第二十九話 『八人目は空の中』
「エレン様、先程はありがとうございました」
デュークは真剣な眼差しでエレンに礼を言う。
「だ、だから私は何もしていませんって」
そうやって否定しているのはエレンだけだ。この場に集ったフェアリー全員がエレンに感謝しているのなら、エレンはそうされるに相応しいことをしたのだろう。
「それを言うなら俺らも礼を言わんとなぁ」
「えっ。そっちは本当に意味がわからないんですけど……」
「リサ、シルヴァン、ダーさん。アブのじーちゃんもまだ持っとるやろ」
とんとんとテーブルを叩く黒兎の意図に気付いたのは、リサだ。リサはすぐに懐から杖を取り出してテーブルに置く。
「ダァー。そういえばこれはダーのじゃないダァー」
ダーさんもアブラハムもリサに倣うが、シルヴァンはそんなものは持っていないという態度だった。
「シルヴァン、出すダァー。返すダァー」
「あぁっ! やめろ! んなもん持ってねーよ!」
「この辺りにしまってなかった?」
「なんでお前は覚えとるん?」
シルヴァンは本気で自分が杖を持っていることを忘れているのだろう。そして、シルヴァンと同じくそのことを忘れていてもおかしくない虎獅狼は、あっさりとシルヴァンから杖を抜き取った。
「あっ?! なんだそれ! 俺様のか?! 返せ盗賊!」
「コジローは盗賊じゃないダァー」
「盗賊はこいつやねん」
黒兎はエレンを一瞥するが、一応名前を出すことはしない。フェアリーたちがエレンに感謝している場に水を差すつもりはないからだ。
デュークはそんな黒兎の言動に気付くが、エレンの正体には興味がない。デュークはフェアリーで、エレンは人間。にも関わらずフェアリーを守る為に尽力してくれたエレンには感謝してもしきれなかった。
「ねぇねぇ。貴方フェアリーになる気はない?」
そんなデュークの心を知ってか知らずか、グレイシーはそう言ってエレンの肩を抱き寄せる。
「おっ、お祖母様?! 突然何を……!」
「お祖母様?!」
黒兎はぎょっと目を見開いてグレイシーとデュークを見比べた。見た目の年齢はどう見てもデュークと大差ないが、思い返せばカレンとカレンの曽祖母のエルマも同じような年齢に見えていたような。
「は……?」
エレンはぽかんと口を開いて、馴れ馴れしいグレイシーを凝視する。
「だーかーら、フェアリーにならない? って言ってるの! デュークのお嫁さんになってくれたら嬉しいんだけど! どう? どう?」
瞬間、黒兎は飲んでいたお茶を吹き出した。
「おっ、おっ、お嫁さん?!」
あまりにも急な話だ──いや、黒兎は初対面の女に求婚したウーリという男とそれを承諾したリタという女を知っている。リタが結婚したならば、カレンやリサの年齢で既婚者となっていてもおかしくはないのだ。メルヒェン大陸では珍しい話ではないのかもしれない。
「お祖母様、おやめください! エレン様を困らせています!」
エレンはフェルディナンドに求婚されたイリスのように固まっている。あの時はヴィンチェンツォが騒いでいたが、今は周りのフェアリーたちが勝手に盛り上がっている。そして、ラウはエレンのように固まっていた。
「えー、なんでよ。悪い話じゃないでしょ?」
グレイシーとデューク、そしてエレンの間に体格差はほとんどない。エレンに羽が生えたらフェアリー以外には見えないだろう。
「話を聞いていなかったのですか! エレン様の呪いは解けます! ずっとそのままではないんですよ?!」
「解けるっていつよ? ずーっとこのままなのに」
エレンは何を思ったのか、その表情が一瞬陰る。
黒兎にはエレンが何年その姿のままで生きているのかはわからない。今の今まで呪いが解けることを知らなかったとはいえ、解けなかったのは事実だ。
エレンの罪がその手癖の悪さならば、エレンが今どんな表情をしていようと黒兎だって解けないと思う。
「人間は変われます!」
どれ程努力しても変われない人間だっている。
何があっても変わらない人間もいる。
「そうでしょう、カレン様!」
「えっ? 私?!」
デュークは何故、今カレンを巻き込んだのだろう。
「──なれると、ずっと言っていたじゃないですか!」
カレンはデュークと会話を交わしていたようだ。
カレンは息を呑んで大きく頷く。
「うん、なれる! 絶対なるよ!」
「可能性はゼロではありません! エレン様の可能性をお祖母様の勝手な判断で潰さないでいただきたい!」
黒兎は手癖の悪い人間の更生を信じていないが、デュークは曇りのない眼でエレンを信じる。
「エレーン、ここまで言われたらやるしかないで」
信じていないが、呪われたままでいいと思っている訳でもない。デュークやカレンが思っている以上に途方もない道なのかもしれないが、エレンは黒兎の言葉でようやく顔を上げた。
「私は、この国のことが好きです」
人間にとって暮らしづらいことに目を瞑ればそうだろう。
「デュークが王様になったら今よりももっと素敵な国になるって、私は本気で思っています」
「ほんと? じゃあデュークには今すぐ王様になってもらおうかな〜」
「お祖母様! 思い付きで色々と言うのはやめてください!」
デュークはグレイシーを目一杯叱るが、同じく色々と言うエレンの口は塞ごうとしなかった。
「でも、私はパウラのことも好きなんです」
エレンの小さな瞳にはグリンダが映っている。
「私はパウラの娘だから、パウラの子育ては間違っていなかったって証明したい」
エレンが抱き寄せたのはラウで、グレイシーは渋々エレンを離す。
「もう子供って歳じゃないけど、それでも、そういう風に生きていきたいの」
グリンダはエレンの言葉を聞いて、一瞬だけ笑みを零した。
何を考えているのかはわからないが、グリンダはグリンダなりに考えて生きている。
慟哭する程探し求めている聖女フローラから貰ったものを、自分なりに考えて周りの人間に与えている。
そんな呪いの魔女もいるのだ。
黒兎は少しだけ安堵した。
「え〜、いいじゃ〜ん。デュークのお嫁さんになってよぉ〜」
グレイシーは納得していないのか、ごろごろとテーブルの上を転がっていく。
「お祖母様! おやめください! はしたない!」
「デュークはなんで結婚できないダァー? デュークはシルヴァンよりもいい男ダァー」
「おい! 殺すぞ!」
「そういうとこやぞ」
だが、黒兎も本気でそう思う。ウーリとヴィガが結婚できてフェルディナンドとデュークが結婚できないなんて信じられない。
「結婚する気がないだけです」
「ご縁がないのよね〜」
「というかエレン様は私よりもずっと年下でしょう」
「それはあかんかぁ」
適当に相槌を打つ。周りの女のフェアリーたちはデュークに憧れの感情を抱いているようだが、必要以上に近付こうとはしない。王族は色々と大変だと黒兎は肉を頬張った。
「あの」
エレンはそんな黒兎を見上げて声を掛ける。
「一緒に行ってもいいですか?」
「あ? どこに?」
鈍い返答をする男だ。エレンは呆れるが、気を取り直してもう一度告げる。
「貴方たちと一緒に呪いを解きたいって言ってるんです」
エレンとラウがオラティオと共に行動するのは、互いの目的地であるフルール王国まで。それよりも先は何も約束していない。
「あぁ。ええよ」
「軽いですね」
デュークはエレンの幸せを願っている。エレンがこれから先を共にする人間がこんなに軽薄な人間だと、同行を認める訳にはいかない。
「しゃーないやん。もうこれやぞ」
黒兎は親指でオラティオを指した。
虎獅狼、ハインツ、カレン、リサ、シルヴァン、ダーさん。しょうゆとポーリーヌは馬小屋にいて、クラーケンはカレンが作り出した水玉の中にいる。
アルフィーはアレクサンダーの顔色を窺いながらテディーの動向を確認して、テディーはサラにべったりとくっついているがサラは迷惑そうにテディーを羽で押し退ける。
「エレン一人ラウ一羽、どうってことないわ」
デュークは動物園と化しているテーブルの一箇所を眺め、「確かに」と、黒兎と同時にグリンダに似た笑みを零した。




