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第十七話 『オラティオ、集結』

 しょうゆを走らせながらフローラの話を聞いた黒兎くろとは、盛大に溜息を吐く。


「腹立つなぁ」


 サンドラの言うフローラが、フローラに変身したジゼルであること。フローラとフローラが同じ場所に存在することができないように、フローラの足を傷付けてフローラを部屋に監禁したこと。そもそもフローラは七年間も屋敷の外に出ることが許されなかったこと。


 それらすべてを聞いた後に出てきた言葉は、本来腹が立つの一言で済むものではない。ただ、黒兎自身もかつては禁所の外に出ることが許されなかった日々を送っていた男だ。

 学校に行くことができるようになってからは外出も許されるようになったが、黒兎はその時間を訓練に費やしており外に出たことはほとんどない。当時の憎しみを思えば何も辛いことではなかったが、いよいよ軍に入隊できる年齢になった時に命じられるままに行った一人暮らしは、黒兎を少しだけ堕落させた。


 目に映る物のほとんどが新鮮で、誰と共に行動することも監視されることもない。好きな時に起きて好きな時に好きなものを食べる。家事も思っていた程苦痛ではなく、幼い頃から抱いていた憎しみは時間と禁所ではない場所が少しずつ流していく。


 それでもヴァルトラウトから受けた呪いは消えない。


 黒兎はあの時、軍に入隊する他の人間と同じような経験を得て禁所に戻った。

 戻らなかったらこんなところにはいない。戻らなかったら呪いは消えなかった。あの時前に進んだことは間違いではなかった。だから黒兎は月光国げっこうこくへと今も進む。


「……腹、立つ」


 呟いたフローラは、城を目指しながら瞑目した。

 自分はサンドラのことをどう思っているのだろう。父とサンドラが再婚した時、フローラはサンドラを良い継母だと思っていた。父が亡くなったのは間違いなく事故で、父の私財を使い果たしたサンドラに涙を流したのは、自分が魔法学校に入学できないと判明した時だった。


 魔法は魔法学校で学べば良い。

 今は好きなことをしていれば良い。


 そういう教えの下で育ったフローラが傾倒したのは薬草学で、魔法学校に入学できず、薬草学にさらにのめり込んだ結果、サンドラが望む物を望まれるままに作ってしまった。

 言われるがままにレシピを教えたのも、悪用されると思っていなかったから。フローラは人の悪意というものを十五歳になっても知らなかったのだ。


 レシピが充分に揃えば、サンドラはフローラに家事を命じて薬草を研究する機会を減らした。フローラは薬草に触れたくて言われたことはサンドラが満足するまでこなし続けた。


「…………私には、わかりません」


 項垂れる。フローラは、公爵令嬢としてジゼルやロザリーのように生きていたら、そもそも薬草に触ることさえできないような気がしていた。


「ジゼルやロザリーのように生きることが幸せだなんて、思えないんです」


 黒兎はフローラから視線を逸らす。


 故郷に帰れないカレンは魔法を極め、国が亡くなったリサは自由を謳歌し、女王であるリタだけが疲れている。


 リタは、リタだけは、幸せでいてくれなければ困るのに。


「ハインツ、リタは今何してるん」


 ハインツはすぐには答えなかった。フローラは突然知らない人間の名前を出した黒兎を見上げて、その発言の意図を探る。


「タラ嬢から魔法を教わっている」


 黒兎がどんな時でもリタの身を案じていることを知っているハインツは、黒兎の発言の意図を探ることなく答えた。


「ちゃんと休めてるん?」


 聞く度にリタは何かをしている。日に日に疲れているように見えるのは気の所為ではないはずだ。


「いいや」


「ねーちゃんたちは何してるん」


 カラマも、タラも、ローラも、リタが無理しているとわかれば休息を勧めるだろう。少なくともカラマがリタの身を案じる気持ちは本物だ。


「リタ嬢の意思を尊重しているね」


 それで倒れたらリタの目標はどうなるのか。ドナトリア王国の民にとってリタはたった一人しかいない王族なのに。


「なぁ、ハインツ。次の国はオズやんな?」


「あぁ。黄色いレンガ道もすぐそこだ、余程のことがない限り安全に着く」


「了解。ほんで、ダーさんは?」


 手短に答え、本来であれば最初に聞くべきであろうダーさんの無事を確かめる。

 見えてきた城は煙を上げており、それが舞踏会のものであると思う人間は一人もいなかった。


「既に脱出しているだろう。ジュール坊は馬鹿ではない」


「バレたんか」


 確かに、フローラを追い掛けていた騎士ならばダーさんが犯人ではないとすぐに見抜くだろう。


「フロー嬢がフロー嬢ではないことがな」


「ッ?!」


 瞬間、フローラは驚いて口元を両手で覆った。


「なんでわかるねん」


 フローラの反応を見ても、フローラとジュリアンが長い間会っていなかったことは明白だ。この短時間だけで見抜けるならばジュリアンのフローラへの想いは気持ち悪ささえ覚える。


「ほんでそれでなんであぁなるねん」


 ジュリアンがサンドラとジゼルを捕まえるだけで爆発する城ならば、この世にはない方がいいだろう。


「ジュリアンが怒って、サンドラがジュリアンに催眠魔法を掛けようとして、騎士団も怒って戦闘になったダァー!」


 しょうゆが走る真横の地面が盛り上がったと思ったら、中からいつものダーさんが出現した。


「きゃあっ?!」


「何してんねん!」


 久々に土属性の魔法を思う存分に使うダーさんを見た気がする。そんなダーさんの下へと黒兎の背後を走っていた全員が集結した。


「ダーさん! 良かった、無事だったのね!」


「生きてたのかよ!」


「背中の人は気絶してるみたいだけど」


 ダーさんは気絶したアラジンを背負いながら、しょうゆとポーリーヌ、そしてシルヴァンとラウと並走する。


「フローラ!」


「えっ?」


 フローラは突然名前を呼ばれて三度目の驚きを見せるが、カレンはフローラの名前を呼んだ訳ではなかった。


「あっ、ごめん! これ回復魔法なの!」


 あっという間に目を覚ましたアラジンは、慌てて体を起こして辺りを見回す。


「あっ、アラジン! 起きたダァー?!」


「わりぃダー! 起きた起きた! お前らなんで城に戻ろうとしてんだよー!」


 さすが、かつてダーさんと死線を潜り抜けてきた男と言うべきか。状況の把握が異様に早い。

 確かにダーさんとアラジンは城を抜け出してここにいるが──。



「アブのじーちゃんがおるやろがい!」



 ──オラティオは今、アブラハムの騎士として城に泊まっている。黒兎たちがアブラハムを救出しようとするのはアブラハムがカレンの祖父だからという理由だけではなかった。


「確かにアブラハムはまだ中にいるダァー!」


「なら、早く行かないと」


 パウラという老婆に愛情を注いでもらったエレンは、老人の窮地に弱い。空高く飛ぶラウはエレンの心境を表しているようだ。


「けどよぉ、敵はババァ一人なんだろ?」


 サンドラは呪いの魔女ではない。シルヴァンはたいしたことができる訳がないと高を括っているが、「いーや」とアラジンが否定した。


「騎士団の中にはあの女の息が掛かった奴らがうじゃうじゃいたぜ」


「モギー坊とかいう奴ちゃうん?」


「モギー坊って……まさかモーガン叔父様のことですか?!」


「そうだが、モギー坊にサンディ嬢の息は掛かっていない。掛かっていないから金の援助を受けられず、サンディ嬢は薬物で金を稼ぐことにしたんだ」


 フローラは絶句する。


 自分が作った物がどういう物なのかを知っていたのに、レシピを教えたらどうなるのか気付くことができなかった。


 薬物が街を蝕んでいることに気付いてからは、父よりも正義感の強い男だったモーガンの顔に泥を塗った自覚も、自分が人々を傷付けている自覚もあった。


 ハインツに言われて初めて、自分が薬草に魅了されなければ自分たちは金を稼ぐ術を知らずに落ちぶれていた事実に気付いてしまった。


 フローラは黙ったまま顔を伏せる。ジュリアンに対してもそうだと思う。

 自分の存在がすべての事柄の癌になっていたのだから。


 父と共に死ねば良かったのだと涙を流した。


「サンディ嬢が死ねば薬物の供給はなくなる。依存している騎士たちはサンディ嬢を死んでも守る」


「うじゃうじゃっちゅーことは、劣勢やんか」


 黒兎は再び盛大に溜息を吐く。


「あの、すみませ、私……」


「なんやねん、泣ーくーなーやー」


 こんなことは初めてではない。黒兎はフローラの肩を解すように叩く。


「ぶちかます言うたやろ」


 フローラは不可解そうな表情で顔を上げた。

 カレンやリサという女も、《黒の迷い子》の黒兎や虎獅狼こじろうも、オラティオではないアラジンでさえ不安そうな表情は見せない。


 その自信はその若さから来るのだろうか。ならば、すべての元凶であり年上でもある自分は泣いてばかりではいられない。


 涙を拭って前を向いた。まだ夜は始まったばかりだと自分を鼓舞した。


 カロリーナから貰った強さは、こういう時に使うのだと信じたかった。

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