかっていない。
「この先におるのは海の魔女ボーディルじゃ。人の願いを叶える為に人を呪い、破滅させる。わしはずっと、そいつの歌を歌っておる」
「あぁ。あの歌か」
点と点が繋がったのはハインツだ。アブラハムは隠し持っていた弦楽器のマンドーラを奏で始める。
黒兎は朝御飯を持ってきた虎獅狼に礼を言い、スープを口に含んで「にっが!」と顔を歪めた。
「クドウ、貴方これどれだけのハーブを入れたの」
「鷲掴んでどばっと」
「お前二度と料理すな」
カラマと共にアブラハムに出されたスープを水で薄める。アブラハムはいつまで演奏をするのか。顔を上げると演奏に合わせてハインツが歌い出した。
「お前が歌うんかい!」
アブラハムはまだ本調子ではない。なのに、まるで自分が歌っているかのように気持ち良さそうに演奏している。
「海の魔女〜気を付けろ〜大切なもの奪われる〜。海の魔女〜気を付けろ〜叶えられなければ海の藻屑〜」
黒兎が思った通りハインツは上手い。とりあえず聞いているが、気になることがあってカラマに尋ねた。
「ちゅーか、海の魔女ってカロリーナのばーちゃんが言っとった六人のうちの一人か?」
「そうね。東西南北と天と海はどこの国でも有名よ」
「あと霧な」
二つ名を持つ魔女の大半はろくでもないのだろうか。黒兎はカラマから貰った水を足しながら味を薄め、スープを飲み干した。
挿入歌
『海の魔女ボーディル』
歌唱:ハインリヒ
作詞作曲:警告




