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第十五話 『聖女と薬師』

 立ち止まれずシルヴァンに激突したフローラだが、シルヴァンもフローラも怪我をしない。呪われてから痛覚が消えてしまったも同然のシルヴァンと、呪いが発動してからは痛覚が消えるフローラだ。絡まって転がってようやく道の真ん中で停止する。


「北の魔女様の!」


 起き上がったフローラはシルヴァンを見下ろした。


「はぁ?! 誰だよ北の魔女って!」


 同じくすぐさま起き上がったシルヴァンは、シルヴァンにとって意味不明な言葉を吐いたフローラを睨む。その瞳は真剣で、嘘を吐いているようには見えない。シルヴァンは北の魔女を知らないようだが、やがて、フローラはその瞳に別の意味の違和感を抱いた。


「え、嘘、まさか……」


 フローラは片手で口元を覆い、恐る恐る後退する。カロリーナを探していて、ようやくカロリーナの手掛かりになるシルヴァンに出逢えたのに。


「……鳥が喋ってる?!」


 衝撃のあまり心臓がどうにかなってしまいそうだった。


 カロリーナへの手掛かりを逃したくないが、屠殺を繰り返してきたフローラにとって喋る動物は存在そのものが毒になる。その存在を認めたくないと、フローラのすべてが拒絶反応を示すように意識が遠のく。


「おおっとぉ!」


 倒れ掛けたフローラを支えたのは、しょうゆに乗ってシルヴァンを追い掛けていた黒兎くろとだった。しょうゆから飛び降りてフローラの背中に触れた黒兎は、フローラの項に咲いたベラドンナの痣を視認する。


 それを見て心が叫び出しそうになるくらいに痛むのは、呪いで亡くなった同郷の子供たちを思い出してしまうからだろう。

 カレンも、リサも、シルヴァンも、イリスも、エレンも、出逢う前から呪われていた。自分の目の前で呪われたフローラの痣だけが、目を背けたくなる癌に見えて。黒兎の精神は容易く甚振られる。


 どれだけ親しみを抱いていてもカロリーナは呪いの魔女なのだ。


 それを再認識させられる痣だった。


「あ……貴方は」


 フローラは背筋を正して黒兎から離れようとするが、黒兎がフローラの服を掴んで離さない。


「逃がさせんでぇ、フローラのねーちゃん」


 眉間に皺を寄せてフローラに敵意を向ける黒兎に対して、フローラは息を呑んで目を見開いた。


 フローラは黒兎に本名を明かしていない。この名前は、今となっては屋敷にいる人間しか知らないはずだ。フローラの手が小刻みに震える。


 カロリーナの力があれば一瞬で偽名だとわかるのだろうか。


「どうして、その名前を知っているんですか」


 だとしても、本名までわかるものなのだろうか。

 フローラは震える声を必死に抑えてそう尋ねる。


「ハインツが教えてくれたわ」


 その人物のことをフローラは知らなかった。


「私のことだ」


 だが、その声は知っている。


 黒兎の胸ポケットから姿を現したハインツを見て、フローラは「と、鳥の声……」と気絶した。


「うおーっ?! なんでなん?!」


「刺激が強過ぎたんじゃないの?」


 遅れて駆け付けてきたのは、ポーリーヌに乗っていた虎獅狼こじろうとリサだ。

 遠くの屋根から自分たちを見守っているのはカレンとエレンで、無事にフローラと合流できたことに安堵したのも束の間、慌てたカレンは瞬間移動で黒兎の隣に来る。


「どっ、どうしたの?!」


「ハインツのせいや」


「フロー嬢はある意味箱入り娘だからな」


 黒兎はカレンにフローラを任せて、フローラが片手で強く握り締めていた皮の袋の中身を確認した。


「……なんや、水か」


 皮の袋に入っていたのは液体だった。黒兎が紐で縛ろうとすると、「それも薬物だ」とハインツに訂正される。


「これが?!」


 思わず皮の袋を落とし掛けた。固形ならば拾えるが、液体ならば取り返しがつかない。


「だっ、大丈夫? クロト」


「あ、あぁ。すまん……固形ちゃうんか」


 黒兎は薬を飲んだことがほとんどないが、薬と言えば固形か粉だ。液体ではない。


「アラビアンナイトは固形だな。それはダイヤモンド、ベラドンナの茎や根を煎じた液体の薬物だ」


「な、なるほどなぁ」


 黒兎はダイヤモンドが漏れないように細心の注意を払って持ち替える。リサも黒兎が持つ皮の袋に手を添えたが、その手は先ほどのフローラのように小刻みに震えていた。


「怖いんか?」


 黒兎も怖いが、それは零すことに対してだ。どんな過ちがあったとしても口に含まれることは絶対にない。なのにリサは怯えている。


「え、えぇ。これはベラドンナを煎じたんでしょう? 怖いに決まっているじゃない」


「そういえば、リサ嬢は飲んでいたな」


「はぁ?! これを?!」


「だって、あの時は回復魔法なんてなかったもの」


 そういえばそうだ。回復魔法は聖女である方のフローラが作り出したものであって、五百年前のリサに関係があるものではない。


「ベラドンナの煎じ薬は、量を間違えなければ薬となる。裏を返すと」


「量を間違えれば薬物なんやな」


 ハインツは否定しなかった。


「薬師、なぁ」


 その単語を初めて聞いた時、医者のように聞こえると思ったが──それはあながち間違いではなかったらしい。黒兎はカレンの回復魔法で目を覚ましたフローラを一瞥する。


「こ、ここは……?」


「良かったー! 目を覚ました!」


 フローラは自分を抱えるカレンに気が付いた。そのまま逃げるのか、戦うのか。フローラの動作を注視していると、フローラは意外なことにカレンの服の裾を握り締める。


「北の、魔女様に」


 その力強さは、ボロ雑巾のようなドレスを握り締めだ時と変わらない。


「なっ、何? どうしたのフローラ!」


「北の魔女様に、これを渡してほしいんです」


 体を起こしたフローラは、服の中から新しい皮の袋を五つ取り出した。

 カレンは躊躇なくそれを受け取って、「これは?」と首を傾げる。


「解毒薬です。これが一で、これが二、三、四、五用です」


 皮の袋の違いは紐の色だけだった。赤、青、緑、黄、紫。そのどれもが鮮やかな色ではなく、花や草をすり潰して染色されているように見える。


「解毒薬……作ったの?!」


 カレンは目を丸くした。


「まさか……作ることができたんですか?!」


 リサは黒兎が持つ皮の袋に手を添えるのをやめて、カレンの手には多過ぎる皮の袋の一部を代わりに持つ。


「どうしてこれをカロリーナに?」


「作ること自体はそんなに難しいことではありません。ただ、私はこの世界に一人しかいませんから……」


「大量には作れないということだ」


「……ッ?!」


 フローラは体を強張らせた。気絶した原因の声など聞きたくないだろう。それでもハインツは構わず喋る。


「私がハインツだ。フロー嬢、それは自分で渡した方がいい」


「怪しい奴やないで、シルヴァンも。あとエレンも」


 黒兎は手招きし、ラウに乗って近くまで来ていたエレンのことも紹介する。


「えっ?!」


 そんな声を出すような女には見えなかったが、フローラはシルヴァンの時以上にエレンに驚いた。


「カロリーナのばーちゃんのことはすぐに呼ぶわ。そこで全部聞かせてもらうで」


「ぜ、全部とはどういうことですか?」


「フローラのねーちゃんせいで俺らの仲間が騎士団に捕まっとるんや」


 ダーさんが捕まっているおかげでガラスの靴を履いていない者の調査はまだ始まっていないだろうが、ダーさんが自分に掛けた変身魔法が解けたらすぐに始まってしまうだろう。

 元ランプの魔人の魔法がどれ程強力なのかは知らないが、今のダーさんは魔人ではなく戦士だ。長くは持たない前提で動くべきだろう。


 そうでなくても捕まっている仲間を長時間放置することはできない。

 ダーさんは呪われておらず、フローラは呪われているとはいえ、フローラは仲間ではないのだから。

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