第四話 『灰を被って』
「可哀想なお野菜ちゃん、一体どうしたの? そんなに泣いて」
若い女だが、黒兎よりも年上に見える。大人っぽい顔付きで子供のように涙を流す女は、手に持っていた布を力強く握り締めた。
「それは……」
カロリーナは息を呑む。カロリーナと同じように魔法で柵を飛び越えたカレンも、ボロ雑巾のようなそれを見て言葉を失う。
カロリーナがそっと女の手に触れると、女はそれを手放した。カロリーナが杖を振って布を広げると、女のベビーブルー色の瞳と同色の──薄汚れたドレスが現れる。
黒兎が女ならば何歳であっても泣くだろう。
新しいドレスを着て笑ったカレンやリサ、そして自分が着るドレスに拘るエレンを見た直後なのだ。舞踏会に参加して王太子殿下に見初められたいと思っていなくても、きっと、涙が溢れて止まらなかっただろう。
「……もしかして、魔女様ですか?」
震える声で女は尋ねた。女自身も薄汚れたドレス以上に薄汚れた服を着ているが、どこよりも大きな屋敷の庭で泣いていたのだ。女がこの屋敷の何者であっても、王族貴族が魔法学校に通う世界で魔女を珍しがるとは思えない。
「えぇ。初めまして、私は北の魔女のカロリーナよ」
「私はカレン! 貴方の名前は?」
「わ、私は……」
瞬間、女は何故か言い淀んだ。この世界は庶民に苗字がない世界でもあるが、メイドにも騎士にも名前はある。
「……グリーズ」
グリーズと名乗った女は、何故か困っているように見えた。
「グリーズ? 素敵な名前ね!」
カロリーナもグリーズの様子に気付いたようだが、グリーズの雰囲気を察してそのことには触れない。カロリーナは人々の笑顔が見たくて今日も困っている人々を救ける。
「ねぇグリーズ。私の魔法ならこのドレスを元通りにすることができるわ。どうする? 私たちと一緒に舞踏会に行く?」
だが、グリーズはカロリーナの提案に笑顔を見せなかった。
「え? グリーズ、舞踏会に行きたい訳じゃないの?」
「じゃ、じゃあ、ドレスだけ直しましょうか?」
グリーズの反応は予想外だったらしい。カロリーナは戸惑いつつもグリーズに別の提案をする。少し前のカロリーナだったら必要以上に世話を焼いていただろうが、今のカロリーナはグリーズの気持ちを尊重しているようだ。
「大丈夫です」
グリーズは力強く涙を拭う。
「舞踏会には行きたいんですけど、貴方が北の魔女様なら、別のお願いがあります」
グリーズはただ泣くだけの女ではない。舞踏会の開催が決まるずっと前から、心に秘めていた願いがある。
「えぇ、なんでも叶えるわ!」
カロリーナは、グリーズの願いを聞いていないのにグリーズに誓った。
「私を強くしてください」
グリーズは、心優しいカロリーナを見上げて抽象的な願いを口にした。
「強く?」
「力が欲しいんです。誰にも負けないくらいの力が」
拳を握り締めたグリーズが求める力は、逆境にも負けない心の強さではない。
「強く、なりたいんです」
どれ程強く拳を握り締めても、今のグリーズに宿る力は弱く。誰かを殴ればグリーズの拳だって傷付くくらいに脆い。
「まぁ! とっても素敵な願いね! それは確かに叶えたいわ!」
黒兎の予想通りカロリーナはグリーズの願いを否定しなかった。そして、黒兎の予想以上にグリーズはカロリーナに肯定されて微笑んだ。
「でも遠慮しないで。私、グリーズの願いならどんな願いでも叶えちゃう!」
「え?」
その顔は一瞬にして驚きに変わる。
「舞踏会に行きたいなら、やっぱり一緒に行きましょう!」
カロリーナはグリーズの返事を聞かずに杖を振った。杖先から放たれた光線の色は黒色が混じった白色で、黒兎は──そしてシルヴァンとエレンはカロリーナのように息を呑む。
瞬く間にベビーブルー色のドレスを身に纏って装飾品で着飾り金髪を纏めたグリーズは、先程のグリーズとは別人のようだった。どんな石も磨けば宝石になるとは思わないが、グリーズを見ていると自分が間違っていたのかもしれないと思ってしまう。それくらい、女は磨けば美しくなる。
元々驚いていたグリーズは自分の変貌にさらに驚き、両手で口元を覆って立ち上がった。
「北の魔女様! こ、これは……!」
「私からのプレゼントよ。貴方、すっごくいい子だもの。受け取ってちょうだい」
「グリーズすっごい! 似合ってるよ!」
やはりカロリーナのセンスに問題はない。そして、カロリーナに人々を傷付けようという意思はない。
グリーズはどこかの国の王女だと言われても疑わないくらいに優雅な動作でくるりと回る。そんなグリーズの項には、ベラドンナの花に似た痣が咲いていた。
「…………」
グリーズはたった今、北の魔女カロリーナによって呪われたのだ。
グリーズ本人が望んだこととはいえ、よりにもよってオラティオの前でグリーズを呪うとは。その感覚はメルヒェン大陸の人間の感覚か、それとも魔法職の人間の感覚か。黒兎にはその両方が理解できなかった。
「さぁ、手を取って。あっ、アブラハム様! 申し訳ございません、グリーズもご一緒してもよろしいでしょうか?」
カロリーナは今更アブラハムに確認する。この一行の現在の中心人物はアブラハムだ。アブラハムが許可しなければグリーズは一人で舞踏会に行くことになる。
そして、他国の王族として舞踏会に向かうアブラハムは簡単に許可を出すことができない。アブラハムは黙ったままグリーズを上から下まで眺めた。
「お願い! お爺様!」
今のカレンができることはアブラハムに懇願することだけ。黒兎は口を挟まずにアブラハムを一瞥する。すると、アブラハムは深く頷いた。
「うむ。この女性なら構わん」
カレンがどれ程懇願しても、グリーズがアブラハムの中にある基準に満たなければ断られていたらしい。
吟遊詩人としての人生が長いとはいえ、アブラハムは国王を務めたことがある王族なのだ。黒兎は背筋を伸ばしてアブラハムの品位を損ねないように努める。
「ご厚意に深く感謝致します」
グリーズはアブラハムが何者であるのかを知らないが、深々と頭を下げて礼を言った。そんなグリーズはメイドにも騎士にも見えない。先程見掛けたラトゥール公爵家の人間よりもその地位に相応しいとさえ思ってしまう。
グリーズはカロリーナに支えられながら馬車に乗り、目の前に黒兎がいることに気付いて挨拶をした。
「よろしゅう」
咄嗟に出てきた言葉はいつも通りの挨拶で、グリーズが丁寧であればある程自分はアブラハムには相応しくないのではないかと冷や汗が出てくる。
「あ、あの、貴方のお名前は?」
そんな黒兎の内心には気付かずグリーズは尋ねた。
「俺はクロトや。騎士やから別に畏まらんでもええよ」
グリーズは一瞬だけ首を傾げたが、「承知致しました」と首肯する。
「……もしかして、《黒の迷い子》ですか?」
「せやで。見るんは初めてか?」
「はい。本当に綺麗な黒髪黒目なんですね」
綺麗かどうかはわからないが、黒兎も黒兎と虎獅狼以外の《黒の迷い子》を見たことがない。……今までまともな街に行ったことがほとんどないからだと言われればそれまでだが。
「アブラハム様は素敵な方ですよね」
動き出した馬車に揺られながら、グリーズは黒兎とカロリーナ、そしてカレンに話を振る。
「アブラハム様はキルデルシュ王国の元国王様よ」
「えぇっ?! ということは……」
グリーズはアブラハムをお爺様と呼んだカレンに視線を向けるが、「あっ、私はキルデルシュ王国の人間じゃないよ!」と否定したカレンにもう一度だけ首を傾げた。




