外伝Ⅵ 『聖女フローラの未来Ⅰ』
温かな日差しが部屋に降り注ぐ。窓を開けるように頼むと、微風が部屋の隅まで届く。ベッドに座って外の景色を眺めていると、ノック音が聞こえてきた。
「寒くないのか?」
部屋に入ってきたイザナは驚き、椅子に掛けていたカーディガンを慌てて持ってくる。
「むしろ暑いくらいです」
「でも今は冬だぞ」
「でも一番温かい時間帯です」
忙しいはずなのに、公務の合間を縫って来てくれるなんて。それが嬉しくて笑っていると、イザナは「熱でも出たのか」と私の額に手を置いた。
「出ていません」
私は産まれてから今日まで一度も風邪を引いたことはない。私はメルヒェン大陸では珍しい健康な子だ。
イザナが私の額から手を離すと、もう一度だけノック音が聞こえてくる。開けていた扉の前で私とイザナの会話を聞いていたのは、イシガミとその腕の中にいる赤ん坊だった。
「ありがとう、石上」
一礼して私たちの傍まで来たイシガミは、私たちに赤ん坊を差し出す。イザナを見ると、イザナは私に譲ってくれるようだ。
私は赤ん坊を受け取って、布越しでも伝わる温かな体温に思わず頬を緩める。黒い髪に白い肌、今は眠っているがその瞳の色は黒色で。
「ふふっ。イザナにそっくり」
あまりにも愛おしくてこの子にゆっくりと頬擦りをした。
「そうか? 俺似ではないだろう」
「えぇ? 私とこの子が同じなのは性別だけですよ」
「この子が目を開けたらわかる。目元が特に似ていただろう?」
イザナがイシガミに同意を求めると、イシガミはすぐに同意する。
「あぁ、狡いです。イシガミはイザナが白って言ったら黒でも白って言いますよ」
「それはさすがに言い過ぎだろう」
「私は白と言いますよ」
「ほら」
イザナは信じられないとでも言うようにイシガミを見上げた。イシガミは微笑むだけで多くを語らない。
そんな二人の空気は、長い付き合いの間柄でしか出せないものだった。
「イザナ、イザナ」
私も早くそんな間柄になりたい。もっとずっとイザナとこの子たちと共にいたい。
「早くこの子の名前を教えてください」
「そうだな……」
イザナは辺りを見回して、積み木で遊んでいた我が子を連れて来る。
「この子の名前は、舞夜だ」
遊びを邪魔されて暴れるカグヤに謝りながら、イザナはずっと考えていた名前を口にした。
「マヤ! 素敵な名前ですね!」
私には月光人の名前がわからない。一年前にそう言ったらイザナが産まれたばかりの子にカグヤと名付けてくれたけれど、それが素敵な名前なのかはわからなかった。けれど、マヤはメルヒェン大陸でも聞く名前だ。
「そうだろう」
イザナも愛おしそうにマヤに触れる。カグヤは私の腕の中にマヤがいるのを見て怒る。カグヤの声で起きてしまったマヤが泣き出すと、乳母が近付いて来る。
カグヤとマヤを産む前だったら想像できない騒がしさだ。
「咲夜様、舞夜様をこちらに」
「待って。私にやらせてください」
乳母がカグヤとマヤを育てることに異論はないけれど、母親らしいことはしたい。マヤをあやしていると乳母がやり方を教えてくれる。
「あーっ! あぁーっ!」
カグヤはまだ言葉を話すことができなかった。母親らしいことはあまりできていないのに、それでも私をマヤに盗られたと思ってただひたすらに泣きじゃくる。
「咲夜、代わろう」
カグヤとマヤを交換すると、カグヤはすぐに私を抱き締めた。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
「こういう時は上の子を優先した方がいいらしい」
イザナは乳母に教わることなくマヤをあやす。
「凄い……。イザナはどこでそれを覚えたんですか?」
「いや、本やネットで調べただけだ。これで合っているか?」
乳母は、皇帝が相手でも億さずに本やネットでは得られないことをイザナに教えた。
私が漢字のほとんどを読むことができないことを乳母は知らない。書けるのは平仮名と片仮名だけで、本は読めず、ネットは使い方さえわからない。カグヤの漢字は難しくて今でも時々間違える。
間違えずに書けるのは、サクヤ──私がイザナと結婚する際に与えられた月光国での名前くらいだ。
二人目を産んだ今、カグヤの名前だけではなくマヤの名前も完璧に書けなければならない。
聖女フローラを知っている人間はほとんどいないのだ。私が何もできないただの花が好きな女だと民たちに知られたら、イザナの評判は地に落ちる。
元々出自不明の私と結婚することは簡単なことではなかったのだ。
イザナの為に名前を捨てて、髪と瞳の色を魔法で偽って、他のどの令嬢よりも私が妻として──国母として相応しい女であることを証明する為に長い長い時間が掛かった。誰からもあの時の選択は間違いだったと言われたくない。言わせない為に努力を続けなければならない。
「あー」
カグヤが私のことを呼ぶ。我に返って、私はカグヤに笑顔を向ける。
「カグヤ。大好きですよ」
私がカグヤとマヤに教えられることは、今のところ園芸と魔法だけ。私の子供として生まれたカグヤとマヤには他のどの月光人よりも魔法の才能がある。今から鍛えれば自分の身は自分で守れる魔女になれるはずだ。
カグヤの興味は既に私ではなく積み木に移っていて、私はカグヤを抱えて積み木の下まで歩く。
「歩いて大丈夫なのか?」
「はい。これくらいなら平気です」
イザナの代わりにイシガミが私の傍に来てくれた。私とイシガミはイザナとイシガミのようにはなれないけれど、私たちには私たちなりの関係がある。
「イシガミ、ありがとうございます」
「いえ。咲夜様の為ならば槍にも杖にもなりましょう」
「槍は要りません」
私が月光国に来て初めて出逢った人は、イザナじゃなくてイシガミだった。
イザナが私の夫なら、イシガミは私の父のようだ。そんな人に会えたことを私は誇りに思っている。
「輝夜様の為ならば馬になりましょう」
「馬?」
イシガミが四つん這いになると、カグヤが手をパチパチと叩いた。
「石上の背中に輝夜を乗せるんだ」
「えぇっ?」
イザナに言われた通り恐る恐るカグヤを背中に乗せると、確かに人間が馬に乗っているように見える。
動き出したイシガミと楽しそうにしているカグヤを呆然と眺めていると、不思議そうに私を眺める乳母が視界に入った。
大変。これは月光国ではよくある遊びなのかしら。
慌てて知っている振りをする。あと十年前くらいこの世界で生きれば、メルヒェン大陸で生きた年数を越えられる。十年経てば私は立派な月光人になれるかしら。
私の親はこの世界にはいない。カロリーナもこの世界にはいない。
家族と呼べるのは、私の家族となってくれたイザナと産まれてきてくれたカグヤとマヤだけだ。
カグヤとマヤが誰かと結婚してまた子供が産まれれば、この世界での私の家族はもっと増える。
この国にいられることもイザナの隣にいられることも凄く幸せなことで、私のすべてをイザナに捧げることに後悔はない。
それでも、寂しくないと言えば嘘になる。聖女フローラを知っている人でさえ今は私をサクヤと呼ぶ。魔法は気軽には使えない。
だから、私とイザナが愛し合って、今よりももっと家族が増えたら──メルヒェン大陸の私が消えても私は寂しいとは思わない。
「カグヤ、楽しいですか?」
「あぁー! うぅー! うばぁー!」
私はこの世界で母になる。
カグヤの頬に口付けをして、イザナとカグヤとマヤが生きる国と未来を守ると心に誓う。
メルヒェン大陸の私が消えてしまったとしても、この世界に来たのはツキガミサクヤではなく確かに聖女フローラなのだから。




