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第四話  『吟遊詩人アブラハム』

 トレステイン王国とマーヴァル王国の間にも高い山が複数屹立している。人の行き来はあるはずだが、魔獣が存在するからか整備されていない道が続いていた。


「むっちゃボコボコするやん」


「これでも安全な道よ」


 トレステイン王国とマーヴァル王国は直線距離だとたいして離れていないが、高い山が原因でまともな人間は山間まで迂回しなければ進めない。

 黒兎くろとは「そりゃそうなんやろうけど」と呟き、ハインツを呼んだ。


「どうしたコノエ坊」


「今どの辺なん?」


「確証はないがこの辺りまでは来ているはずだ」


 ハインツは地図を映し赤丸で囲む。当然だがまだトレステイン王国の方が近い。


「聞いといてあれやけど、なんでわかるん?」


「商人が鏡を運ぶのはよくあることだ。厳重に梱包されていて景色はまったく見えなかったが、距離感や方角はなんとなくわかるよ」


「成程なぁ」


 ハインツは異邦人ではないが、鏡のない世界は知らない。山中の魔獣を刺激しないように今日はずっと黙っているが、鏡は全方向を忙しなく映している。その度に木漏れ日を反射していた。


「いい感じに反射板になってるね」


「魔獣避けになっとるんか? これ」


 ここが敵地だったら自分たちの居場所を晒しているようなものだ。止めはしないがどう転ぶのかとハラハラする。


「貴方たち余所見しない。そろそろ代わってもらうから」


「わかった。工藤くどう、ここはじゃんけんで決めるで」


「何それ」


「これがグーや!」


 虎獅狼こじろうの顔面を拳で殴ろうとするが避けられた。反射神経が良い男だ。焦った表情さえしない。


「バルルルルッ!」


「しょうゆに蹴られなさい」


 虎獅狼にじゃんけんを教えていただけなのに遊んでいると思われたらしい。黒兎は言い訳をせず大人しくカラマの隣に腰を下ろした。

 トレステイン王国から報酬で貰った馬車は、革命時に使用した馬車と違い座席がない馬車だった。黒兎の拳を避けて寝そべる形になっていた虎獅狼は起き上がり、御者台に座る二人を見守る。


「こうやな」


「まぁそうね」


「ほんでこうやろ」


「貴方はしょうゆに感謝した方がいいわ」


 カラマは勝手に進んでいくしょうゆを眺めた。馬車に繋がれていない時は誰にも手が付けられない暴れ馬だったが、一度誰かを連れて行くと決めたら曲げない性格なのだろう。


 《黒の迷い子》としてしっかりと記憶を失くした虎獅狼も、呪いの魔女以外の人間に干渉してこなかったハインツも、誰の手にも負えなかったしょうゆも、何故か黒兎について行く。

 いつか両親が会いに来てくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いてトレステイン王国に骨を埋める覚悟でいたカラマも何故かそうしている。


「……不思議ね」


「何がや」


「何って」


 黒兎へと視線を移した瞬間、何故かしょうゆが立ち止まった。


「あぁっ!」


 黒兎の顔色は一気に青くなり、「あ、あ、あれか!」と震える指で正面を差す。急いで進路へ視線を戻すと、人間の両足が遠くの地面に生えていた。


「なっ」


 言葉を失う。あんなものは放浪者だった時も見たことがない。


「バルル!」


「しょうゆ! もうちょい近付いてくれ!」


 賢いしょうゆは仲間を守る為に立ち止まったが、黒兎は埋まった人間を助けようとする。


「何言ってるの! 盗賊の罠かもしれないわ!」


「まだ生きとる!」


 黒兎の言う通り両足はバタバタと動いている。抜け出そうと藻掻いているように見えなくもない。

 カラマは虎獅狼と目を合わせ、仕方なく御者台から中に戻った。しょうゆは黒兎に言われた通り駆けていく。


「大丈夫かー!」


 声を上げる黒兎の背後でカラマは剣を、虎獅狼は刀を無言で抜いた。黒兎が疑うことなく進んでいくならば、後始末は年長者である二人の役割だった。

 黒兎は御者台から飛び下りて両足を掴み、大きなかぶを抜くように雑に引っ張る。黒兎の馬鹿力で救助されたのは、ノームのように老けた男だった。


「じーちゃん! 生きとるかじーちゃん!」


 老衰していてもおかしくない男はぐったりとしており、呼吸が浅い。


「医者ぁぁあぁー!」


 焦る黒兎はそう叫んだ。警戒を虎獅狼に任せたカラマは剣を置いて黒兎と男に近付く。すぐに手首の脈に触れたが、カラマにもできることはなかった。


「魔法職の人間がいれば回復魔法をかけられるんだけど……」


 唇を噛んだ。救助はタラたち魔法職の人間の役割だ。剣士の自分にはどうすることもできない。


「二人とも、離れてくれ!」


 そう言って飛び下りてきたのはハインツだった。華麗に着地したハインツは「頼むタラ嬢!」とこの場にいない人間の名前を呼ぶ。


「フローラ!」


 鏡から飛び出してきたのは杖の先だった。その声はタラの声で、黒兎とカラマは同時にハインツの鏡を覗き込む。


「「タラ!」のねーちゃん!」


 そこに映っていたのは黒兎とカラマではなく、ドナトリア王国にいるはずのタラだった。

 杖を引っ込めたタラは何故か両耳を塞いでおり、「何してんねん」と尋ねた黒兎に答える。


「ハインツが城中の鏡を使って私を呼んだの。すんごくうるさかったんだから」


「すまない、緊急事態だったんだ」


 あの一瞬でそこまでできたのか。感心すると同時に同情する。そして、まるでビデオ通話のように会話できることに驚いた。


「タラのねーちゃん、リタとローラのねーちゃんもおるん?」


「え? 近くにはいないよ」


 なら、タイミングが合えば今のように会話ができるのか。別れ際のリタが寂しくなさそうだった理由をようやく知る。自分たちは本当にいつでも会えるのだ。


「貴方たち、マーヴァル王国に着いたらすぐに魔法職の仲間を入れなさい」


「いつでも手を貸せる訳じゃないからねぇ」


 勧誘しろでもなく、入れた方がいいでもなく、入れろと命令される程不味い状況らしい。


「はい」


 大人しく従おう。この大陸のことはこの大陸の人間の方が詳しく知っている。


「マーヴァル王国も大国だし、オズ王国に行くって言えば来てくれる魔法職の人間はいるはずよ」


「じゃ。三人とも頑張ってね〜」


「タラのねーちゃん、ほんまおおきに!」


 手を振るタラが黒兎とカラマに変わった。黒兎はタラが顔を出してからずっと放置していた男の様子を確認する。


「無事よ。回復魔法をかけられたもの」


 男は目を覚まさなかったが、カラマが言うならば信じられる。実際、もうぐったりとはしていなかった。


「あー……こっちも緊急事態かも」


 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、遠慮がちな様子で虎獅狼が言う。


「は?」


 顔を上げると、馬車の背後に身長五メートル程の男が立っていた。


「あー……迷子かもしれんな」


「馬鹿じゃないの! トロールよ!」


 カラマは地面を蹴り、御者台から中に戻って剣を拾う。背後にいるのはそういう相手なのだと理解した黒兎は男を抱えて馬車の中まで戻った。


「ハインツ! しょうゆ!」


 飛んできたハインツを掴んで男の体の上に置く。代わりに狙撃銃を袋から出した。


「バルルッ!」


 鳴いたしょうゆは御者台に誰もいなくても全速力で逃げる。一気に距離が開くがトロールが走ると距離が縮まる。


「なんやねんこいつ!」


「ここ、トロールの縄張りなんだわ! だからこんな道があったのよ!」


 カラマは剣を構えるが、虎獅狼と同じく走行中の状態で攻撃することは難しかった。


 そんな剣士たちの状況がわかる黒兎はすぐにトロールを観察する。土気色の体は豊満だが、そうでなくても人間と違い皮膚が硬そうに見える。大事な部分だけ腰蓑で隠しており、どこから持ってきたのか年齢を重ねたような木を振り回し始める。


 あまり文明的でないと感じるが、ドラゴンと比べると充分に人間らしい。

 トロールは魔獣の中でも亜人と呼ばれる存在だった。


「コノエ、撃てる?!」


「撃てへんことはないけど……!」


 黒兎はスコープを覗いていたが、すぐに狙撃銃を下ろす。


「あの巨体や、多分仕留め切れへんぞ!」


「あのねぇ! 何の為に貴方に魔力を教えたと思ってるの! あれは風属性の魔力を込めて挽肉にしちゃえばいいのよ!」


「あっ、その手があったか!」


 完全に忘れていた。黒兎は再びスコープを覗くが、虎獅狼が視界に入ってすぐに下ろす。


「何してるの!」


「ちょお待って! 考えがあんねん!」


「考えって?」


 黒兎は右腕に付けていた腕輪を取って虎獅狼の右腕に付ける。


「何これ」


「魔法道具や。自分まだ魔法使えへんやろ」


「え。俺魔法使えるの?」


「魔法はイメージや!」


 それを黒兎に教えたカラマも傍にいる。虎獅狼はじっと右腕の腕輪を眺め、黒兎にされるがまま右腕を突き出した。


「俺に続けや? ドーン!」


「どーん!」


 虎獅狼の掌もパチッと小さな音を立てて火花を見せる。


 ──ドォン!


 斜め下に放ったからか穴というよりも地面を抉ったような結果になったが、五メートル程のトロールにはそれで充分だった。

 簡単に躓き地面に倒れ、馬車に少しだけ衝撃を与える。


「へぇ。面白い」


 虎獅狼の好奇心に火がついたらしい。黒兎は虎獅狼の腕から腕輪を回収して、タラに言われた通り説明した。


「これは土属性の魔法道具や。次襲われたら火属性でトロール焼くんやで?」


「いいね。どんな味がするんだろう」


「食うなドアホ!」


 脊髄反射でツッコむが、虎獅狼はボケではなく本気でそう言っている。それがわかる黒兎だから頭を抱えた。


「お前さんたち強いのぅ、助かったわい」


 振り返ると、男が起き上がって手を叩いていた。ハインツは傍らで横になっている。


「じーちゃん無事か?! 大丈夫なん?!」


「大丈夫じゃ。初対面なのに少々馴れ馴れしいな」


 男の声は老人とはいえかなり嗄れていた。本人もそう思っているのか何度か咳払いをする。


「どうぞ」


 カラマは声を掛けて水筒を渡すが、表情はあまり心配していなかった。


「大丈夫じゃ。ありがとうお嬢さん」


 それでも嬉しかったのか男は微笑む。水を飲むと楽になったのか、何度か発声して声の調子を整えた。


「お爺さん、俺たちマーヴァル王国に向かってるんですけど良いですよね?」


 心配は黒兎とカラマがしたからか虎獅狼は別の話をする。だが、それも大事な話だった。


「勿論じゃ。わしもマーヴァルに行こうと思うて冒険者を雇ったんじゃがな? トロールに襲われて捨てられたんじゃ」


 それでどうしたら地面に埋まるのか。黒兎も、そして虎獅狼でさえ心から年老いた男を憐れむ。


「雇ったってことは、俺たちがお爺さんをマーヴァル王国まで送ったら何か報酬くれるんですか?」


「当然じゃ」


「任せとき、じーちゃん。地の果てまで送ったるわ」


「それは困るのぅ」


 報酬と聞くとやる気を出す黒兎だが、年寄りの頼みならば無償でも聞く。黒兎も虎獅狼も年寄りには弱かった。


「わしは吟遊詩人アブラハムじゃ。マーヴァルまでよろしく頼む」


「俺は近衛このえ黒兎や。こっちは工藤、こっちはカラマのねーちゃん。ほんで吟遊詩人ってなんなん?」


 聞いたことがない。虎獅狼と共に思わずアブラハムに詰め寄る。


「色んな国を旅して歌を歌うんじゃよ。例えば……あー、ごほん、あ、あー」


 アブラハムはまた発声するが、アブラハムの普段の声を聞いたことがない黒兎でさえまだ本調子ではないと思う。


「まずは発声練習じゃな」


 そう言って息を吸い込んだ瞬間、傍らのハインツが立った。


「ラララララララララ〜」


「お前が歌うんかい!」


 アブラハムは黒兎のツッコみや傍らの勝手に動く手鏡にはまったく気付かず、懸命に発声練習を繰り返す。


「アブのじーちゃん耳大丈夫か」


「正常よ。回復魔法をかけられたもの」


「回復魔法って万能ですね」


 三人揃って危なっかしいアブラハムの発声練習と気分良く歌うハインツを見守った。そんな三人と誰もいない御者台を黙って見比べたのがしょうゆだった。

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