第三話 『アブラハム様御一行』
舞踏会があるからか、裏通りにはほとんど人がいない。そこを通りながら建物が密集していない場所を探し、オラティオは巨大な川が傍にある橋の下に辿り着いた。
「やっぱトロイメライもヤバい奴やわ」
黒兎は高級素材で作られたドレスを身に纏うカレンとリサをまじまじと眺める。
さすが気が遠くなる程の時間を使って人間を飼ってきたエルフと言うべきか。トロイメライが一瞬で作ったドレスはカレンにもリサにもよく似合っている。輝くような笑顔も相俟って、二人は今までで一番美しく見えた。
「二人とも素敵だわぁ! じゃあ次はクロトとコジローね!」
「俺らはええねん! ばーちゃん! ええねん! うわーッ!」
黒兎と虎獅狼に魔法を掛けたのは、呼んでもいないのにトロイメライと共に来たカロリーナだ。
回復したカロリーナと再会できて嬉しく思うが、魔法を掛けてほしい訳ではない。カロリーナは黒兎が想像した通りの礼服を黒兎と虎獅狼に着せ、満足そうな笑顔を見せた。
「ばーちゃぁん……」
黒兎はカロリーナの笑顔に弱い。リタの悲しむ顔と同じくらいカロリーナの悲しむ顔は見たくないのだ。
「じゃあ次は貴方ね」
「ダーもダァー?」
ダーさんの体格に合う既製品の礼服は大陸のどこを探してもないだろう。王族や貴族にも恰幅が良い男はいるだろうが、ダーさんの脂肪と筋肉の付き方は彼らとは違う。
「そ〜れ!」
「ダァ〜!」
ダーさんに似合う礼服がこの世にないのか。カロリーナにセンスがないのか。
黒兎は地面に置いたハインツで全身を確認し、虎獅狼を観察し、ダーさんを一瞥して渋い顔をした。
「では、最後はアブラハム様ですね」
カレンとリサを褒め讃えていたアブラハムは、カロリーナの前で背筋を伸ばす。海の魔女を含めた呪いの魔女を忌み嫌うアブラハムだが、人々を救う為に死力を尽くす北の魔女には敬意を払っているらしい。
「良い感じに頼むぞ」
「勿論です勿論です。いきますよ? そ〜れ!」
「ブラのじーちゃんむっちゃええやん!」
カロリーナのセンスの問題ではなく、着る人間の問題だった。
それはそうだろう、国王だったアブラハムが着こなせない訳がない。黒兎は地面に突っ伏して礼服を汚した。
「悪い子だね」
リサの肩にいるエレンにドレスを着せる隙を窺っていたトロイメライは、黒兎を片手で軽々と引き上げる。トロイメライの魔法があればどんな汚れも一瞬で消え、黒兎はもう一度渋い顔をした。
「それで? 舞踏会はいつなの? 私も参加したいわ!」
カロリーナは楽しそうに拳を振る。そのままぽっくり逝ってもおかしくない。黒兎は注意深くカロリーナを眺める。
「今夜なんです。アブラハム様、カロリーナ様もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「うむ。北の魔女なら構わん、歓迎するぞ」
「まぁ! 嬉しい! ありがとうございます、アブラハム様! トロイメライはどうする?」
「私は不参加で。興味ないし、ニーギュたちを留守番させているしね」
「そう? じゃあ、ダビのことよろしくね!」
舞踏会に乗り気な人間は楽しそうだ。黒兎は何も起こらないことを密かに祈る。
「おい! お前ら! 俺様のこと忘れてんじゃねーだろーなぁ?!」
「行くんかい」
ダチョウが参加したら城は大騒ぎになるだろう。アブラハムの権力とカロリーナの人望があったとしても騒ぎを抑えることはできない。
「馬鹿かお前! 俺様は結婚相手を探して今すぐこのふざけた呪いを解くんだよ! カロリーナ! トロイメライ! ほら! やれよ! ほら! やれって!」
だが、シルヴァンがいくら訴えても、やる気のあるカロリーナとやる気のないトロイメライの魔法では毛艶のいいダチョウにしかならなかった。
「ぎゃははははっ!」
「クッソー!」
「大丈夫。それで求愛ダンスを踊って、踊り返してもらえば成功だから」
虎獅狼は真顔でおかしなことを言う。
黒兎は城の中心で踊るシルヴァンを想像する。
「行こうや! 俺、その舞踏会ならむっちゃ行きたいわ!」
「うん! 行こう! 馬車に乗ろう!」
「じゃあアブラハム様に相応しい馬車を用意しましょう! 馬は……」
カロリーナは辺りを見回してシルヴァンに目を留め、そしてにこりと微笑んだ。
「よろしくね!」
カロリーナはシルヴァンの頭に乗っていたラウに魔法を掛ける。ラウはあっという間に光に包まれ、ヴィンチェンツォのように馬となった。
「うーん。この人数ならもう一頭必要よね?」
「ほんならもう一匹呼ぶか」
そう言って黒兎はハインツを覗き込む。鏡に映っているのはアルフィーとテディー、そしてアレクサンダーとサラだ。
「テディー、こっち来ぃ」
手招きすると、アルフィーから逃げ回っていたテディーがハインツに飛び込む。そして、ハインツよりも大きなアルフィーが黒兎の顔面に激突した。
「なんっでやねんッ!!」
「えっ?! 何?! なんで通れたの?!」
「猫は液体だからね」
虎獅狼はアルフィーを抱き上げてテディーを逃がす。
「じゃあいくわよ? そ〜れ!」
「ニャアァアアアァアア!?」
アルフィーは馬となったテディーに驚き、虎獅狼の顎を蹴ってリサの背後へと逃げていった。
「ホー! ホー!」
「何してんねんお前は無理やろ」
小さなテディーと体が柔らかいアルフィーは簡単に通れるが、サラは顔だけしか通れない。顔よりも下は宿で暴れている。
「留守番やって。な? な?」
「ホー!」
「何言うてんねん」
「クロトは結婚したら駄目って言っているわ」
「なんでやねん。シルヴァンちゃうんかい」
同じ鳥類だ。サラがシルヴァンに惚れているならば理解できるが。
「違うわ。前から言っていると思うけれど、サラが大好きって思っているのはクロトよ」
「はぁ?! あれそういう意味なん?!」
とはいえ黒兎に結婚願望はない。輝夜とリタを見ていると、結婚そのものに憧れさえ抱かない。
「安心しい、結婚せんから」
黒兎はサラの頭を撫で、ハインツに押し込む。ハインツはすぐに黒兎を映したが、黒兎の耳にはしばらくサラの鳴き声が聞こえていた。
「馬車の準備ができたわよ〜」
振り返ると、馬となったテディーとラウを馬車に繋いだカロリーナが黒兎に向かって手を振っている。
「おっし。行くかぁ」
今日の黒兎と虎獅狼は御者ではない。馬車に乗り込んでシンデリカ王国の街並みを眺める。橋から離れれば民家が連なり、民家から離れれば屋敷が連なる。
こうしてゆっくりとどこかの国の街並みを眺めるのは久しぶりかもしれない。今日はなんだか不思議な気分だ。
このまま月光国に帰れなければ、黒兎はこういう国で暮らしていくことになるのだろう。
先程出逢ったラトゥール公爵家のことを考えれば、あんな面倒臭い人間なんていない方がいい。
ドナトリア王国に戻ってリタの騎士になるならば、ウーリのことは飲み込まなければならない。
望み通りの生活はどんな努力をすれば手に入るのだろう。
血の滲むような努力をして月光国軍に入隊し、メルヒェン大陸で目を覚ました黒兎だ。どれ程努力をしてもすべてが水の泡になるような気がして視線を落とす。
「あらあら? どうかしたのかしら」
「どうしたの? カロリーナ……あっ」
カロリーナとカレンは一体何を見つけたのだろう。
仕方なく黒兎も視線を移すと、柵の向こう側に若い女がいるのが見える。
国中の女が舞踏会で浮かれている時だ。広大な庭にぽつんと置かれたベンチに腰を下ろして項垂れている女は、黒兎の目から見ても異質に映る。
「アブラハム様! 申し訳ございません、私……」
「よいよい。それが北の魔女じゃろう」
カロリーナはアブラハムから許可を貰い、あっという間に若い女の傍に行く。顔を上げた若い女は泣いており、黒兎はもう一度だけ結婚について考えた。




