17. 数十分前のこと
感動的なシーンになるはずだった場面でトイレに行くという愚行をした知樹。
しかも、左手に二人の試験用紙を握ったままだった。
その後、この広すぎる図書館でトイレを探すのに一苦労し、最初こそ歩いていたが、早歩き、小走り、最後には全力ダッシュをし、やっとの思いでトイレを発見。
幸いにもトイレの個室は全て開いており、知樹はその中で一番奥の個室へ駆け込んでいった。
便意はすでに限界だったのだろう。
「うおおぉぉおおおお」
彼は呻き声を上げながら用を足していた。
下を向きながら腹を抱え、足をガクガクと震わせながら、大小を出していた。
「ふぅ、スッキリした〜。ってかここ広い上に複雑すぎだろ。まあ、側面側を走ったから迷わなかったけど」
出すものを全て出し尽くし、気分爽快でトイレから出るために下を向きながらも、トイレットペーパーに手をかける。
しかし、紙をカラカラカラッと引きずり出そうとしたその手は空中で綺麗に空振った。
「あれ、おかしいな、もう少し奥に紙があるのかな」
先程の体制で下を向きながら右手で何度も紙をつかもうとする。
どうしても現実を見たくないのか、首を右に傾けることなく手を振るが、彼の手が掴んだのは、紙ではなくトイレットペーパーの芯だった。
そこでようやく首を、ゆっくりと右へ向けた。
「いやああぁぁあああ!」
声にならない声が個室に響き渡る。
大急ぎでトイレへと入ったため、紙があるかどうかを確認し忘れていたのだ。
しかも、運の悪いことに、辺りを見渡しても予備のトイレットペーパーが置いていない。
「まずいまずい! どうする? このままじゃ俺の尻がまずいことに……」
この緊急事態に、文字通り頭を抱え思考を巡らす。
個室を出たところにある手洗い場ならもしかしたら予備を置いてあるかも。
しかし、もし誰かと鉢合わせをすれば自分のあられも無い姿を晒す羽目になる。
え?パンツを履け?そんなことをすればパンツの後ろ側に汚物がついてしまうだろう。
「ダメだ! どうあがいても絶望だ!」
この世界に来て初めての絶望を、まさかトイレの個室で味わうことになるなんて思いもしなかった。
項垂れながら、諦めがついたかのようにため息を漏らす。
「はぁ、仕方ない。誰か来たらトイレットペーパーを投げ入れてもらうか」
どうしようもない事態で取れる行動など無く、誰かが来るまでひたすら待つことしかできなかった。
だが、自分で何もできないと諦めがつくと、次に訪れるのは静寂と暇というどうにもならない代物だった。
「この際修也の答案と俺の答案を見比べて、何がダメだったのか復習でもしておくか」
今現在、知樹が暇をつぶせるものと言ったら、預け忘れてそのまま持ってきてしまった試験用紙だけであった。
「何で俺が十点なんだ? 神にも紙にも見放された気分だぜ」
静寂の中でしょうもないことを言ったせいか、体感的に寒く感じてしまった。
だが、この寒さが先程まで思考を巡らせていた知樹の頭を冷やしたのか、ふと気になることが頭をよぎった。
「うん?ちょっと待てよ……これ紙じゃん!」
そう、今知樹が手に持っているものこそ、喉から手が出るほど欲しかった紙なのだ。
しかも修也と自分のを合わせて二枚もある。
これなら、ガッツリ拭いた後に仕上げを拭くことだって夢じゃない。
「いやいや、冷静に考えろよ俺! 一枚はいいが、もう一枚は修也のだ。これで拭いたら人間として色々ダメな気がする」
親友の試験用紙で尻を拭くなど前代未聞である。
だがしかし、もし一枚で拭き切れなかったら?
今日の知樹は快便だった。つまり、何とは言わないが確実についている。
しかも、それ相応のものがしっかりと。
「……すまん、修也」
その後トイレの流れる音がしたのちに、知樹は個室から出て手を洗い、二人の待っているとこへと向かった。
手はブルブルと震えるくらい、硬く拳を握り込んでいた。しかし、その手の中には、修也への申し訳なさ以外には何も握られていなかった。
―――
お腹はスッキリしたが心はスッキリしないまま、歩みを進める知樹。
なんとも言えない気持ちに苛まれてはいるが、憂鬱という感情だけはしっかり心の中にあると確認できる。
逃げ出そうとも思ったが、それでは実技の試験に出られなくなってしまう。
ここで自分が取る選択は、何事もなかったように二人の前に現れ、試験用紙について指摘されないように祈る以外に何もなかった。
「……なんて言い訳しようかな」
まだ誰にも指摘されていないにも関わらず、すでに言い訳を準備しようとしている。
まあ、適当に失くしたと言えばいいか。
修也の点数は口頭で言っているため、失くしたからとて、彼に不都合が生じるとは考えにくい。
「でも、あいつには点数言ってあるし、もう言い訳する必要ないんじゃないか?」
なんなら言い訳すら不要に思えてきたその時だった。
ドオオォォォオオオン!!
「うわ! な、なんなんだ?! 何が起きた!」
突然図書館が小刻みに揺れるほどの大きな爆発音が聞こえてきた。
周りにいた職員は何事かと思い、出入り口の方へ走っていく。
自分も今の状況を確認しに行こうと思ったが。
「俺もいったほ方が……いや、まずは二人と合流しないと」
現在の状況より、二人の身の安否を確認するため、二人の待っている場所へ急いだ。
トイレへと駆け込んだときよりも速く走り、二人がいるはずの場所へ辿り着きはしたが。
「はぁ、はぁ、いないな。まさかもう出入り口の方に行ったのか?」
どうやら入れ違いになってしまったらしく、そこに二人の姿はなかった。
「急いで行かないと。どこかに近道とかないのか?」
出口に向かって再び走り出す。
この図書館、円柱状に作られている。
一階の中心にはカウンターがあり、真上は吹き抜けている構造だ。
比較的迷わないように見えるが、いざ中を移動すると、カウンターの周りを囲むように設置されている本棚は、どれも横の長さが違っており、全く規則的ではない上に、それが何重にも壁のようになっている。
そのため中心に向かおうとしても、不規則な長さの壁に時間をとられてしまう。
ここに来た初日や、今日の朝はイオナがいたから迷わなかったが今回は違う。
まあ、修也であれば道順も記憶できるだろうが。
最短ルートで行きたいところだが、確実にたどり着くため、トイレの時のように壁の側面を走るようにした。
すると壁の側面に扉があることに気がつく。
「ここから外に出られるっぽいが……迷ってる場合じゃないか」
どうやら予想は的中したらしく、そこは図書館の正面から見て右側に位置していた扉だった。
出口を出てすぐに、先程の爆発音と関係のありそうな騒ぎが耳に入る。
その方向へ、ゆっくりと足を進めた。
出入り口付近にあった荷物の後ろへと身を潜め、恐る恐る騒ぎの正体を見る。
するとそこには世紀末モヒカン集団と、人質にされている少女の姿が知樹の目に映った。
そしてそれらに対峙するようにイオナと修也とナノの姿もあった。
(いや時代背景間違えすぎだろ! 何で魔法の世界に世紀末の住人がいるんだ!)
脳内で修也と同じツッコミをしてしまう知樹。
状況を理解したのはいいが、だからといって自分に出来ることは何もない。
「クソ! またトイレの時みたいに何もできないのか……」
ただ助けを待つだけの現状維持。
何もできない状況に思わず握り拳を作る。
しかし、自分の手を見ても、その手には何も握られていない。
トイレの時のような切り札は、どこを探しても見つからないのだ。
「ただ指を咥えて見てるだけなんて……ん? 指」
もう一度、自分の手を見る。
そして親指と中指を何となくだがくっ付けてみた。
その手は、イオナが修也や自分に対して使ったエクスプロージョンの構えだった。
そして、ふとこの言葉が頭を過ぎる。
《魔力の内在量がこの世界の人間に匹敵している。魔力の少ない異世界人のそれとは別物ですな》
これは、図書館に初めて来た時、受付のおじさんに言われた一言だった。
あの時は修也と比較されたことで素直に喜べなかったが、今はなぜかこの言葉に対してかなりの信頼を置ける。
「やるしかない。ほんの一瞬、注意を逸らすだけでもいい。向こうにはイオナさんもいるんだ。きっと何とかしてくれる」
後半は他力本願だが、硬直状態を動かすには突発的な何かしらの変化が必要だった。
自分がそのきっかけを作れば、状況は必ず動くはず。
そう確信し、先程作った手の形を崩すことなくモヒカン集団の方へと向ける。
「まだだ、距離を測れ。絶対に人質に当てるな」
自分に言い聞かせるように口に出す。
慎重に距離を見計らい、人質に当てないようになるべく集団から離れた場所に狙いを定める。
そして最後に、イオナが修也や自分に行なったように、その言葉を口に出す。
「『エクスプロージョン』」
ドオオォォォオオオン
詠唱と同時に指を鳴らす。
パチンとなった指先から何かが抜けていく感覚があった。
それと同時に指をむけた場所から直線上のところで巨大な爆発が起きた。
自分なりに火力を調節したつもりだったが、想像以上の火力だったため、周りにいたモヒカンを数人巻き込んでいた。
「あれを、俺が起こしたのか……」
自分の才能がとんでもないものだと実感する。
モヒカン集団は爆発に呆気に取られていたが、知樹はその爆発が自分のものだという事実に呆気に取られていた。
「そうだ! あの子は」
爆発と少女との距離は十分に離したため、おそらく怪我はないはずだ。
そう考えて、爆発の方から少女がいた方へと目線を移動させる。
しかし、そこに少女の姿はなかった。
「え、いや、まさか、だって距離ちゃんと離したし。あれで巻き込まれるわけないし。きっと驚いて逃げただけじゃ」
少女が消えたのは自分のせいではないと、自分に言い聞かせる。
すると、少女を捕らえていた下っ端モヒカンが上空を指差していた。
その方向を見てみると、なんと少女が空中を飛んでいたのだ。
「えぇ……何あのダイナミックな助け方。ってか見えそう」
修也とは違い、見るところはしっかり見ようとしていた知樹。
だが、我に帰ってふと考えてみた。
「ちょっと待てよ、人質がいなくなった今なら、俺の魔法で一網打尽にできるじゃ……いい!凄くいい!めちゃくちゃ主人公っぽいぞ!!」
明らかに目立つことだけに焦点を置いた考え方だった。
確かに、味方のピンチに颯爽と駆けつけるヒーローはどの年齢層にも、一応にカッコいいという感想を与えてくれる。
「あとは登場シーンか。魔法を打ったら、颯爽と脇から出て、『え? 俺何かしちゃいましたか』って感じで出よう! うんそうしよう!」
妄想の中で自惚れをしているのか、実行に移す前からニヤケ顔になってしまう。
頭の中でカッコいい自分を脳内再生させようとすると、イオナが大声で何か言っているのが聞こえた。
そっと物陰から見てみると、今にもエクスプロージョンを打ちそうな体制だった。
「まずい! 間に合うか」
知樹もすぐさまエクスプロージョンの体制に入る。
「『エクスプロー「『エクスプロージョン』!」
イオナが口を開け、その言葉を言い終える前に割り込み詠唱をした。
慌てて打ったからか、まだ意識できないのか、明らかに火力調節をミスったとんでもない爆発が目の前で起きた。
その規模は、先ほど注意を逸らすために打ったものとは段違いの威力。
一歩間違えたら出入り口の三人や従業員たちも巻き込んでしまう可能性もあった。
しかし、やってしまったものは仕方がない。
何とかそう自分に言い聞かせ、全員が目の前の事象に見惚れている間に、物陰から颯爽と登場し、決めポーズをとる。そして。
「おいおい、人がトイレで篭ってた時に、こりゃ一体なんの騒ぎだ?」
こうして、何とか手筈通りにカッコいい登場ができた知樹であった。




