外伝Ⅵ 『聖女フローラの未来Ⅱ』
カグヤとマヤを乳母たちに預けて、イザナは公務に、そして私はオキナ様の下に行く。
「オキナ様!」
「咲夜さん、もうよろしいのですか?」
オキナ様は産後の私の体を心配してくれているみたい。この方はいつも他者に優しくて尊敬する、オキナ様を見ているとカロリーナを思い出すくらいだ。
「はい。お気遣いありがとうございます」
「そうですか。名前はもう?」
「はい。イザナがマヤと名付けてくださいました」
カグヤの時も、イザナは私よりも先に上皇様や皇太后様、オキナ様にその名前を教えることはなかった。
「マヤ、ですか。素敵な名前ですね。漢字は誘成から聞いた方がいいですか?」
「あぁ、はい……。すみません、お願いします……」
オキナ様は私が聖女フローラであることと、漢字の読み書きが未だにできないことを知っている。
オキナ様の前では頑張って自分を偽らなくてもいいことが嬉しい。素直に謝り、私はオキナ様の前に置かれたソファに腰を下ろした。
「その後の皆さんの調子はいかがですか?」
すぐに職員さんが煎れたばかりのお茶を出してくれる。お礼を言ってイザナが教えてくれた通りに息を吹きかけて冷ましていると、オキナ様も目の前に置かれた湯呑みを手にした。
「咲夜さんのおかげで、皆すべてを忘れて生活しています」
「あぁ。良かったです」
その事実を知るとほっとする。あったかいお茶を飲むとほっとする。
私はもう、聖女フローラと名乗ることもそう呼ばれることもないけれど。皇后咲夜として、できる公務もないけれど。オキナ様と話していると私はここにいてもいいのだと思える。
「そうですね。私もそう思います」
オキナ様は湯呑みを置いて、その隣には木で作られた箱を置いた。
「オキナ様、それは?」
「咲夜さんから頼まれていた物です」
何も入らなさそうな程に厚みのない──縦に長い箱がオキナ様の手によって開かれる。見ると、そこには柔らかそうな布とそれに包まれた杖が入っていた。
「わぁ……! ありがとうございます……!」
私は懐から杖を取り出す。元々使っていた杖と新しい杖を並べてみると、長さや太さがほとんど変わらないことに気付いて感動した。
「気に入りましたか?」
「はい! 月光国の職人さんの腕は本当に素晴らしいですよね!」
「咲夜さん、その言い方は他国の人間が言っているように聞こえますよ」
「あぁっ?! わ、我が国の職人さんの腕は本当に素晴らしいですよね〜!」
周りにいる職員さんも私が聖女フローラであることを知っている。
変なことを言っても大丈夫だけれど、彼らに甘えたままではいつかとんでもない失敗をしてしまいそうですっごく怖いわ。
「…………」
項垂れて杖を握り締める。イザナの妻としても、カグヤとマヤの母としても、そして月光人としても、私は嫌になるくらいに未熟者だった。
「そんなに落ち込まないでください。咲夜さんはよくやっています」
「そ、そうですか? ありがとうございます、オキナ様」
オキナ様に励まさせるなんて申し訳ないと思うけれど、これ以上オキナ様の前で落ち込む訳にはいかない。私は背筋を伸ばして両手で杖を握り締めた。
「事実です。ここは下界と比べると何もかもが違うでしょう」
オキナ様はメルヒェン大陸のことを下界と呼ぶ。
「違いすぎます! どうしてこんなに違うんでしょう? 私も皆さんも同じ人間なのに!」
「国が地続きでないと歴史も文化も違う道を歩むということでしょう。私たちは魔法を捨てて科学を選び、貴方たちは科学を捨てて魔法を選んだということですね」
「科学は不思議ですよね。私、イザナの話を何回も聞いているはずなのに全然理解できなくて……」
イザナは他の月光人よりも科学に詳しい。そんなイザナが大学で学んでいたのが科学だった。
「誘成は昔から人に教えることがあまり得意ではありませんでしたからね」
「そうなのですか? 私もカロリーナから似たようなことを言われたことがあります。あ、カロリーナっていうのは私の師匠なんですけど」
オキナ様はイザナの話を微笑みながらして、私の話を微笑みながら聞く。
「なら、輝夜とマヤがどちらに似るのか今から楽しみですね」
確かに、科学が得意なイザナと魔法が得意な私の子供たちはまだまだ幼い。オキナ様に頼んでカグヤの杖を作ってもらったけれど、これを渡すのはまだまだ早い。
カグヤとマヤがどちらに似るのかも、どういう風に成長するのかも、今から楽しみで仕方なかった。
「あ、そうだ。聞いてください。私はカグヤもマヤもイザナに似ていると思うんですけど、イザナはマヤの目元が私に似ているって言うんです。オキナ様はどう思いますか?」
「確かに、マヤの目元は咲夜さんに似ていますね」
「そうなのですか? オキナ様までイシガミと同じことを言うんですね」
「輝夜の目元は誘成によく似ていますよ」
確かに、カグヤもイザナも目尻が上がっていて凛々しい表情がよく似ている。私は吸い込まれそうな黒い色ばかり見ていたけれど、ちゃんと私たち四人を見てくれている人もいたらしい。
「貴方たちは誰の目から見ても家族です」
「ふふっ。そう言っていただけると嬉しいです」
「本心ですよ」
オキナ様は断言した。
「咲夜さんが元の姿に戻っても、貴方たちは誰の目から見ても家族です」
その言葉が──じんわりと私の胸に沁みた。
「あ、あれ?」
視界の端がじんわりと滲む。目頭が熱くなって思わず杖を机の上に置き両目を覆う。
「あれ……」
私、どうして泣いているのかしら。
辛いことなんて何もないはずなのに。マヤも無事に産まれて幸せいっぱいのはずなのに。
「……オキナ様、すみません。私、悲しい訳じゃなくて」
「わかっていますよ」
「え?」
「その涙はきっと、咲夜さんが頑張っている証拠です」
オキナ様が言葉を紡いでくれる度に心がとても暖かくなる。
家族と呼べるのは、私の家族となってくれたイザナと産まれてきてくれたカグヤとマヤだけではない。イザナの両親だって、イザナの叔父のオキナ様だって、私の大切な家族だ。
「咲夜さん。軍にはまだ、心の傷を抱えている人間がいます」
「……はい。承知しています」
「この国と軍には、まだ貴方の魔法を必要としている人間がいます」
「はい」
顔を上げる。聖女フローラと呼ばれることはない。魔法は気軽には使えない。それでも聖女フローラとしての私を必要としてくれる人はいる。
いつかそんな人たちがいなくなったら、いよいよメルヒェン大陸の私は消えるのだろう。
そうなることが一番だと思う。私が消えた後で誰かが聖女フローラを求めたら、カグヤとマヤに聖女を託そう。
イザナのことも私のことも託せるように、カグヤとマヤに教えられることは私たちなりに教えよう。
どんな子に成長するのかはわからないけれど。
イザナとカグヤとマヤが生きる国と未来は私が守るけれど。
私とイザナの子として、この国と未来を背負うことは間違いないのだから。
「熾成様! 咲夜様! 失礼致します!」
慌ただしい足音を出して扉の前に立ったのは、イシガミだ。イシガミは今カグヤとマヤの傍にいたはずだけど。
「舞夜様がッ!」
イシガミの顔は見えていないのに、その声を聞くだけで心臓がぎゅっと握り締められる。
何、何、何。
心がざわめく。不安で涙が出そうになる。
私の大切なマヤ。私は産まれたばかりのあの子の傍を離れるべきではなかったのだ。




