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第十六話 『フローラとフローラ』

 しょうゆに乗った黒兎くろとはフローラを前に乗せ、ラトゥール領の街を駆ける。

 カロリーナがいる場所は城、つまりフローラが目指す場所も城になるが、カロリーナに会う前に騎士団に捕まると解決する物も解決しない。フローラを城に連れて行くのはカロリーナに解毒薬を渡してからだと、オラティオは急いで街の外れへと向かう。


「あの方が……私のせいで……」


 オラティオの中でシルヴァンの次によく目立つ巨漢のダーさんを覚えているフローラは、黒兎から事情を聞いて胸を痛めた。その表情は演技には見えない。人々から同情を誘うような態度が演技ならば黒兎はフローラを恐ろしく思うが、そんな人間にも見えない。


 そもそも、黒兎はフローラに初めて会った時メイドにも騎士にも見えないと思ったのだ。


 サンドラよりも貴族に相応しい──本物のラトゥール公爵家の人間。

 あの舞踏会に貴族の令息もいたら、フローラは彼らからも求婚されていただろう。


 輝夜かぐやが勝気な雰囲気の美人で、リタが清純な雰囲気の美人で、カレンが快活な雰囲気の美人で、リサが上品な雰囲気の美人で、イリスが絢爛な雰囲気の美人で、ドロシーが清爽な雰囲気の美少女で、エレンが繊細な雰囲気の美人ならば、フローラは知的な雰囲気の美人だ。隣にいるだけで民から信頼を得られそうな、そんな希少な顔立ちをしている。その上公爵令嬢としての立ち振る舞いも申し分ない。そもそもフローラはあのジュリアンが惚れた女だ。


 多分、フローラの人生にサンドラがいなければ、フローラはジュリアンが惚れたままの女だっただろう。

 今のフローラにもジュリアンが惚れてもおかしくないと思える片鱗はあるのだ。あの警戒心が強いジュリアンの心を射抜く心は、どのように育てられれば生まれるのかと問いたくなる。


 リタも、カレンも、リサも。王女と呼ばれる全員に対してそう思う。


 イリスのように誰かを憎むことも、ドロシーのように誰かに罪を擦り付けることも、エレンのように誰かの物を盗むこともない。

 皇女として生きていた輝夜でさえ、黒兎の目には等身大の少女らしく映っていたのに。


「急ぎましょう」


 そう言って前を向くフローラのどこにそんな力があるのだろう。サンドラに日々ドレスを破られれば折れる心は一つではないだろうに。

 そしてそれは、たった一人の王族としてたった一人でドナトリア王国の再興を目指すリタに対しても思うことだった。


 街の中心から離れれば離れる程家屋が少なくなり、真っ暗な森が近付いてくる。一歩中に踏み入れれば迷子になってしまいそうなそれは、リタと初めて会った時に踏み入れた森のようだ。

 だが、あの時と違って光の粒が溢れた場所にハインツが呼んだカロリーナが現れる。当然、カロリーナはハインツから事情を聞いていたはずだが。


「まぁまぁまぁまぁ! どうしたのその怪我! 大丈夫?!」


 カロリーナはフローラを一目見た瞬間に慌てて駆け寄った。

 フローラの両足にべっとりと付着した血に気付かなかった者はいない。だが、全員がフローラと合流する直前にフローラの凶行を目撃している。


 止めようとしたが、間に合わなかった。まさか鞭で腕の一部を抉り取られて死ぬとは思わなかったというのもあるが。フローラは人を殺しても平然としている。


「北の魔女様のおかげです。北の魔女様が私に魔法を掛けてくださったから、私は今ここにいます」


「あぁ、そうなの? 私の魔法が力になって良かったわ!」


「はい、本当にありがとうございました。それで、北の魔女様。私のことよりも、こちらを量産することは可能でしょうか」


 フローラはシルヴァンに乗ってここまで来たカレンに視線を向けた。カレンは杖をしまっているポシェットから皮の袋を五つ取り出す。


「解毒薬なんだって! これ、大きさを変えたら量産できるかな?」


 持てる知識すべてを使ってカレンは尋ねた。カロリーナは袋の中を確認して険しい表情を見せる。


「これはなんの解毒薬なの?」


「シンデリカ王国に流通している薬物の解毒薬です」


「他国にも漏れてるらしいで」


 黒兎は城に残ったダーさんとアラジンの代わりにその情報を補足した。薬物をなんとかしてこの世から消し去り、なんとかして苦しむ人々を救けたいと思っているのはフローラだけではない。フローラがこちら側なのは不幸中の幸いだ。


「量産ということは、これはこの世でこれだけしかないのかしら」


「はい、そうです」


 フローラは、何故カロリーナがそんなことを聞くのかと次第に困惑し始める。カロリーナは一つ一つ袋の中を確認し、固形や液体など、それぞれが違う種類の物であることを理解する。


 黒兎も、何故カロリーナはさっさと魔法を使わないのかと次第に困惑し始めた。

 記憶を消す輝夜も、呪いで人を殺すヴァルトラウトも、人の願いを叶える為に呪うボーディルも。呪いで人の姿を変えたアルフォンシーヌや、呪いで人の性別を変えたベアトリクス、呪いで人の大きさを変えたグリンダも。魔女は誰もがなんの躊躇いもなく人を呪うのに、呪いでフローラの体を強化させたカロリーナ自身が一体何にそれ程の時間を掛けているのか。


「カレン。量産は大きさを変えるのではなくて複製よ。フローラ。複製は可能だけれど、きっともっといい方法があるわ」


 カロリーナは、フローラとカレンそれぞれに答えて杖を取り出す。


「「え?」」


 フローラとカレンは同時に言葉を漏らして顔を見合わせた。

 魔法が使えるリサとシルヴァンは袋の中の覗き込み、カロリーナが言おうとしている言葉を自分たちなりに考える。


「これを元に新しい回復魔法を作るのよ!」


 カロリーナは彼らの答えを待てずに笑顔を見せた。


「新しい……」


「……回復魔法」


 フローラとカレンは辿々しくカロリーナの言葉を反芻する。二人がそうなのだから、黒兎も、エレンも、虎獅狼こじろうでさえカロリーナの提案の意味がわからない。


「ん? そもそも回復魔法やったらヤク中なんとかできるやん」


 正直、現在シンデリカ王国やソルバーク王国で起きていることはどうでもいい。

 誰が薬物で苦しんでいても。誰が薬物で儲けていても。フローラが城に侵入して盗みを働いたことでさえ黒兎には関係のない話だ。というか、討伐依頼が出されている時点でこれ以上犯罪に深く関わりたくない。


「そうなんですか?!」


「できないわ」


 魔法を知らないフローラは驚くが、即座にカロリーナが否定した。


「回復魔法はフローラ……聖女フローラの魔法よ。フローラが想定していない症状には効果がないの。あの子は多分薬物なんて知らないわ」


「成程。だから新しい回復魔法なんですね」


 回復魔法を覚えていないはずなのに、虎獅狼は適当に相槌を打つ。


「花の魔法に詳しいのはグリンダだけれど、あの子は今どこに……」


「呼んだら来るやろ」


 グリンダとは、呼べば必ず駆け付けると約束した仲だ。まさかこんなに早く呼ぶことになるとは──いや、こんなことで呼ぶなと怒られそうだが、花の魔法に詳しいのも聖女フローラを敬愛しているのもグリンダだ。聖女フローラの師匠であるカロリーナが頼めば協力してくれそうな気がする。


「フローラ」


 カロリーナは杖を髪に挿して、フローラの両手を皺だらけの両手で包み込んだ。


「解毒薬を作ってくれてありがとう。これが普及するのが一番なのだけれど、それは現実的ではないの。薬物にお金が必要なら、解毒薬にもお金が必要ってことになるから。だから、それよりもたくさんの人が回復魔法を使える方が良いのよ」


 優しい──聖母のような声色だが、フローラは自分の世間知らずな浅はかな考えを恥じる。

 カロリーナはそんなフローラを見て、長い間会えていないフローラを懐かしく思う。


「俯かないで。聖女フローラが回復魔法を生み出して、薬師フローラが回復魔法を完成させるのよ」


 聖女フローラも、薬師フローラも、生い立ちや性格は違えど自分の好きなものには一生懸命になれる素敵な人間だ。

 花が好きで回復魔法を生み出したフローラと、薬草が好きで薬を生み出したフローラと。花が好きで猛毒の魔法を生み出したフローラと、薬草が好きで薬物を生み出したフローラに違いはない。カロリーナは未熟だった頃の聖女フローラを知っている。


「失敗は誰にでもあるの。聖女フローラだってそうよ」


 カロリーナはハインツから薬師フローラの犯した罪を聞いている。


「だから、貴方の人生だってまだ終わっていないの。私の人生だってまだ続いているわ」


 聖女フローラは猛毒の魔法を愛したが、薬師フローラは薬物を愛せていない。


「これからなのよ」


 カロリーナはフローラを抱き締めた。

 フローラの首に巻き付いたままのコンスタンスは、子供のように泣きじゃくるフローラの頭に自らの頭を乗せて離れなかった。


『ジュリアン殿下! ジュリアン殿下!』


 刹那、頭が割れるような大声で女がジュリアンに呼び掛ける。

 高揚しているこの声の持ち主はサンドラだ。その声は最後に会った時のサンドラの印象とまるっきり異なる。瞬時に体が強張ったフローラの背中を、カロリーナは戸惑いながらもそっと撫でた。


『夜分のご無礼をお許しください! ですが! 殿下の望むフローラを連れて参りました!』


「はぁ?」


 黒兎はカロリーナの腕の中にいるフローラを見、今度はサンドラの声が聞こえてくる──城がある方角を見る。

 ここから城は見えないが、異様に大きな声が聞こえるということはサンドラが敢えて聞かせていると解釈して良いだろう。その対象が黒兎たちだけなのか、ラトゥール領の人間だけなのか、他の領の人間も含まれているのかはわからない。


『どうか! 今宵はフローラと殿下だけの! 舞踏会をご開催くださいますようお願い申し上げます!』


 その言葉を最後にサンドラの声は聞こえなくなった。

 一方、フローラの体は小刻みに震え始める。自分はここにいる、それは間違いない。そしてフローラにはサンドラの言うフローラに心当たりがある。


「薬で頭でもやられたんですかね」


 黒兎は不謹慎なことを呟いた虎獅狼の頭を叩いた。

 サンドラは城の前まで来ているのだろう。サンドラを止めるべきなのか、放っておいても構わないのかさえわからないが、次の目的地はダーさんとアラジンが待つ城だ。


「行くかぁ」


 フローラとジュリアンの舞踏会でさえ、黒兎には関係のない話だった。だが、サンドラの思い通りに事が進むのは釈然としない。黒兎はしょうゆに飛び乗って、涙を頬に張り付けたままのフローラへと手を伸ばした。


「…………」


 フローラは黒兎の手をじっと見つめる。


「行くやろ」


 フローラは唇を噛み締めた黒兎の手を取ってしょうゆに飛び乗る。


「カロリーナのばーちゃん、それ頼むわ」


「えぇ、任せて!」


 専門外のことはカロリーナに任せ、黒兎は顔に似合わず泣いてばかりいる年上の女の頬を引っ張る。


「ッ」


「全部ぶちかますで」


 フローラはカロリーナに強さを求めた。その強さは窃盗だけに使われていいものではない。

 ラウに乗って近くの木に止まっていたエレンは、フローラにはフローラの地獄があるのだとその泣き顔で理解した。

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