第二十六話 『天は高く続く』
「最悪や最悪や最悪や! ありえへんほんまお前らほんま! ありえへんってほんまにぃ!」
こうなった黒兎を宥めることは簡単なことではない。
「何してんねん! もーッ! ありえへん! なんでなん?! なんでなんッ!」
「黒兎、語彙が乏しくなってるよ」
「お前のせいやーッ! 斬るだけで済ますな! 刺して固定させとけ! 死んでも逃がすな!」
黒兎が虎獅狼に詰め寄ると、虎獅狼は面倒な酔っ払いに絡まれてしまったとでも言うような表情で唇をきゅっと結ぶ。
「く、クロト落ち着いて!」
「そ、そうだよ! 呼んだら来てくれるよ、多分!」
リサとカレンは黒兎を宥めようとするが、黒兎は「俺はいつでも落ち着いとるやろ!」と聞く耳を持たなかった。
「そうは見えんがのぅ」
「いや、クロト坊は狙撃手だ。あながち嘘ではない」
内にどんな感情を秘めていようと、黒兎は狙った的を外さない。黒兎がそういう男であることは、黒兎の胸ポケットが定位置となったハインツが誰よりもよく知っている。
「ハインツ、そんなこと言ってないで呼んでよ〜!」
ティベリオをこの場に呼べるのは呪いの魔女であるカレンではない。ハインツはカレンの姿を映した。
「ティベリオは今蘇生中だ」
ハインツはティベリオに坊と付けない。すべてが始まる前から──黒兎やグリンダが生まれるずっと前からティベリオを知っているハインツは、ティベリオを人間として扱っていなかった。
「死んだの?」
虎獅狼が単刀直入に尋ねる。
「ティベリオという人間の肉体が、な」
ハインツは端的に答えた。
「やり過ぎやアホーッ!」
黒兎は全力で虎獅狼の背中を殴る。虎獅狼は今日も黒兎の拳を受け入れたが、まったく痛そうにはしなかった。
「どっちなんダァー」
刺して固定しろと言った口でやり過ぎだとも言う。こうなった黒兎は無茶苦茶なことしか言わない。
「上手いことやれや! 手足ちぎれ!」
「えぇっ?! 駄目よクロト、そんなことしたら死んでしまうわ!」
「死ねばええねん悪魔は! そうなったらハッピーエンドやろ!」
一瞬で無茶苦茶で矛盾したことを言うが、黒兎はいつも本気だった。
悪魔が死んで呪いが消え、呪いの魔女が力を失うようなことがあれば、メルヒェン大陸の魔女だけではなく月光国唯一の魔女──輝夜も力を失うだろう。そうなったら輝夜は立ち止まってくれるだろうか。
ティベリオと輝夜が接触した可能性がある今、月光国に帰りたいという黒兎の願いは叶えられない願いではなくなっている。そのことに気付いた黒兎だけがティベリオに会えないのは、オラティオにとって損失だ。
「悪魔は精霊ダァー。人間の肉体は死んでも、悪魔の魂は死なないダァー」
「そうだな。ティベリオは人間の肉体を蘇生させているが、そもそも精霊と魔獣は生命として根本から異なっている」
博識なダーさんとハインツは、黒兎の理想を現実で否定する。黒兎はハインツを睨んでふんとそっぽを向く。
そういうところはまだまだ子供なのだと、この世で誰よりも多くの人間を見続けているハインツは思った。
「呼んできましたよ」
振り返ると、ラウに乗ったエレンがアリアドネたちを連れている。
オラティオと同じように、文字が読める人間はノッツにも少ないらしい。一日掛けて探しても、呪いを解く手掛かりは聖女フローラの部屋にはなかった。
*
黒兎はすぐに諦める男ではない。文字が読めない黒兎は、聖女フローラの部屋を捜索し始めた瞬間に廊下を走り回る。
扉を見つけては勝手に開き、箱やチェストを見つけては勝手に開き、それを繰り返してようやく大広間に辿り着く。そこにはオラティオとノッツに占領されていることをまったく気にしていない魔女たちがいた。
「…………」
彼女たちを見ていたら何をしているのかはすぐにわかる。黒兎は苦虫を噛み潰したような表情で彼女たちを凝視した。
「無粋なものが目に入りまして、気が散ってしまいますわ」
その中の一人が背中を向けながらそう呟く。
「見えてへんやろがい」
無視した方がいいのだろうが、黒兎は思わず反応した。
「魔法を解さない方に申し上げても、無駄でしたかしら」
「そう思わはるんやったら説明が足らんのとちゃいますか」
こうなるとどうしても黒兎の中に流れている血が騒ぐ。振り向いた若い魔女は黒兎を睨み、杖を振って黒兎を大広間から追い出した。
「何すんのやーッ!」
黒兎は風のような力で飛ばされてひっくり返り、勢いよく起き上がる。大広間に突入して文句を言おうとしても、固く閉ざされた扉はびくともせず。黒兎は諦めてその場を後にした。
「なんやねんあいつら。ほんまに。なぁ」
代わりにハインツに文句を言う。ずっと黒兎の胸ポケットにいるハインツは、「あの場にいる全員が本気で呪いの魔女になろうとしているんだ。邪魔をしたら怒られるのは当然だろう」と黒兎に理解を求めた。
「クソが呪いの魔女になったらクソクソのクソになるやんけ」
カレンが呪いの魔女になるならば、まだ納得することができる。
アリアドネがベアトリクスやアルフォンシーヌのようになることは、容易に想像できる。先程の魔女もそうだ。
「何を言っているのかよくわからないな」
「わかってほしくもないわ」
黒兎とハインツの意見は一生相容れない。こうして言葉を交わしていても、生まれた世界も住んでいた世界も違うのだ。
それはつまり、黒兎とリタの世界も違うことを表している。
黒兎がリタの手を引いて月光国を目指しても、リタがその手を振り解けば意味がない。
リタがドナトリア王国やトレステイン王国にいたいと言えばそれまでなのだ。黒兎が月光国に行きたいと言えばリタは許してくれるだろう──黒兎とリタはそれが成立してしまう主従関係なのだ。
黒兎がリタの騎士でいられるのは、黒兎が月光国に帰るまで。
最初にそう言ってしまったことを悔いている訳ではないが、黒兎はもう、自分が最初に予想していた期間よりも長い期間をメルヒェン大陸で生きている。
大陸に情はなくても、この地で生きている人間には情がある。黒兎は無意識に項を掻いた。
「リタ」
「どうしたんですか? クロト様」
呼べばリタは返事をする。
「お前は呪いの魔女になったらあかんよ」
タラから魔法を教わっているリタは、ほんの少し間を置いて「はい」と答えた。
「大丈夫です。私はまだまだ未熟者ですから」
「玄人になってもなったらあかんねん」
というかリタとティベリオを会わせたくない。リタにはなるべく悪魔とは無縁の人生を歩んで欲しい。
リタに似合うのは、ドナトリア王国にいた時に散々見た──真っ白な雪。リタに相応しいのは真っ白な羽だ。
「……そういや天使はどこにおるん?」
悪魔がいれば天使もいるだろう。
「天使、ですか?」
「天使は大体天にいる」
黒兎はリタを映すハインツを見下ろした。
「なぁ。悪魔が呪いを掛けるっちゅーなら、天使なら呪いを解けるんちゃうん?」
「……確かに、そう言われたらできそうに聞こえますね」
「どうだろうな。天使は光属性のキャロル嬢の前にも現れない。悪魔と違って人間に干渉することはないんだ」
「なら引き摺り下ろしたるわ」
そう言って黒兎は日が傾いた空を見上げる。空に天井はない。どこまでも続く高い天だ。
黒兎、リタ、ハインツが揃っていれば天の魔女ヴァルトラウトを思い出す。
……今更だが、ヴァルトラウトは何故天の魔女と呼ばれていたのだろう。
天使と似ても似つかない悪の魔女は、再会したその日に殺した。
やらかしたことを考えたら、ヴァルトラウトは天国には行けない。地獄で苦しんでくれることを祈りながら──リタにもカレンにもそんな目に遭ってほしくないと本気で思った。




