第二十七話 『南から世界へ』
オズ王国を統治する大陸一の魔法使い、オズ。
メルヒェン大陸から愛された聖女、フローラ。
そして、悪魔と正反対の位置にいる──天使。
誰が月光国への帰還、そして呪いを解く手掛かりを持っているのか。それとも誰も持っていないのか。
いや、それともまだ、それを持つ人間に出逢えていないのか。黒兎は何もわからない。
食事の為に大広間に戻った黒兎は、グリンダに攫われた魔女、オラティオ、ノッツが揃っていることを確認して、グリンダがいないことに腹を立てた。
「なんであいつおらんねん!」
黒兎とカレンに負けた時から様子がおかしい。負けただけで死んだ訳ではない、黒兎とカレンはグリンダから何も奪っていない、むしろ黒兎がグリンダからカレンの未来を奪われたようなのに。
「あ、ほんとだ。私呼んでくるね」
「は? どこにおるかわかるん?」
「さっき外にいたのを見たんだ〜」
「日ぃ暮れる前もそこおったやん」
グリンダはずっと何をしているのか。カレンは黒兎と違ってグリンダのことを嫌悪していない。普通の表情でグリンダを呼びに行こうとする。
「カレン! 行ってはならん!」
グリンダへの嫌悪感でカレンを止めるのはアブラハムだが、カレンはアブラハムの言うことを聞かなかった。
「カレ〜ン! わしの言うことを聞けぇ〜!」
「じーちゃんの言うこと聞く孫はおらんよな」
その上カレンはリーダーである黒兎の言うこともたいして聞かない。黒兎はカレンが余計なことをしないようハインツを胸ポケットに入れたまま後を追った。
扉から外に出ると、黒兎が最後に見掛けた時とまったく同じ場所にグリンダがいる。先程と変わらず花畑を眺めている彼女は他人に心配してほしい気質の持ち主なのだろうか。どれ程萎らしくしていても黒兎はグリンダの心配をしないが。
「グリンダ、ご飯だよ。みんなで食べよ〜」
カレンも、黒兎が思っている以上にグリンダのことを心配していなかった。
「一人にして」
「もう充分一人になったじゃん」
カレンがグリンダの傍らに腰を下ろすと、グリンダは一瞬迷った後カレンから距離を取る。カレンはそんな距離を気にすることもなかった。
「みんな待ってるよ?」
「勝手に食べればいい」
「グリンダも一緒がいいじゃん」
「言っている意味がわからない」
黒兎もカレンの言葉の意味がわからなかったが、リサとダーさんもカレンと同じ意見であることは想像できる。誰一人として置いて行こうとしないからこうして声を掛けているのだ。
「だって、この城の主はグリンダなんでしょ?」
聖女フローラと聖女フローラを崇めるフルール王国の国民がいない今、グレイシーらフェアリーにとってはそういう認識になっているらしい。
彼女たちからそのことを聞いていなかったとしても、グリンダに攫われた魔女たちだってそう言うだろう。
「違う!」
だが、グリンダはそう認識していなかった。
「この国はっ、この国は聖女フローラの国!」
立ち上がったグリンダはカレンを見下ろす。その瞳の奥に宿る憎しみは増幅されているが、カレンは変わらずグリンダの瞳を見つめ返す。
「この城も! この花も! 全部聖女フローラのもの! なのに! なんで! どうしてあの人はどこにもいない?!」
グリンダは聖女フローラの全盛期を知っていてもおかしくない年齢だ。聖女フローラを求めるその表情は歪み、瞳からはとめどなく涙が溢れる。
「グリンダも探しているんだね」
聖女フローラを知らないカレンは、グリンダのその熱量を羨ましく思う。
会いたいと思える人がいるのはどれ程幸せなことなのだろう。その人に会えない不幸はどれ程の痛みを伴うのだろう。
「あの人が死ぬなんてあり得ないのに!」
グリンダは黒兎が言葉にしなかった推測を声に出した。
安易に言葉にしてはならない。そう思っていたが、聖女フローラを文字通り死ぬ気で探せる力を持っているグリンダならば──聖女フローラの実力をその身をもって理解しているグリンダならば、言葉にしてしまえるのだろう。
「……本当にみんな、探しているんだ」
聖女フローラが生まれた国は大陸の最北端にあるマーヴァル王国だ。彼女はきっと、南の魔女と呼ばれているグリンダにとって最も遠い場所にいる。それでもグリンダと聖女フローラの人生は交わり、グリンダの慟哭はフルール王国の果てまで響く。
「聖女が嫌になって消えてしもたんやろか?」
生きている者は等しく死ぬ。精霊は違うらしいが聖女フローラは精霊ではない。それでもあり得ないと信じているなら、黒兎は別の可能性を探す。
「あの人はそんな人じゃない」
グリンダは鼻を啜って答えた。
「この大陸の外に行ってしもたとか?」
「あり得ない」
「なんでなん」
「この大陸しかないからだ」
グリンダの代わりに答えたハインツは、自身に古びた地図を映す。その地図の中心に小さく描かれているのがメルヒェン大陸なのだろう。黒兎は「はぁ?」と首を傾げた。
「何言うてんねん」
「この大陸の外はすべて海だと言っている」
「すべて海?!」
黒兎はぎょっと目を見開く。海は、マーヴァル王国に向かう途中で初めて見た巨大な湖のことだ。
「嘘やん! デカすぎやろ!」
メルヒェン大陸は小さくない。なのに、メルヒェン大陸が米粒に見えてしまう程の水がこの世界には存在していると──ハインツは本気で言っているのだろうか。
「えっ? 海ってそういうものでしょ?」
「クロト坊がいた世界には本当に海が存在していないのか?」
海で暮らしていたカレンは当然、情報として海を知っているハインツでさえ黒兎の言うことが信じられない。
「ある訳ないやろ」
黒兎にとってもカレンとハインツの言うことが信じられなかった。
「もしかしたら、フローラ嬢はクロト坊の世界に行ったのかもしれないな」
そんなことをハインツが言って初めて、黒兎とカレンは目を合わせる。
「クロトの……」
「……俺の世界?」
「そこはどこ?!」
グリンダは一瞬で声を荒らげた。黒兎に詰め寄り肩を掴んだグリンダの爪が、黒兎の肩に鋭く食い込む。黒兎の肩に乗るサラのようだ──黒兎は肩に梟を乗せていた輝夜を思い出す。
「俺は……」
グリンダに体を前後に揺さ振られた。細い体だが力が強い。頭が変な方向へと何度も傾く。
「……俺は、俺の世界に帰りたい」
そんな中で考えて、浮かんで来た言葉を絞り出した。
自分が最初に予想していた期間よりも長い期間をメルヒェン大陸で生きていても、黒兎はまだ、もう二度と輝夜に会えなくても構わないとは思っていない。
「せやけど、どこにあるんかも、帰れんのかも、わからへんねん」
グリンダも、黒兎が意味不明なことを言っていると思っても、嘘を吐いているとは思えなかった。
グリンダは俯く黒兎から手を離し、《黒の迷い子》という存在を思い出す。
黒い髪に黒い瞳。陶器のように真っ白な肌は《黒の迷い子》そのままの特徴だ。
どこから来たのかも、自分が何者なのかも、わからない。ここまで話せる《黒の迷い子》に出逢ったのは初めてだからか、その可能性に思い至ることは一度もなく──グリンダの体に衝撃が走る。
「そこに……聖女フローラがいる可能性が……」
グリンダの声は震えていた。恐る恐る視線を上げると、グリンダの表情に初めて希望の色がついていることに気付く。
ほとんどあり得ない──僅か過ぎる可能性でも、グリンダにとっては縋る価値がある希望らしい。
ならば黒兎も、縋ってもいいのだろうか。
オズでもなく、フローラでもなく、天使でもない。
目の前にいる、南の魔女のグリンダに。




