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第九話  『運び屋エレンⅡ』

 ──呪われている。


 獣のように森の中を駆けるフローラの背中を見て、彼女を追い掛けるエレンは思う。

 エレンもエレンで追手から逃げる為に森の中に飛び込んだことはあるが、フローラのようには逃げられない。途中で怪我をして動けなくなるのがオチだと判断し、追手が遥か遠くに行くまで土に潜ってやり過ごしていたことを思い出す。


 だから、裸足のまま異常な速度で駆けることができるのは、カロリーナの呪いとしか言いようがない。


 全身に枝が当たってドレスが破れても血は滲まず、足の裏には何も刺さらない。その姿を獣と呼ばないならばなんと呼ぶのか。

 瞬間、フローラから何かが落ちた。


「──ッ! ラウ!」


 声を掛けるとラウは高度を下げる。エレンが全力で手を伸ばして拾ったのは薬草だ。強烈な匂いを放っていて、とてもではないがそのままでは食べられそうにない。


「…………」


 空腹だったならば大広間で料理を食べればいいのに。盗賊だった頃のエレンだってそうするだろう。

 フローラは何故こんな物を持っていたのか、そう思ってよく見ると、フローラは他にも何かを抱えていた。


 フローラの目的はなんだろう。どんなに見窄らしい見た目をしていても、当たり前のように公爵家の庭にいた公爵家の姓を持つ女だ。姓を持たないエレンはエレンよりも恵まれているはずのフローラのことを理解することができない。

 今だって、フローラは高い柵を飛び越えてカロリーナがフローラに魔法を掛けたあの庭に戻ってきたのだ。ここでの生活が苦しかった訳ではないのだと思う、いや、両親に置き去りにされたあの日から拠点を転々としていたエレンはそう思いたい。


 苦しかったならこの場所には戻ってこないはずだ。自分はずっと、快適な場所を探し求めていたのだから。


 エレンはそっと辺りを見回す。フローラを追っていた騎士たちは、森の中では素早く飛ぶことができなかった。かと言って上空に移動すればその姿を見失う。

 そんな訳で、フローラをここまで追い掛けることができたのは小さな小さなエレンとラウだけだった。フローラに掛けられた魔法が解けていくのを見ていたのも、エレンとラウだけ。エレンはボロ雑巾のようなドレスがボロ雑巾のような服に変わる様を黙ったまま眺める。


 フローラはそんな姿でも、誰がどう見ても立派な屋敷の中へと臆することなく入っていった。しばらくして一人の騎士が屋敷を訪れたが、出てきたのはフローラではなく年老いた使用人らしき男で。男は騎士が尋ねた女を知らないと言い放ち、騎士は男に一礼して屋敷から離れていった。


 エレンは隙を見て、開け放たれた窓から屋敷の中に侵入する。黒兎くろとはそこまで追えと言っていないが、エレンにもラウにもこの場所から城に戻る為の体力がない。戻るならば楽をする。

 部屋に置かれた鏡の前に立つと、階段を登る足音が聞こえてきた。体重の軽い女の足音に聞こえるそれは部屋の前で立ち止まる。すぐにラウを連れて鏡の背後に隠れると、エレンの予想通りフローラが扉を開けて中に入ってきた。


「大丈夫よコンスタンス、絶対上手くいったから!」


 大きな声で誰かと話すフローラは、テーブルの上に抱えていた薬草を置く。エレンの想像以上にフローラは薬草を持っていたらしい。状況は把握していないが、フローラは多分あの量の薬草を一人で城から盗ったのだろう。


「北の魔女様が助けてくれたの! 私、今すっごく運がいいんだわ! 神様が私のことをずっと見ていてくれたのよ!」


 コンスタンスの返事はないが、興奮したフローラは気にすることなく話を続ける。


「だからこれからも大丈夫! 私、絶対に上手くやるわ!」


 いや、フローラは誰かに話し掛けているのではなく自分に言い聞かせているようだった。薬草を一つ手に取って大きく頷いたフローラは、「コンスタンス」と名前を呼んでエレンとラウがいる鏡の方へと視線を向ける。


「え?」


 エレンとラウの背後から姿を現したのは、フローラにとってはとても小さく、エレンとラウにとってはとても大きな蛇だった。


「ぎゃっ!? ぎゃあッ!?」


「ツピーッ!」


 フローラに気付かれないように慌てて唇を噛んだエレンを乗せてラウは飛ぶ。そして、鏡に黒兎が映った瞬間躊躇いもなく鏡の中に飛び込んだ。


「綺麗やったなぁ」


「欲しいものだけ盗ったんだろうね」


 黒兎と虎獅狼こじろうの声が聞こえてくる。ハインツがいたのはテーブルの上らしく、顔を上げると黒兎と目が合った。


「うぉっ?! 何してんねんいつ来たん?!」


「今しがただ。私の中を通ってね」


「あー。おかえりー」


 視線を巡らせると、黒兎と虎獅狼だけではなくカレンとリサもいる。彼らがいる場所は大広間ではなくどこかの部屋のようだった。


「舞踏会終わったの?」


「えぇ。ついさっき」


「フローラは捕まったダァー?」


「捕まってない。けど、時間の問題かも」


 エレンは持っていた薬草をテーブルに置く。もう持っていないのにまだ掌が薬草臭い。エレンは顔を顰めてティーカップの中の紅茶で掌が洗えないかとじっと眺める。


「どういうことなん?」


 黒兎はその薬草を手に持って、躊躇いもなく匂いを嗅いだ。


「フローラが逃げ込んだのはあの屋敷だから」


「よう戻れたなぁ。俺らが証言したら終わりやんけ」


「あ。黒兎、俺もドクダミの匂い嗅ぎたい」


「あぁ、ええよ。こんなもんでも懐かしく思うんやなぁ」


 黒兎からドクダミを手渡された虎獅狼も、躊躇いもなく匂いを嗅ぐ。カレンとリサとダーさんは思わず顔を顰めて黒兎と虎獅狼を信じられない物を見るような目で眺めた。


「なんだそれ、くっせぇ! お前ら頭おかしいんじゃねぇの?!」


 そして、それを指摘しないシルヴァンではない。


「だから、ドクダミだって」


「珍しいわねぇ。この辺りには生えていないはずだけど」


「カロリーナのばーちゃんも知ってるん?」


「えぇ。匂いはあまり好きじゃないんだけれど、健康に良いのよねぇ」


 どちらかといえば健康に悪そうだが、カロリーナの言葉を黒兎と虎獅狼は疑わなかった。


「これどないしたん?」


「フローラが落としたの」


「証拠品やんけ!」


 黒兎は虎獅狼にドクダミを手放すように訴えるが、虎獅狼はドクダミを摘んだまま興味深そうに観察を続ける。


「……ど、ドクダミって薬物になるん?」


「これ自体に毒はないけどね」


「嘘だろ毒ねぇのかよ!」


 鼻を摘むことができないシルヴァンは、騒ぐことをやめなかった。


 誰もシルヴァンを止めないでいると、ノック音が響きジュリアンと護衛の騎士たちが入室する。

 ジュリアンは先程まで誰が騒いでいたのかと視線を巡らせたが、アブラハムとカロリーナ、そしてオラティオに謝罪をして犯人に憤った。だが、犯人がフローラだと言えば彼はどんな表情をするのだろう。


 自分たちが証言したら終わりだと黒兎は言うが、黒兎はまだフローラが犯人だとは言わない。それはこの場にいるカロリーナに気を遣ったのかもしれないが。


「犯人は必ず我々が捕まえる。貴方たちの手は煩わせない」


 そのことを言えばジュリアンの心も揺さ振られる。誰もジュリアンの心を揺さ振るつもりはないが、事実は変えられない。いつかはその事実を知ることになるのだろう。


「それと、この国にいる間の部屋はこの辺りの部屋を使ってくれ」


「ええの?」


「貴方たちは大切な客人だからな。この国では危険な目に遭ってほしくない」


 ジュリアンの心を守るつもりもないが、ジュリアンはアブラハムとカロリーナ、そしてオラティオを守る為にそう言った。


「自分の国やろ、安全って言えや」


 エレンでさえ城に盗みに入ろうと思ったことはないが、フローラは城に入って盗みを働いた。


 本当に平和で安全な国は、聖女フローラがいなくなった日に消えてしまったのかもしれない。

 エレンは聖女フローラを知らないが、聖女フローラと同じ名前を持ち、エレンよりも恵まれているはずのフローラが悪に手を染めることはなんとなく納得することができなかった。


「……この国には、数年前から薬物が流通しているんだ」


 ジュリアンは言葉を絞り出す。エレンは思わずドクダミに視線を向けた。


 エレンは、そしてフローラは、一体何を運んだのだろう。

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