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第五話  『後妻サンドラ』

 グリーズがカレンの話に瞳を輝かせていると、舞踏会の会場となる城が見えてくる。アブラハム一行がその場所に辿り着いたのは、日が沈む少し前の時間帯だった。

 国中の未婚の女全員が招待されているからか、門の前にいるシンデリカ王国の騎士団の人数はマーヴァル王国の騎士団の人数を上回っている。招待客の人数も相俟って、中に入るには相当な時間が掛かるかもしれない──そう思ったが、意外なことに招待客も黒兎くろとたちも門を潜り抜けるまでたいした時間は掛からなかった。


「シルヴァンも行けるんやな」


 国内に入る為の警備と城内に入る為の警備は同等ではないはずだ。身を乗り出して通り過ぎた門を見上げると、「アブラハム様のおかげね」とカロリーナが笑う。黒兎は「なるほどなぁ」と頷いた。


 アブラハムはシンデリカ王国の国王にとって良き国王であり良き友であったらしい。そのことは、馬車に飾られたキルデルシュ王国を表す蜜柑色の旗に向かって敬礼している薄緑色のマントを羽織った騎士たちの様子からも読み取ることができる。

 黒兎はアブラハムに感謝するが、シルヴァンはそんなことは微塵も考えていなさそうな表情で馬車の隣を歩いていた。


「まぁ! 立派な馬車!」


「王族かしら? 見たことがない動物がいるわ!」


 馬車の近くを歩いているのはシルヴァンだけではない。馬車を所有することも他国の色を知ることもできない庶民の女たちは、アブラハムの為に用意された馬車とシルヴァンを見上げてグリーズ以上に瞳を輝かせる。

 だが、馬車で来れる身分の人間はアブラハム一行だけではない。目の前を走っていた馬車から身を乗り出してアブラハム一行の馬車を睨んだのは、例のラトゥール公爵家の夫人だった。


「ッ」


 瞬間、グリーズの身体があからさまに強張る。再び握り締められた拳は小刻みに震えており、グリーズは咄嗟に握り締めていない方の手で拳を抑えた。


「知り合いなん?」


「あ、いえ……」


 黒兎はすぐに嘘だと思った。グリーズの表情と言葉が合っていない。グリーズは顔を逸らして夫人の視線から逃れようとする。


「あー! あの人さっき仕立て屋にいた人だよね?」


「せやなぁ」


「あら? 貴方たち仕立て屋に行っていたの?」


「うん。でも、あの人に追い出されて何も買えなかったんだよね」


「あらあら。そうだったの、酷いことをするのねぇ」


 カロリーナが眉を下げて心を痛めると、窓に反射したグリーズも心痛な面持ちを浮かべる。

 黒兎はそんなグリーズから視線を逸らし、立ち止まった馬車から外に出る準備をした。


 カロリーナに魔法で胸に付けるホルスターを作ってもらい、膝丈の上着を羽織って銃をしまうと、心地の悪い視線が馬車に向けられたことに気付く。

 顔を上げると、先に到着していた夫人が娘たちと共にアブラハム一行の馬車を値踏みするような目で眺めていた。


 夫人の娘たちは、公爵家という立場を抜いても不必要に着飾っているように見える。黒兎から見てもそう思うのは、フリルやレースの量なのか。装飾品の数なのか。とにかく夫人は誰よりも着飾った娘たちの敵が出て来ることを警戒しているようだ。


 黒兎は元国王のアブラハムよりも先に出るべきだろうと思い、さっさと外に出て夫人と娘たちの視線を一身に受ける。

 隣の馬車から虎獅狼こじろうが出てくると、黒兎と虎獅狼の顔を覚えていない夫人は勝ち誇ったような笑みを浮かべるが──。黒兎に続いてカレンが、虎獅狼に続いてリサが出てくると、あんぐりと大きく口を開いた。


「カレンとリサは美人やもんなぁ」


 夫人と娘たちが不美人だと言いたい訳ではない。それでも、カレンやリサが相手だとどうしても霞む人間が出てきてしまう。


「エレンも美人ダァー」


「やめて。競ってないから」


 見上げると、エレンがダーさんの右肩にいた。エレンがそこにいるといつも以上に小さく見えて、探さなければラウが左肩にいることも気付けないくらいエレンとラウも霞んで見えた。


「まぁ! 素敵ねぇ! 明かりも綺麗だわぁ! グリーズ、ほら、貴方も!」


 カロリーナがグリーズを呼ぶと、グリーズは恐る恐る外に出てくる。夫人からの視線を避けているようだったが、夫人はグリーズが出てくる少し前に娘たちを連れて城の方へ向かっていた。


「あのおばちゃんも未婚なん?」


 夫人と娘たちに興味はないが、夫人が舞踏会にいると話は少し変わってくる。


「えっ」


 グリーズは目を見開いたが、黒兎が尋ねた相手はグリーズではない。


「サンディ嬢は未亡人だ」


 黒兎の胸ポケットから姿を出して答えたのは、ハインツだった。カロリーナはハインツを見て嬉しそうに微笑んだが、グリーズは驚いて辺りを見回す。


「未亡人も招待されるん?」


 この国の国王、それとも王太子殿下は見境なしなのか。


「いや。サンディ嬢は招待されていない」


 そんな王族は嫌だと思ったが、夫人は王族の想定外だったらしい。

 黒兎は、自分の為であれ娘たちの為であれ、舞踏会に乗り込んだサンドラの図々しさに顔を顰めた。


「サンディ嬢って……サンドラ様のことですよね?」


 恐る恐る尋ねたグリーズにとって、サンドラは愛称で呼ばれるような女ではないらしい。サンドラに怯えている訳ではないようだが、サンドラの立場を脅かしてはならないと思っているようだ。


「せやな」


「何故サンディ嬢と……あの方は……」


 サンドラの立場を軽視する人間がいるとは思っていないようで、なんとか止めようとしたらしいが、グリーズの口からそれよりも先の言葉は出てこなかった。


「ラトゥール公爵の後妻、サンドラ・デスメット嬢だろう。そして君はラトゥール公爵の──」


「待ってください!」


 グリーズの声がこの場にいた者の耳を劈く。遠くにいた招待客は何事かとこちらに視線を向ける。


「さっきから誰なんですか貴方は! 何故サンドラ様のことをそう呼んで……何故私のことを知っているんですか?!」


 取り乱すグリーズには誰にも話せない事情があるらしい。黒兎はこれ以上騒ぎにならないようにハインツを手で覆って隠した。


「鳥の声やろ。すまんな、俺らも行こうや」


 黒兎は最後に出てきたアブラハムを見上げる。グリーズはそんな言葉では納得しないが、城の方へ向かう黒兎に声は掛けず、ベビーブルー色の瞳で城を見上げる。


 その姿は、舞踏会を楽しみにしている者の姿ではなかった。


「楽しもうね!」


 その姿に気付いていてもカレンはグリーズにそう声を掛ける。リサは手を伸ばして掌に下りてきた小鳥に笑顔を向ける。


「……そうですね」


 グリーズは眉を下げて微笑んだ。グリーズには楽しむ余裕も笑顔になる余裕もない。カレンはグリーズがここに来た目的は舞踏会ではないのかもしれないと思う。


「楽しみましょう」


 リサはグリーズの顔を覗き込んでそう言った。リサの掌にいる小鳥も、肩にいるテディーも、足元にいるアルフィーも、グリーズの表情が曇らないことを願う。


「……ありがとうございます、カレン様。リサ様」


 グリーズの表情は晴れなかったが、グリーズは迷うことなく城に向かって歩き出した。

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