第二十五話 『聖女の部屋』
「この部屋はかつて、聖女フローラが使っていた部屋だ」
「なんやねんお前、割るぞ」
フルール王国の城は今、オラティオとノッツが占領していることになっている。
グリンダは黒兎とカレンに負けたが、呪いの魔女を誕生させるという勝負には勝った。その瞬間から喋り出したハインツを黒兎は胸ポケットから勢いよく取り出す。
「それで困るのはクロト坊だろう」
オラティオにはメルヒェン大陸を熟知した人間がいない。ダーさんでさえその知識は偏っている。
「それに、この私はキャロル嬢の私物だ」
「お前それは卑怯やわぁ〜」
黒兎はカロリーナの私物を壊すことができない。形ある物はいつか必ず壊れるとしても、カロリーナが少しでも悲しそうな表情をする可能性があることは絶対にできない。
ならば黒兎は、グリンダを殺そうとするべきではなかったのだ。
頭ではその結論に至っても心ではその結論に納得していない。矛盾していると理解しながら黒兎は聖女フローラの部屋を見回す。
その部屋は、聖女フローラという立場の割りには慎まし過ぎる部屋だった。
壁の大半には本棚が置かれており、相当な読書家なのか、勉強家なのか、天井まで届いているそれらには大量の本が詰め込まれている。
さすがに花は飾られていなかったが、花が入れられていたであろう花瓶は一個ではなく。綺麗にされていないベッドの上の毛布は、昨日まで聖女フローラがこの部屋を使っていた証のように見えた。
「お前おるやん」
黒兎は部屋の隅にぽつんと置かれた全身鏡に目を留める。
聖女フローラを誰よりも近くで見てきたであろうハインツでさえ、聖女フローラの行方はわからない。その事実は静かに黒兎に恐怖を与えた。
「うわぁー! すごーい!」
呑気なのはオラティオの中で唯一聖女フローラを探しているカレンだけだ。カレンは躊躇なく聖女フローラの部屋に入り、遠慮なく近くの本棚から本を抜き取る。そしてぱらぱらと頁を捲った。
「読まれへんやろ」
「かっ、カレン! 勝手に読んだら駄目よ!」
ツッコむ黒兎も、慌てるリサも、二人の背後から中を覗き込む虎獅狼も、メルヒェン大陸の文字は読めない。そして、読めるようになったと聞かされたこともない。
「あっ! そっか!」
「いいんじゃないですか? 持ち主いないんですし」
カレンは慌てて本を本棚に戻した。だが、カレンの肩に乗るエレンには罪悪感がないらしい。
「いるから!」
「おるわい!」
そして、カレンとアブラハムに対する配慮もなかった。
「でもこの城にはいな……」
「エレン、お前こっち来ぃ!」
近くにいたラウに手で指示を出すと、ラウはエレンを回収して黒兎の下に戻ってくる。
「な、なんですか」
「一回黙っといてもろてええ?」
配慮はないが、それ以上に悪気もない。エレンは困惑して渋々黒兎に従った。
「クロト、ちょっと待つダァー。もしかしたらここに呪いを解く手掛かりがあるかもしれないダァー」
「お。ほんまやな」
「じゃあ探してみる!」
「せやから読まれへんやろ」
メルヒェン大陸の文字が読めるのは、つまらなさそうに廊下に座っているシルヴァンだけだ。
シルヴァンは聖女フローラに興味がない。フルール王国には反応し、聖女フローラにはなんの反応も示さないエレンも似たようなものだろう。エレンが興味を持っているのは窓の外の花畑のみで、ラウと共に部屋に入った黒兎が開いた本には一切興味を示さなかった。
「エレンとダーさんは文字読めるん?」
「ダーは読めないダァー」
「私も読めないです」
「シルヴァン、頼んだで」
「なんでだよ! お前らバカかよ!」
「お前はアルフォンシーヌに感謝せえ」
「はぁぁあ?! んでクソババァに感謝しなきゃなんねーんだよ!」
シルヴァンを育てたのはアルフォンシーヌだ。シルヴァンが王族であることを考えると、文字を教えたのも両親ではなくアルフォンシーヌだろう。
「シルヴァンはアルフォンシーヌに感謝した方がいいダァー」
「誰がするか! そもそも読めねぇ方がおかしいだろ!」
「読めない人間の方が多いダァー」
「なんでだよ!」
「その返しはおかしいやろ」
シルヴァンが暴れると羽が舞う。この場に羽毛アレルギーの人間がいたら一溜りもないだろう。
「貴方は王族か何かなんですか?」
ラウで慣れているとはいえ、小さいエレンにとってダチョウの羽は無害ではない。険しそうな表情をし、顔を腕で覆いながら尋ねた。
「あぁ? そうだよ」
「王族ってこんな感じなんですね」
「いやいや、こんな奴じゃない方が多いぞ」
「なんだとてめぇ!」
「もう全部お前が悪いわ」
今はアブラハムがいる。文字が読めるのはシルヴァンだけではない。
「ダーさんは? 王族なん?」
黒兎は一文字も読めない本の頁をぱらぱらと捲りながら自然と尋ねた。聞いても答えてくれないだろうとは思っていないが、あまりにも謎に包まれ過ぎていて黒兎の体に緊張が走る。
「ダーは違うダァー」
「ほんなら平民か」
「ダーはダーダァー」
「その返しはおかしいやろ」
王族か平民、そうでなければ貴族しか残されていないはずだ。
「ダーさんは貴族なんやな」
「ダーは貴族じゃないダァー」
「ほんなら平民か」
「ダーはダーダァー」
「なんやねん」
知りたくて質問をしているはずなのに、何故か謎が謎を呼んでいる。
「ダーさんは何モンなん?」
一番知りたいことは初めて会った日と同じだ。
「ダーは戦士ダァー」
そして、その答えも初めて会った時と同じだった。
「ダーはずっと閉じ込められていたダァー」
だが、その後に続いた言葉はあの時と違う。
「だからダーは傭兵として、世界中を旅しようと思ったダァー」
その目標はまだ達成されていないらしい。なのにダーさんは、道中で出逢ったオラティオと共に行くことを選んだ。
「ダーはそういう男ダァー」
それは答えになっていない。だが、黒兎はその話を聞いて一つ思うことがある。
「やっぱダーさんは犯罪者なんやな!」
「ダッ?! ち、違うダァー!」
「不法入国ッ! 不法入国しとったやろッ!」
「だからそれは違うダァー! 誤解ダァー!」
やはり否定すればする程に怪しい。ダーさんの声は聖女フローラの部屋だけではなくフルール王国の城中に響いた。
「アブラハムさん、これは?」
「花に関する本っぽいのぅ」
「じゃあこれ」
「これも花に関する本じゃのぅ」
「これは図鑑っぽいですね」
「見たことない花じゃのぅ」
ダーさんの出自に興味がない虎獅狼とアブラハムは、既に聖女フローラの本棚を漁っている。
文字は読めないが絵はわかる──虎獅狼は文字の本と絵の本を分けてアブラハムはカレンとクラウスの為に本を探した。
一方、リサはどうやってシルヴァンを宥めたのかシルヴァンに文字を読ませることに成功している。
「これは魔法書だな。これも。あとこれも」
「その辺に纏めて置いてるのかな?」
「かもな。エレン、お前アリアドネとフィジョンカ──いや、文字読める奴ら残らず連れてきぃ」
「わかりました」
ノッツにはクラウジーニョの件がある。使える人間はすべて使うべきで、彼らはきっと、協力を惜しまないだろう。
「ハインツ、字ぃ読める暇そうな奴おる?」
「まだ昼間だ。文字が読める人間は皆予定がある」
確かに、黒兎が今まで出逢った文字が読めそうな人間は、昼間から飲むことも遊ぶこともなさそうだ。
「ダァー……こうなるならティベリオを引き止めておくべきだったダァー」
「は? ティベリオ? ここに来たん?」
黒兎はスコープで城を見ていたが、ティベリオと思われる人間は見ていない。
「ティベリオは悪魔だったダァー。カレンや魔女をどうしても……」
「ティベリオは悪魔だったダァー?!」
衝撃的過ぎて思わずダーさんの言葉を反芻する。
「なんで言わへんかったんや! アホーッ!」
そして、ダーさん以上の声量で城を揺らした。




