外伝Ⅰ 『聖女フローラの召喚Ⅰ』
花は人の心を癒す。
少なくとも私は花を見ていると癒される。だから私は花が好きだ。
花を見た人の笑顔を見るのも好き。花を貰って喜ぶ人の笑顔はもっと好き。
だから私は死に物狂いで魔法の勉強をし、私だけの魔法を使った。風属性、土属性、水属性、光属性、そして──闇属性。
様々な属性の魔法を合わせて花を咲かせ、自分の心を癒し続ける。その花を見て人々も癒され続ける。素敵な循環だと思う。
私の花の魔法はいつからか回復魔法と呼ばれ、花の魔女と呼ばれた私はいつからか聖女と呼ばれ。
人々は私を聖女とした花の国フルールを建国した。それだけは勘弁してほしかった。
女王じゃなくて聖女だから良いだろう? そんな訳はない。私は私の花園に引き篭って花を愛でる以外のことはしたくない。それで生きていく為に死に物狂いで魔法の勉強をしたの。お願いだからそっとしてほしい。面倒事は持ってこないでほしい。
あぁ。神様。本当にいるのなら私をこの国から解放してください。
神様がいるのかいないのかは知らないけれど天に祈った。ついでに大陸中の花たちに恵みをください。本当に、本当に、それだけでいいのです。
瞳を閉じるが変化はなかった。それもそうか。自分の存在を完全に信じていない人間に与える慈悲はない。
瞳を開けると、そこはフルール王国の城のバルコニーではなかった。
謁見室に見えるけれど、フルール王国とだいぶ雰囲気が異なっている。
「……どこ、ここ」
驚き過ぎてそんな言葉しか出てこなかった。材質がわからない、清潔過ぎる真っ白な壁と床。私が座っているのは絨毯のようだけれど、こんなに触り心地の良い絨毯はフルール王国の城にもない。
「月光国です」
そう答えた人間は私の背後にいた。慌てて振り向くと、困ったような表情をする男性が立っていた。
「きゃあぁぁあぁ!」
「あっ、いや! そうだよな! そうなるよな!」
男性が慌てる。どうして何か事情を知ってそうなそっちが慌てるのよ。苛立つけれど身を守る為に無視して走った。ここはどこ? 月光国? そんな国は知らない。
出入口は男性の方にしかないらしく、私は急いで男性の背後に回った。扉を開けると灰色の空が視界に飛び込む。
「────」
曇天ではなかった。引き返した方が良いと思う程に外の空気が汚れている。
立ち尽くしていると、視界の端に人の気配を感じた。見ると同年代くらいの男性も空を見上げている。男性も私に気付いて視線を向けた。
黒い髪に黒い瞳。《黒の迷い子》に見えるけれど、この国では私が迷子だ。
空の下に広がっている建物はどれも見たことがない。男性たちが着ている服も異国情緒溢れているとしか言いようがない。聖女として大陸中の国に訪れたことはあるけれど、どの国にも似ていない不思議な国だった。
「も、申し訳ございません。少しだけ、話を聞いてくれませんか」
振り返ると、男性が両手を上げていた。酷いことをする気はないという彼なりの意思表示なのかもしれない。
頷くと、男性は安堵した。
「ありがとうございます。まずは自己紹介をさせてください。私は石上麻之と申します」
イシガミはそう言いながら腰を下ろして両膝を床に付ける。それは、私を聖女として崇めたフルール王国──いや、メルヒェン大陸の人々のようだった。
「貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
上げた手も床に付けてイシガミは尋ねる。いよいよメルヒェン大陸の人々と変わらない態度に、嫌になる。
「……フローラ」
それでも答えた。知らない人なのに思わず名乗ってしまった。けれど、イシガミからは悪意を感じない。それは闇属性の魔法が私に教えてくれたことだった。
「──聖女フローラ」
心臓が跳ねる。何故イシガミは私が聖女と呼ばれていることを知っているのだろう。
「お願いしま……」
「待て」
頭を下げようとしたイシガミを止めたのは、私と同じように空を見上げていた男性だった。先程からずっと私たちのやり取りを眺めていた男性は、「私はイザナだ」と遅れて名乗る。
「聖女フローラ」
イザナはイシガミと同じことを言う。
「頼む。この国を救ってくれ」
イシガミより先に頭を下げる。
あぁ。神様。確かに私はフルール王国から解放してほしいと願ったわ。
でも、これは違うと思うの。お願いだからそっとしてほしい。面倒事は持ってこないでほしい。私はそう思っていたはずよ。
「……話を、聞かせてください」
けれどどうしても断れなかった。
聖女と呼ばれて早数年。頼まれたことはなんだかんだ引き受けてきた。
私は私に対する悪口に弱いのだ。聖女として有名になればなる程に、断った時の反応を想像して怖くなる。
聖女と呼ばれ始めた頃に断った時の王たちの絶望に満ちた表情は思い出したくないなぁ。
悪いことは一切していないはずなのに良心の呵責に苛まれて、結局引き受けてしまった。
「感謝する」
イザナは今まで私に頼み事をしてきた人たちと違って喜ばなかった。改めてしっかりと頭を下げて礼を言っただけだった。
──イザナは不思議な人だわ。
喜んでいるんだろうけど、その感情を一切表に出さない。イシガミを見るとイシガミも同じような反応をしていて、イザナではなく月光国人が不思議なのかもと思い直す。
ちょっと調子狂うなぁ。私は大喜びする人の笑顔も好きだったのかもしれない。
そう思ったらメルヒェン大陸が恋しくなった。花園さえあればいい、なんて、何も知らない私の現実味のない妄想だったのかもしれない。
私はイザナとイシガミに案内されてこの建物の一階まで下りた。
一階、と理解したのは巨大な窓から見える景色が広い地面だったからだ。
地面はあまり栄養がなさそうで、干からびている。そのせいで草木も花も枯れている。
「これは……!」
そういえば、上から見た景色は建物ばかりで草木はなかった。
知らない──異世界の建物に気を取られて気付けなかったけれど、どこの世界にも草木はあるのだ。それがなかったら人は生きていけない。
イザナもイシガミも私と同じ人間だ。それを強く思い知るから、彼らの危機も実感する。
「今までどうやって生きてきたのですか!」
何故この国は滅びていないのか。何故二人が生きているのか。どうやったって私の知識では説明することができなかった。
「二酸化炭素を酸素に変える機械でなんとかしているが、見ての通りそれだけでは空気を綺麗にすることができなくてな」
「ニサンカタンソ……?」
イザナの言葉が急にわからなくなる。私の知識では説明することができないから、彼の言うことが理解できないのだろう。
「一番の問題は日照りだ」
「日照り!」
日照りはわかる。というか見たらわかる。
「あぁ。もう半年も降っていない」
イザナは眉間に皺を寄せて空を見上げた。イシガミは表情を曇らせて視線を落とした。
「聖女フローラ、頼む。雨を降らせてくれ」
イザナは私に視線を移す。
「雨を降らせてくれたら他には何も要らない」
そう告げたイザナの表情は、みるみるうちに歪んでいく。
……どうしてそんなことを言うのだろう。
一つじゃなくていい。二つじゃなくてもいい。三つあったっていい。
「欲張っていいんですよ」
欲張ってほしい訳じゃないけれど、少なくともメルヒェン大陸の人々は一つだけじゃなくて二つも三つも求めてきた。私が見る限り、月光国もそれくらい求めてもおかしくないくらいの危機に陥っている。
「この国を救ってほしくて私を呼んだんですよね?」
イザナはきっと、涙も出ない程に苦しんでいた。救おうと努力して、救えなくて、どうしようもなくなったから私を呼んだのだ。
イザナは喜ばない人じゃない。まだ救われていないから喜べないだけ。
「……そうだ」
震える声でイザナが答えた。
「ならば頼ってください」
好きで聖女をやっている訳ではないけれど、草木や花が枯れているこの国を見て何もしない程冷酷ではない。
人間にも命はある。それと同じくらいの価値の命が植物にもある。
イザナは何も言わなかった。迷うように私を見ているのは何故だろう。
「頼っていいんです」
私はイザナに向かって右手を伸ばした。
「雨を降らせることも、花を咲かせることも、そんなに難しいことではないですから」
イザナがようやく右手を伸ばす。ゆっくりとだったけれど私の右手に近付いていく。
私は、イザナから手を握ってくれるのを待っていた。
だって、イザナにも花が咲くことを望んでほしい。望まれなければ私がいなくなった直後に枯れてしまう。そうなってほしくない。
「……雨を降らせてほしい」
「はい」
「……大地を耕してほしい」
「はい」
「たくさんの野菜を収穫して、人々の腹を満たしてほしい」
「はい」
イザナの手が私の手を掴んだ。私はイザナの手を握り返した。
「必ず花を咲かせてみせます!」
「花は最後にしてくれ」
イザナが左手で額を抑えた。
私は杖をドレスの胸元から取り出して来た道を戻った。
「聖女フローラ! どこへ!」
「なるべく高いところです!」
つまりは最初にいた部屋だ。私は慌てるイシガミを連れて階段を上る。
最初にいた部屋の廊下に立つと、イシガミよりも先にイザナが追い付いた。
「準備は整ったのか?」
イザナは目を丸くして私に尋ねた。
「準備なんて要りません!」
イザナが知っていることと私が知っていることは違う。
イザナができることと私ができることは違う。
出逢ってまだ少ししか経っていないけれど、きっと、互いにそう思っている。
「頼んだ」
イザナはメルヒェン大陸の人々と違って私がこれから何をするのかはわからないだろう。それでも私を信じてくれる。
……まぁ、聖女とわかっていて召喚したのだから信じてくれなかったらぶん殴っていたけれど。
私は杖の先を巨大な窓の奥──濁った空へと向ける。どこを見ても雲がない。これがこの国ではずっと続いている。
もしかしたら、私一人の力じゃ足りないかも。
「シルフ! ウンディーネ!」
召喚したのは風の精霊と水の精霊だ。気配はすぐに現れたけれど、どっちも姿は見せてくれない。
だからかイザナは不思議そうな表情をした。
「力を貸して!」
生み出した水を風で空高くへと運んでいく。シルフとウンディーネのおかげで目的地まで届きそうだ。
「なっ──?!」
イザナは私と空を交互に見比べ、「これが……魔法……?」と言葉を漏らす。
思った通り、イザナは魔法を知らなかった。どんな人にも最低限あるはずの魔力──イザナはそれの半分しかない。魔力を鍛えていない証拠だ。
「雨は降ります」
確信しているけれど手は止めない。イザナが求める雨はこの程度ではない。
少しずつ少しずつ増えていく真っ白な雲は、色を濁った灰色に変える。少しずつ少しずつ、空から水が降ってくる。
「雨だ……」
やっと私とイザナに追い付いたイシガミが呟いた。
雲が視界に入るすべての場所を覆うまで、それ程時間は掛からなかった。




