第二十四話 『水の魔女』
楽しそうにフェアリーたちと話をしているのは、すべてが終わった数分後に目を覚ましたリサだ。カレンとシルヴァンの無事をクラーケンから聞かされたリサは杖を振り、花畑を少しずつ再生させる。
「リサはいい奴ですぅ〜」
「ずっとここにいて欲しいなぁ〜! ねぇねぇいてよぉ〜!」
「え、怖」
リサが行く先々の人間や動物から好かれるのはいつものことだ。だが、それを覚えていない虎獅狼は襲撃者であるにも関わらずフェアリーに懐かれるリサに恐怖する。
「リサはそういう女ダァー」
それを当然のように受け入れているダーさんだが、ダーさんにとってその光景は決して見慣れた光景ではない。リサの項の禍々しい花を見て、そういう呪いなのだと納得したのだ。
そして、自分よりもリサとの付き合いが長い虎獅狼がすべてを忘れるのも、そういう呪いなのだと納得している。
そうなると、呪いを解く為にここまで来た──そう言った黒兎にとって、それがどれほど切実な願いであるのかも理解できる。
ダーさんは傭兵で放浪者だが、雇われてオラティオと共にいるのではない。一人一人の心に触れ、世界を見るならば彼らと共に見たいと本気で思ってしまったからここにいるのだ。
誰からも呪われていない自分がオラティオの異端であることは自覚しているが、まだ解呪が叶わない彼らの為に奔走する黒兎の姿には見覚えがある。
そして、同時に懐かしく思った。
誰よりも解呪を望むシルヴァンの呪いが解ける日が来たら、ダーさんは間違いなく、シルヴァンや黒兎と同じくらいの熱量で喜ぶ。
虎獅狼も、カレンも、リサも、エレンも。同じくらいの熱量で喜べる。
それは、ダーさんも昔、解呪と同じくらいの喜びを味わったからだ。
暗くて狭い世界から外の世界に出ることができた喜びと、そんな時に呪われた者しかいないオラティオに出逢えた意味を。ダーさんは今日も噛み締めている。そんなダーさんの足をクラーケンが殴った。
「ダァー? どうしたんダァー? クラーケン」
見下ろすと、クラーケンは八本の足すべてを動かしてダーさんに何かを訴えている。
クラーケンの言葉がわかるリサは花畑の再生に集中しており、クラーケンの声が聞こえるカレンはまだ城の中だ。ダーさんは困ってクラーケンを観察する。
「ダァー……わかったダァー! クラーケンはカレンに会いたいダァー?」
確認するように首を傾げると、クラーケンはダーさんの足に絡み付いた。それを肯定と受け取ったダーさんは、「わかったダァー! 連れて行くダァー!」とクラーケンの頭を撫でて顔面に墨を吐かれる。
「え、怖。なんでわかるん」
腕で墨を拭っていると、黒兎の声が聞こえてきた。振り返ると真後ろに黒兎とアブラハムが立っている。
「カレーン! カレンはどこじゃー!」
「ダァー、カレンは城の中ダァー。アブラハムも一緒に行くダァー?」
「おぉ! 中か! 案内頼むぞ!」
黒兎とアブラハムはたった今到着したようだ。クラーケンはようやく自分の気持ちを代弁する者が来たとでも言うように踊り、ダーさんの体を上ってアブラハムと同じ目線の高さに辿り着く。
「クラーケン、嬉しいダァー?」
「せやから、なんでわかんねん」
「クラーケンの気持ちはわかるダァー」
黒兎は不可解そうな表情でダーさんを見上げたが、こんなことをいちいち気にしていても仕方がない。
「俺も行くわ。カレンのクソあほには言いたいことぎょーさんあるからな」
「カレンはアホじゃないわい!」
アブラハムに背中を叩かれ、クラーケンに顔面に墨を吐かれた黒兎だが、謝ることなくダーさんについて行った。
「カレンはいい子ダァー」
ダーさんは心からそう思っている。黒兎もそう思っていると思っていたのに、黒兎は機嫌が悪いのか「リーダーは俺や」と聞く耳を持たない。素早く歩いてダーさんを追い越し、城の傍で花畑を眺めるグリンダに気が付いた。
最後に見たグリンダはカレンを攫った悪女に見えたが、今は魂が抜けたような表情で地面に腰を下ろしている。
「…………」
黒兎とアブラハムはグリンダを睨んだ。グリンダは花畑以外何も見えていないのか、胸倉を掴んでもおかしくない雰囲気を纏う黒兎とアブラハムでさえ視界に入れない。
黒兎とアブラハムがグリンダを傷付けようとするなら止めなければ──ダーさんは一人で決意したが、黒兎とアブラハムもグリンダに構っている暇はない。閉ざされた扉を開けて中に入った。
「邪魔すんで〜」
その声色は想像よりも柔らかい。ダーさんはほっと胸を撫で下ろす。
「あっ! クロト〜!」
エントランスホールにいたカレンは、シルヴァンを置いて黒兎の下へと駆け寄った。
「おーまーえー」
カレンが萎らしくしていたら黒兎は何も言わなかったが、嬉しそうに笑っていたら文句の一つも言いたくなる。
「カレン! 無事か!」
そんな黒兎を突き飛ばしたアブラハムはカレンを抱き締め、長い髭で頬擦りをした。
「痛っ?! 痛い痛い!」
抱き締める力が強いのか、髭が頬に刺さるのか。ダーさんは感動のあまり泣きそうになる。
「痛いのは俺や!」
黒兎は天に向かって叫んだ。今すぐ起き上がってカレンとアブラハムを放り投げようか。
そんなことさえ止めようとするダーさんが傍にいる限り、黒兎は二人に何もできないが。
「ごっ、ごめんねクロト! 大丈夫?!」
カレンは黒兎に手を伸ばす。黒兎は遠慮なくカレンの手を掴む。カレンは一人で黒兎を引っ張り上げ、黒兎はジト目でカレンを見下ろした。
「クロト、礼は言わなきゃ駄目ダァー」
「ありがとさん。で、カレンも俺に言わなあかんことあるやろ」
「え? 私? あっ、そっか! クロト、助けてくれてありがとう!」
「ちゃうわあほ!」
再び笑うカレンの頭を鷲掴むとアブラハムとクラーケンが黒兎を絞める。
「なんでやねん!」
「今のはクロトが悪いダァー」
「悪いのはッ! カレンやッ! クソッ!」
「あー! アブラハムもクラーケンもやめてー!」
カレンが言えばアブラハムもクラーケンもやめる。だがどちらも不満そうだ。
そして、そんな顔をシルヴァンもしていた。
「ダァー? シルヴァンはどうしたんダァー?」
「んー、わかんない。なんかさっきからずっと怒ってるんだよねー」
「あいつはいつもそうやろ」
少なくともシルヴァンは黒兎に会ったあの日から毎日怒っている。ダチョウの振りをしている時でさえ肉の量の少なさに怒っていたのだから。
「わかんない訳ないだろ! バカかお前は!」
持っているのはくちばしだが、牙で噛み付いて来そうな勢いだ。黒兎もカレンに言いたいことが残っているが、シルヴァンもカレンに言いたいことがあるらしい。
「カレンはバカじゃないわい!」
アブラハムとクラーケンはダチョウを上手く絞められない。シルヴァンは一瞬だけ黒兎に勝ち誇ったような笑みを見せ、そのままくちばしを大きく開けた。
「こいつは呪いの魔女になったんだ!」
それを予想していなかった訳ではない。黒兎にとって最悪の事態となるそれは、あまりにも静かに行われていたようだ。
「かっ、カレンが……?」
「ダァー! カレン、良かったダァー!」
それはアブラハムにとっても最悪の事態で、ダーさんだけが無邪気に喜ぶ。
「私もよ」
言うか言わないか迷ったが、この場にいるのだから言わないのは不自然だ。名乗り出たアリアドネは自分を睨んだ黒兎を一瞥し、そういう目を向けられる魔女になれたのだと優越感に浸る。
「ダァー、だからティベリオが消えたんダァー」
虎獅狼はティベリオの胴体を斬った。血が溢れ出したから逃げ出したのだと思ったが、カレンとアリアドネが呪いの魔女になったならあの場にい続ける意味はない。
ヴァルトラウト、ベアトリクス、アルフォンシーヌが抜けた穴はカレンとアリアドネで埋められるものではないが、今はこれで充分だと──黒兎の胸ポケットにい続けるハインツは思った。




