第十話 『魔人ダーⅠ』
「そんな国には見えへんけどなぁ」
黒兎はそう言って水で薄めた果実のシロップを一気に飲み干す。雲一つなく時折吹いてくる風が心地良い天気、多くの人々が行き交う広場。オラティオが街に繰り出したのは、舞踏会の翌日だった。
舞踏会の熱がまだ冷めていないのか、人々は祭りの空気を纏ったまま盛り上がっている。昨日もそうだったが、今日も街は──というかラトゥール領は平和に見えた。
「国だけじゃなくて街にも色々あるダァー。一部分だけを見て判断することはできないダァー」
ダーさんが飲み干したのはセルヴォワーズだ。同じものを頼んだのは虎獅狼とリサで、リサは既にダーさんの倍を飲んでいる。
「この辺は治安がいいんだろうね」
虎獅狼も酔う体質ではないのか、三杯目に突入しようとしているダーさんに追い付く勢いでセルヴォワーズを飲んでいた。
「治安って何?」
果実のシロップもセルヴォワーズも拒絶したカレンが選んだのはただの水で、一口飲んだ瞬間に顔を顰める。
「治安がいいは安全っちゅー意味で、治安が悪いは危険っちゅー意味や。な?」
「……なんで私に聞くの」
エレンはニヤニヤと笑う黒兎を睨み、「ハインツなら知ってるんじゃないの?」と隣に置かれた鏡を覗き込んだ。
「シンデリカ王国が数年前から薬物の国になっているのは事実だ」
ハインツはなんでも知っている。出逢って間もないが、ハインツを使って多くの場所を行き来しているエレンはすっかりハインツという存在に慣れたようだ。
「ここにおる連中全員ヤク中には見えへんけどなぁ」
多くの人々が話をしていると、酒場のように思わずなんでも話してしまう。シルヴァンは頑なに話さないが、その代わりに運ばれてきた肉料理を人一倍食べていた。
「街には流通していない。金にならないからな」
「ほーん。貴族限定か」
金と言われたら貴族や王族を連想するが、ハインツは「それだけではない」と起き上がる。
「シンデリカ王国の国外も立派な顧客だ。そうだろう? ダー坊」
突然話を振られたダーさんは一瞬だけ間抜けな表情を見せたが、「確かにそうダァー」と頷いた。
「ほんまかいな」
どうも怪しい。ハインツの話に無理矢理合わせたようだ。
「本当ダァー! この辺りの国の治安の悪いところは、全部危険ダァー!」
「治安が悪いは危険っちゅー意味や」
何度同じことを言わせるのか。ダーさんはオラティオにとって絶対に欠かせない程にメルヒェン大陸の常識を知っているが、心配になる程に頭が悪くなる時がある。
「わっ、わかってるダァー!」
ダーさんが大きな声を出すと、ダーさんの背後に若い男が現れた。
ダーさんを注意しに来たのだろうか。オラティオの鼓膜が破れかけたとはいえ、この広場では誰かに注意される程の声量ではない。
「誰やおま──」
黒兎が睨むと、男の気配に気付いたダーさんが振り向いた。
「よっ! やっぱりジンか!」
若い男が片手を上げると、ダーさんは再び間抜けな表情を見せる。
「ダッ?!」
どうやら知り合いのようだ。ただ、若い男が告げた名前は黒兎が知っている名前ではない。
「アッ、アラジン?!」
「久し振りだなー! ジン!」
アラジンがダーさんの肩を抱くと、ダーさんの真横で料理を食べていたシルヴァンが勢いよく顔を上げる。
「ジンッ?!?!?!」
そして、ダーさんよりも大きな声でその名前を呼んだ。
「誰やねん」
これ以上は黒兎の──いや、カレンとエレンの鼓膜が破れる。ダーさんとシルヴァンは加減を知らない。
「バカかお前! ジンつったらジンだろ! あの魔法のランプの!」
「知らんわアホ」
「そうそう、そのジン! お前喋るダチョウか? それともどっかの魔女に呪われた?」
アラジンはシルヴァンが話していても驚かなかった。さすがダーさんの知り合いと言うべきか。黒兎と同じように潜り抜けてきた修羅場の数が違うのだろう。
「シルヴァンは呪われた王太子殿下ダァー」
「へー。王族って大変だよなー」
「他人事じゃないダァー。アラジンはもっと自覚するダァー……なんでアラジンがここにいるダァー?!」
「話が渋滞してんでー」
こんなに慌てたダーさんは初めて見た。いつもどっしりと構えていたダーさんは嘘ではないのだろうが、アラジンはオラティオが知らないダーさんを知っている。
「ダッ、ダァー、何から話せばいいのか……」
「おい! お前がジンならさっさと俺様に掛けられた呪いを解け!」
「むっ、無理ダァー! ダーはもう魔人じゃないダァー!」
「クソッ! この役立たず!」
「何が何やねん」
そう思っているのは黒兎だけではなかった。黒兎と同じく異世界育ちの虎獅狼は当然、海で生まれ育ったカレンも、五百年の眠りから目を覚ましたリサも、教養がないエレンも何も理解できていない。
「ダァー……どう説明したらいいのか……」
「じゃあ俺が説明してやるよ」
すると、アラジンがぽんと自身の胸を叩いて片目を瞑った。
「俺の名はアラジン! ソルバーク王国王太女殿下の婚約者なー? で、こいつの名はジン! 超有名なランプの魔人! 願い事を三つまで叶えられるくらい色んな魔法が使えるすげー奴なんだぜー!」
「元ダァー! 今は違うダァー!」
「ダーさん、ジンって名前だったの?」
「ダーはダーダァー! ジンは名前じゃないダァー! なんで忘れてるダァー、アラジン!」
「あー、わりぃわりぃ。そうだっけ?」
アラジンはヘラヘラと笑っているが、ダーさんの表情は真剣だ。こんなにも軽薄な男なのに、ソルバーク王国王太女殿下の婚約者とは一体どういうことなのか。それと。
「黒髪黒目やな」
呟くと、ダーさんの肩を叩いていたアラジンの動きが止まった。
「うん。お前とお前も黒髪黒目だな」
黒い髪に黒い瞳。筋肉も当然あるアラジンのそれは《黒の迷い子》の特徴と合致している。
「アラジンのにーちゃん、《黒の迷い子》なん?」
「いいや? 確かに珍しいけど、黒髪黒目は《黒の迷い子》だけのモンじゃねぇ。そういう民族はぽろぽろいる」
アラジンは空いている席に堂々と座って、黒兎と虎獅狼の顔をまじまじと眺めた。
「で? お前らは? 《黒の迷い子》?」
「二人はちゃんと《黒の迷い子》ダァー。アラジンとは違うダァー」
ダーさんはアラジンを窘めているようだ。
「変な言い方だね。まるでアラジンさんが悪いことをしてたみたい」
それに引っ掛かるのは虎獅狼で、途端にアラジンは気まずそうに笑う。
「アラジンは《黒の迷い子》と偽って色んな人から施しを受けていたダァー。施しを受けることは悪いことじゃないダァー、人を騙すことは悪いことダァー」
「いーじゃんいーじゃん、昔のことはさぁ! てことで俺らの再会に乾杯!」
「あぁっ、私のお酒……!」
アラジンはリサがまだ飲んでいないセルヴォワーズに手を伸ばして、ダーさんが持つ木製のコップ同士を勝手にぶつけた。
「アラジンさんはなんでここにいるの?」
リサのように素早い速度で飲み干すと、それを待っていたカレンが尋ねる。
「そうダァー! なんでここにいるダァー!? ダーはオンダーがソルバーク王国にいると思ったからここを選んだダァー!」
「あー……言わなきゃダメ?」
どうやらアラジンは、言わずに済むなら何も言いたくないようだ。だが、黒兎はシンデリカ王国を選ぶ前にダーさんがとある国を拒絶したことを覚えている。それがソルバーク王国だと言うのなら、アラジンから理由を聞く権利はあるだろう。
「ダメダァー! カミーラを置いて何してるダァー!」
「んー、ほら、ジンも知ってるだろ? アラビアンナイト」
言いづらそうに告げられたそれを黒兎は知らない。
「アラビアンナイトがどうかしたダァー?」
「それをなんとかしない限りカミーラとは結婚できないんだってさ」
ダーさんは間抜けな表情を見せた後、何かに気付いたのか突然立ち上がる。
「ダッ、ダァー?! この国で流通している薬物って、ま、まさか……!」
「ソルバーク王国ではアラビアンナイトと呼ばれているな」
淡々と告げたハインツは、今回もすべてを知っているようだった。




