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第十八話 『右手の薬指』

 フローラは風のように走るしょうゆのたてがみに触れ、自分があまりにも世界を知らないことを辛く思う。

 フローラが育ててきた馬でこれ程速く走れる馬はいない。乗馬に慣れているフローラでさえ振り落とされないように必死になるのだ、しょうゆを自分の体の一部のように乗りこなしていた黒兎くろとの凄さを思い知る。


「みんな、打ち合わせ通りに行くよ!」


 先陣を切るのはシルヴァンに乗っているカレンだった。正面に聳え立つ城に杖を向けるカレンは、この場にいる誰よりも祖父であるアブラハムの身を案じている。


 アブラハムを危険な目に遭わせているのはサンドラでありフローラだ。ジゼルとロザリーではない。フローラはじくじくと痛む胸を包み込む術を知らなかった。


 右側を走る虎獅狼こじろうは腰に差している刀を抜刀し、その前に座っているリサは抱えていた弓を手に持ち替える。

 左側を走るフローラの傍にいるダーさんはどこからともなく斧を取り出しており、フローラは彼らに合わせて鞭を抜いた。


「おーおー、物騒だなー」


 この場に不釣り合いな声を出すのは、しょうゆの背に移動してフローラにしがみつくアラジンだ。

 アラジンは武器を持っていないのか何も構えない。そのまま共にカレンが魔法で破壊した門の先へと突入した。


「何もしないならしっかりと掴まっていてください」


 フローラは今、黒兎の代わりにしょうゆの手綱を握っている。当然、フローラは初対面のアラジンを落馬させようと思う女ではない。落馬したらカレンがそのことに気付かない限りアラジンは助からないだろう。


「お? いいの? じゃあお言葉に甘えるけど──」


 アラジンはフローラに腕を回して体を強く抱き締めた。



「──やる気がない訳じゃないぜ?」



 刹那に耳元で囁かれる。ぞわりと鳥肌が立って、回されたアラジンの腕に思わず触れる。

 フローラが呪われていなかったら、もしくはフローラの体がいつも通りの体だったら、フローラは痛みに耐えかねて絶叫していただろう。アラジンはフローラに触れられてもその手を緩めない。アラジンはフローラの首にコンスタンスがいても躊躇わなかったのだ、このまま引っ掻いたところで離すような男ではないだろう。


「アラジンさん?! 何をしているんですか?!」


 音を立てた訳ではない。風の音ばかりが聞こえる中でリサの咎めるような声が届く。


「何って、言ったじゃん。俺はカミーラと結婚するって」


 その声はリサに届くような声量ではない。顔を上げてアラジンの表情を盗み見ると、軽薄そうな男に思えたアラジンの目の奥は笑っていなかった。


「アラビアンナイトの匂い……だけじゃねーな。アブねー匂いプンプンさせてる奴は敵──だろ?」


「駄目よコンスタンス! やめて! アラジンさん、それは誤解です!」


 リサは、フローラから離れてアラジンを狙うコンスタンスにいち早く気付く。そして、届かないはずのアラジンの声を正確に聞いて叫んでいる。


 今にもアラジンに飛び掛かりそうなコンスタンスは、リサの悲鳴混じりの制止が効いているのかアラジンに牙を向けるだけで何もしない。そもそもフローラはリサにコンスタンスの名前を教えていない。困惑したフローラにとって、リサという存在はハインツやシルヴァンよりも恐ろしい。アラジンの腕を掴むが、力を込めることはできなかった。


「何してるダァー! アラジン!」


 遅れて事態に気付いたダーさんは、土を盛って体を持ち上げる。まるで波に乗っているようだ。自在に動き、アラジンの肩を掴んでフローラから引き剥がそうとする。


「あーもー、何が誤解なんだよー」


 アラジンはダーさんに絶大な信頼を寄せているらしい。大人しくダーさんに引き剥がされるアラジンの目の奥には、光が戻っていた。


「……そうですね、誤解ではありません」


 アラジンの言うことは最もだ。フローラは罪を償う為にここまで来たが、フローラが大人しく捕まって新しい回復魔法が完成しただけでは何も解決しない。それだけではいけないのだと思考を巡らせる。


「だから私がぶちかまします」


 黒兎が何度も言ったその言葉の意味は知らなかった。それでも言葉にすると不思議と勇気が湧いてくる。


「それを傍で見ていてください」


 誰からも許されなくて当然だ。自分でも自分を許すことはできない。サンドラに望まれた時、舌を噛み切って死ねば良かったのに。

 悔やんでも悔やみ切れなかった。今の自分が自死を選ぶことは誰よりも自分が許せない。アラジンに殺されることは罪を償ったことと同義ではない。


 生きて償う、だからフローラは首根っこを掴まれたアラジンに向かって手を伸ばした。


「言ってる意味がぜーんぜんわかんねー」


 アラジンは肩を竦めたが、自分と同じようにソルバーク王国の現状を知っているダーさんがフローラを信用している。信じられない程に美しい、リサと呼ばれた女がフローラを庇っている。


「けど、わかったよ。こいつには手を出さないっつーか……もうそう言ってる場合じゃないしなー」


 アラジンの視線の先にいるのは、中庭で戦闘を繰り広げている騎士たちだ。

 誰も風のように走るオラティオには目もくれない。オラティオにとってはどちらがジュリアンの勢力でどちらがサンドラの勢力なのかもわからない。


 オラティオが騎士たちを薙ぎ払う時は、オラティオが騎士たちから攻撃を受けた時だ。その時は──


「邪魔だ退けぇえーーッ!」


「シルヴァン駄目ぇーッ!」


 ──打ち合わせを忘れたシルヴァンによって、一瞬にして訪れた。


 シルヴァンは剣と剣を交わらせる騎士たちの鎧を蹴り、二人を遥か後方へと吹き飛ばす。強制的に息を吐き出された二人は喘ぎ、何が起こったのかと考える余裕もなく目を回す。

 辺りに散乱した鎧の欠片は鎧が砕け散ったことを表しており、カレンは「こらっ!」とシルヴァンを叱って倒れた二人に杖を向けた。


「ちょ待って!」


 しょうゆはあっという間にシルヴァンに追い付く。それどころか置いて行こうとしており、アラジンは体勢を崩しながらカレンに声を掛けた。


「右の男! アラビアンナイトの匂いがする!」


 アラジンはカレンが何をしようとしているのか一瞬で見抜いたらしい。カレンは左側に倒れている男に回復魔法を掛けたが、助けられた男はオラティオを睨んだ。


「何者だッ!」


「あーッ! 違いますーッ! 味方ですーッ!」


 ジュリアンの勢力もサンドラの勢力も関係ない。王族が討たれたらどちらの勢力も瓦解する。ならば最初に討つべきはオラティオだとそれぞれの武器を向ける。

 カレンは必死になって弁解するが、どれ程強く訴えても逃げるシルヴァンのせいでその想いは誰の心にも伝わらなかった。


「先に行ってください!」


 フローラはしょうゆの手綱を引いてしょうゆに自分の意思を伝える。元々体勢を崩していたアラジンは落馬したが、カレンの回復魔法によって一瞬で立ち上がる。


「でも!」


「待って、一人じゃ危険だわ!」


「ならダーが残るダァー!」


「巻き込みます! アラジンさん頭下げて!」


 フローラは一人で大丈夫だと伝えるように握り締めていた鞭を振った。

 叩く相手は当然しょうゆではない。立ち止まって騎士たちの表情を見れば、なんとなくではある物の誰が苦しんでいて誰が苦しんでいないのかはある程度見抜ける。


「────ッ!」


 声にならない声が鞭打たれた騎士たちのすべてから上がった。

 騎士たちの誰もが、鳥の足や女が振るう鞭程度で砕かれる鎧ではないと信じているのに──それがなければ今頃は肉体が抉られていたと肝を冷やす。


「いーや、一人じゃ無理だろー」


 そんな彼らを見たにも関わらず、唯一残ったアラジンが呑気にそう言った。


「……私がこの子から下ります、アラジンさんはこの子に乗って彼らを追い掛けてください」


「いやいや、下りなくていいって」


 フローラは今すぐサンドラを探すべきなのかもしれない。だがサンドラを前にして正常心でいられる自信がない。

 最低でも三百人はいるであろう騎士たちを一人で相手にして罪滅ぼしの一つでもしたいのに、アラジンは頑なに離れようとしなかった。


「何故──」


 刹那に放たれたのは光線だ。フローラは咄嗟に鞭を振るおうとするが、鞭でどうやって光線を防げば良いのだろう。

 呆然と光線を見上げるフローラと違い、アラジンは右手を天に伸ばして薬指にはめていた指輪を光に翳す。


「ごめんなー、ジンニーヤ」


「こうなると思ってただぁ〜」


 アラジンと同じように呑気にそう言って光線を防いだのは、どこからともなく現れた虎獅狼と同じくらいの身長を持つ女だった。

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