第二十話 『冒険者ハインリヒⅢ』
それからが忙しかった。黒兎と虎獅狼はハインツとカロリーナからアドバイスを貰い、戴冠式を終えて戻ってきたリタたちに出立を伝える。リタは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに真面目な表情で頷いた。
「カラマ様、宝物庫に行ってありったけの財宝を持ってきてください」
「要らんて!」
女王のリタが言えばカラマはそうせざるを得ない。全力で断るがリタは「ですがまだ何も差し上げられていません……!」と譲らなかった。
「くっ……! これが傾国……!」
「暗君でしょ」
リタには強気になれない黒兎に虎獅狼がツッコむ。
「それに、たくさん貰っても持ち運びができません」
虎獅狼の説明でようやくリタが引き下がった。
リタは財宝がなくても良い政治ができると思っていたらしい。さすが世間知らずのお姫様だと虎獅狼はリタに興味を持つ。
「……とりあえず、何かあるか見てきます。タラ、ローラ、後は任せるわ」
そう言って、カラマは一人で宝物庫に向かった。
ドナトリア王国には騎士がいない。故にウーリに命じられてリタの傍にいたカラマは、リタとウーリの結婚式後、正式にドナトリア王国の騎士になることを命じられた。
トレステイン王国騎士団第二部隊隊長のカラマに与えられた階級は団長で、傍から見てもかなりの出世をしたと思う。ただ、先程のリタの言葉を含め、どうしても先が思いやられる。
ドナトリア王国はこの先大丈夫なのだろうか。
宝物庫に入ってようやくカラマは溜息を吐いた。
「悩み事かい? カラマ嬢」
思わず悲鳴を上げそうになる。昨日と同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。カラマは宝物庫に置かれた全身鏡を思わず睨む。
「すまない。驚かせた」
ハインツには気配がない。鏡に宿る以上どうやったって驚かせてしまう。悪気はないと理解したカラマはゆっくりと気を緩めた。
「何も悩んでいないわ」
トレステイン王国はウーリの周りにいる人間が優秀だ。ドナトリア王国もそうなればいいだけだと思う。
「カラマ嬢。コノエ坊とクドウ坊は二人でトレステイン王国に行けるだろうか」
「私がついて行くから大丈夫よ」
他国の騎士団の団長になってもウーリとの繋がりは消えない。リタはトレステイン王国の王妃でもある。常にドナトリア王国にいる訳ではない。
「疲れないか? カラマ嬢はずっと両国を行き来しているだろう」
「昔から旅には慣れているから問題ないわ」
カラマは財宝が溢れる宝物庫を見回した。武器はひとまず要らないだろう。最優先しなければならないのは二人がトレステイン王国で使用する金だ。
「カラマ嬢は冒険者だったのか?」
国外には魔獣がいる。そういう訳でどこかの国で生まれ育った人間の大半は旅とは無縁の生活を送る。国外に行くのは外交をする王族か、それについて行くカラマのような騎士か、大陸を旅する冒険者くらいだ。
「放浪者よ」
そういう人生を送らなければならなかった。
カラマは財宝の山を眺める。ヴァルトラウトが貯めていたのだろう。一目でどこの国の高級品かわかるのは、カラマの特殊な生い立ちが理由だった。
「私、父が《黒の迷い子》なの」
虎獅狼の態度には懐かしさを覚える。
だから黒兎の態度には驚かされる。
「なんと」
大陸中に存在するハインツだが、カラマの告白には驚きを隠せなかった。何もわからない《黒の迷い子》に恋をする女はいない。いや、いないは言い過ぎかもしれないが、大半の女は地元の男と結ばれている。
「……父はずっと、今いる場所じゃないどこかに行きたがっていたわ」
カラマとカラマの母はそれに振り回されてばかりの人生だった。カラマは辟易していたが、カラマの母にはそういう人生が合っていたらしい。いつも喜んで父について行く母をカラマはずっと羨んでいた。
カラマにとって不幸だったのは、父が剣の達人だったことだ。初見の魔獣でもあっさりと倒してしまうから、どこかの国に定住しようとも言えず。十歳になった時に辿り着いたトレステイン王国で騎士になることを選び、両親と別れた。
……カラマにとって幸運だったのは、父が剣の達人だったことだろう。
父に鍛えられて育った彼女は、十九歳の若さで団長になった。
「コノエも、クドウも、父と同じ」
初めて会った時からこうなることはわかっていた。
「残される人のことをなんにも考えていないんだから」
トレステイン王国に残ることを選んだのはカラマだが、カラマは少しだけ、自分も残ると両親が決断してくれることを期待していた。
だが、そうはならなかった。
いつもよりも長い滞在とはなったが、二人はどこかに旅立って、九年経った今でも顔を見せに来ない。どこにいるのか、何をしているのか、知りたくても知る術がない。知りようがないからカラマは両親を亡くしたと嘘を吐いている。
カラマはもう子供ではない。自立した成人済みの大人だ。
そう思ってはいるが、寂しくないと言うことも嘘になる。
団長になったと報告できれば。おめでとうと褒めてくれたら。喜べる心はまだあるのに。
「人の一生は短い」
ハインツがそう言うと妙に説得力がある。
「《黒の迷い子》たちは皆、失った自分を取り戻そうと必死に生きているんだろう」
だとしても、父には家族の為に生きてほしかった。
カラマは金貨が入った袋を見つけて鷲掴む。もう宝物庫に用はない。
「カラマ嬢。もし良かったら旅の話を聞かせてくれ。暇な時で構わない」
「何故? 貴方ならなんでも知っているでしょう」
背中を向けていたが歩を止めた。宝物庫の外には鏡がない。
「──鏡がない世界は知らない」
胸が締め付けられるような声が零れた。まるで余命幾許もない人間のように、ハインツは外の世界に恋焦がれていた。
「……なら、旅に出ればいいわ」
そうすることができなかった理由はわかる。
「カラマ嬢、冗談はよしてくれ」
「冗談に聞こえる? これから旅立つ人間がいるのよ。その二人は貴方を知っているし、邪険に扱うこともないでしょう」
鏡が息を呑む音が静寂に響く。
「世界には、同じ時も、同じ景色もないのよ」
それを嫌という程に知っているカラマが言うと妙に説得力がある。
「それを知れたら死んでもいい」
絶対に涙は流れないのに、泣いていると確信できる声を背中にしてカラマは宝物庫を後にした。
黒兎と虎獅狼を探してようやく見つけた場所は、厩舎だった。黒兎は嬉しそうにしょうゆの体を撫でている。
「バルルルルッ!」
「おっ、なんやねんしょうゆ。俺や俺。忘れたとは言わせへんで」
しょうゆは黒兎に舌を出しているが黒兎は気にしない。しょうゆのそういう部分も可愛がっているようだ。
「蹴られるわよ」
「せやねんさっきからコイツむっちゃ蹴ろうとしてくんねん」
黒兎は馬に慣れているのか、蹴られそうになると上手く避ける。しょうゆは背中に乗せる人間をかなり選んでいる馬だが、革命時にしょうゆを乗りこなした黒兎ならば選ばれなくても乗れるような気がした。
「カラマさん。近衛、勝手に馬選んでるんですけど大丈夫ですか?」
「えぇ。その馬なら問題ないわ。クドウはこの子に乗りなさい」
カラマはリタが革命時に乗っていたマヨネーズを指す。しょうゆ同様、マヨネーズも誰かの愛馬ではない。虎獅狼も馬に慣れているのか怖がる様子もなくマヨネーズに挨拶した。
「コノエ様ー! クドウ様ー!」
走ってきたのは戴冠式の衣装を脱いだリタだ。ついて来るのはタラとローラ、そして先程挨拶をしたカロリーナの三人で、カロリーナの手には手鏡が握られている。
「カラマ様、良かった! お金あったんですね!」
「はい。コノエにはいくら渡しますか?」
「全額で!」
「せやから要らんて!」
カラマはしょうもないやり取りをする二人に呆れ、あからさまに表情に出す。
「貰っておきなさい。端金よ」
ヴァルトラウトは物の価値がわかる女だったようで、宝物庫の財宝を脳内で金貨に変換したカラマは惜しむことなく袋を黒兎に押し付けた。
リタの金銭感覚は信用できないがカラマの金銭感覚は信用できるらしい。黒兎は遠慮なく受け取って外套の内ポケットにしまった。
「コノエ坊、クドウ坊」
二人が馬に乗る前にハインツが声を掛ける。
「もし……目当てを言って許されるなら、私を連れて行ってほしい」
カロリーナが笑顔で手鏡を差し出す。鏡台や全身鏡は持ち歩けないが、手鏡ならば問題ないだろう。
「えっ、俺は別にかまへんけど……カロリーナのばーちゃんはええんか? それ」
手鏡はカロリーナの私物だ。手鏡を持つ程綺麗好きな人間は少ない。それ故に生産数も少ない貴重な品だ。
「ええ勿論! ハインツを色んなところに連れて行ってくれると嬉しいわ!」
それをハインツの為に惜しみなく手放すカロリーナは優しい女だった。北の魔女の噂はカラマの耳にも届いていたが、自分と血縁のある祖母のようだと錯覚させる温かさと包容力が彼女にはある。
「わかった。ハインツ、よろしゅうな」
「こちらこそ。頼んだ、コノエ坊」
カロリーナからハインツを受け取った黒兎はハインツを外套の外ポケットにしまった。
背中には狙撃銃を。腰には銃を。腕には腕輪を。すべて確認して黒兎はしょうゆに跨る。
虎獅狼は刀を背負ってマヨネーズに跨った。カラマは剣を腰に差してソースに跨る。
「カラマ様、二人を──いえ、三人をよろしくお願い致します」
リタは両手を握り締めて微笑んだ。
「はい。必ず無事に送り届けます」
タラとローラは黒兎と虎獅狼との別れを惜しむ。
「うわぁぁあぁん! 寂しいよぉぉおお!」
「元気でね、魔獣に気を付けてね」
タラは大粒の涙を流し、ローラは黒兎の手を両手で包んで無事を祈った。
「ローラのねーちゃんも。タラのねーちゃんもな」
タラの手は涙を拭わず、虎獅狼の手を掴んで上下に振る。
「タラさん情緒不安定ですね」
「だ、れ、の、せ、い、だ、とぉおぉお!」
真顔の虎獅狼に対してタラの背後の土がぼこぼこと盛り上がった。
「わかるで。タラのねーちゃん」
黒兎はうんうんと頷く。ローラは苦笑いをする。タラが心を落ち着かせると背後の土も大人しくなった。
「……はぁ。おかげさまで思い出したけど。クドウ、これ持ってみて」
タラの手が虎獅狼から離れると同時にローラの手も黒兎から離れる。タラが差し出したのは、黒兎も触れたことがある水晶だった。
「なんですか、これ」
「ええから触っとき」
黒兎に促されて虎獅狼が触る。水晶の中に発生したのは炎だった。
「はい。クドウは火属性ね」
タラは虎獅狼から水晶を奪い取る。虎獅狼は何も理解していない表情を浮かべていたが、「後は私の弟子に聞きなさい」とタラに言われて黒兎を見た。
「後でな」
黒兎は告げて辺りを見回す。この場にいる全員が黒兎を見ている。
「ほな、行くわ」
黒兎が見つめ返したのはリタの双眸だ。
「はい」
返事をするリタはタラとローラと違って寂しそうにしていない。いつでも会えるとでも言いたそうな表情だ。
それに対して少し落ち込む。リタが寂しがることを期待していたらしい。
「なんかあったら言うてな。俺はリタの黒騎士やから、飛んで帰ったるわ」
言葉を交わすことも飛ぶこともできない。理解しているのに黒兎はふざけてそう言った。黒兎の中に流れる上方の血がどうしてもそうさせてしまうのだ。
「頼りにしています」
リタは真面目に返す。だが、黒兎と同じように心からの笑顔を見せていた。
しょうゆ、マヨネーズ、ソースが駆け出す。全員が手を大きく振って、黒兎、虎獅狼、ハインツ、そして案内人カラマの門出を祝った。
*
「リタ嬢」
椅子に腰を下ろして鏡台の鏡を見つめたリタに声を掛けたのは、ハインツだ。ハインツは人と話すことが好きなのか、リタが鏡の前に姿を現すとたまに声を掛けてくる。
「ハインツ様」
リタは嬉しくて口角を上げた。ハインツはリタを女王扱いしない。当然王妃扱いもしない。ハインツはリタにとって生まれて初めての友人だった。
「お元気ですか? コノエ様とクドウ様もお変わりないですか? カラマ様はどうでしょう」
「そうだな。二人とも呆れるくらい元気で、カラマ嬢は少し疲れているようだ」
ハインツは答えた。二人がどこにいても、何をしていても、ハインツがすべて教えてくれる。ハインツは、ヴァルトラウトにもそうしていた。
「私は、ヴァル嬢にも元気で──生きていてほしかったよ」
ハインツは、自分の存在が人の世に対して良い影響を与えることはないと思っている。だからハインツはヴァルトラウトやカロリーナといった人離れした魔女たちにしか声を掛けることができなかった。
自分を程よく利用するヴァルトラウトは、ハインツにとって、自分が自分でいられる最も居心地の良い友人だった。
リタはハインツの言葉を受けて真顔になる。ハインツはリタがヴァルトラウトからどのような仕打ちを受けていたのかをこの世に生きる誰よりも深く知っている。
リタから罵声を浴びせられても傷付く権利さえない程に、ハインツは虐待の片棒を担いでいる。
本当であればこうして気軽に話をすることさえ許されない関係なのだ。
「私は、ハインツ様の想いを抱えて生きていきます」
リタはそっと手を伸ばす。鏡に触れられてもハインツはリタの熱を感じない。リタの熱が宿る双眸から目を逸らすことができない。
「……ヴァルトラウトを愛する人がいることは承知の上で、ヴァルトラウトを殺しました」
「そんな酔狂な奴は私以外いないだろう」
「父が愛していました」
リタは真顔のまま涙を流す。ハインツはリタの父も母も知っていた。リタも子供の頃から知っている。
だが、知っていると愛しているは違う。
ハインツは新しい王妃がヴァルトラウトだと知っていて、止めなかった。ハインツは友人と景色ならば友人を取る。この世界の悲しいことの大半はハインツが口を噤むことによって起きている。
「君の父は……」
ハインツはヴァルトラウトがリタの父を殺害した瞬間を見ている。リタの父が最後の最後でヴァルトラウトを憎んだことも知っているが──言う必要はないと今日も口を閉ざした。
「すべてを抱えて生きていきます」
そんなことも承知の上だったのかもしれない。リタは折れない。もう二度と。何があっても。ハインツはそんなことをリタの表情を見て察した。
「リタ嬢を女王に持つこの国の民たちは幸福だな」
リタは十六歳にして一生分の傷や苦しみをその身に受けた。リタは人の痛みがわかる女王だ。
「そ、そんな、私はまだまだ全然……!」
「謙遜しなくていい。リタ嬢は素晴らしい女王だ」
ヴァルトラウトやウーリよりも。あのオズ王国の国王であるオズよりも。
「それに私もついている。古今東西の知恵をリタ嬢に捧げよう」
それは誇張ではない。リタには魔法の鏡であるハインツがついている。
それで償えるとは思っていないが、リタは満面の笑みを浮かべてハインツを歓迎した。
オズ王国まであと、2,861㎞──




