幕間 読み上げない言葉
園芸委員の相談が終わった翌日、昼の放送から莉々香先輩の声が消えた。
担当表では、今日も先輩が読む予定だった。ところがスピーカーから流れたのは、別の二年生の声だった。
「莉々香様、休み?」
梓が弁当箱を開けたまま、不安そうに天井を見上げる。
「朝は見かけた」
「放送部で何かあったのかな」
「放送の担当が変わることくらいあるでしょ」
「水曜日は莉々香様の日なのに」
「曜日で覚えているの」
「当然」
当然ではない。
放送内容は普段と変わらなかった。学校からのお知らせ、曲紹介、図書委員会の推薦図書。教室の誰も大きく気にしていない。ただ梓だけが、箸を動かさずに聞いている。
「真白、何か言った?」
「何を」
「莉々香様に、放送やめろとか」
「言うわけないでしょ」
「好きって言うな、とは言った?」
「言ってない」
「本当に?」
「褒めるなとは言わない、って伝えた」
ただ、そのあとに「好きという言葉を投げて、相手だけに意味を考えさせるのは無責任だ」とも言った。
莉々香先輩が何も言わなくなったら、それは私の責任なのだろうか。
放課後、放送室を訪ねた。
扉の小窓から覗くと、莉々香先輩が一人で原稿へ向かっている。机の上には、消しゴムのかすと、丸めた紙がいくつもあった。
「失礼します」
「真白ちゃん」
「今日、放送を担当しなかったんですね」
「聞いてた?」
「梓が心配していました」
「真白ちゃんは?」
「担当表と違ったので、確認に来ただけです」
「そっか」
先輩は原稿へ視線を戻した。
私は机の向かいへ立つ。
「何を書いているんですか」
「明日のメッセージ紹介」
「見ても?」
許可を得て原稿を読む。
最初の相談は、一年生から。合唱の練習で自分だけ音を外してしまい、クラスに迷惑をかけている気がする、という内容だった。
回答欄には何度も書き直した跡がある。
『一生懸命歌っているところが素敵だと思います』
消されている。
『失敗しても練習を続ける人は好きです』
これも消されている。
最終的に残ったのは、『無理をせず頑張ってください』という一文だった。
「これを読むんですか」
「変?」
「変ではありませんが」
「勘違いさせないでしょう」
先輩は鉛筆を指で回した。
「かわいいも、好きも、素敵も使わないようにした。頑張って、なら誰も困らないよね」
確かに誤解は生まれにくい。
その代わり、誰が読んでも書ける言葉になっていた。
「今日、担当を代わってもらったのは、これが決まらなかったからですか」
「うん。マイクの前で考えてたら間に合わないから」
「放送をやめるつもりですか」
「そこまでは考えてない。でも、私が何か言うと困らせるなら、お知らせだけ読めばいいかなって」
梓なら、私を責めるだろう。
莉々香様の声から魅力を奪った、と。
しかし問題は梓が怒ることではない。莉々香先輩自身が、言葉を選ぶのではなく、言葉を捨てようとしていることだった。
「この相談を書いた人は、なぜ放送部へ送ったんでしょう」
「誰かに聞いてほしかったから?」
「それだけなら、担任や友人でもよいはずです」
「私に答えてほしかった?」
「おそらく」
先輩は原稿を見つめる。
「でも、何て言えばいい?」
「先輩が最初に思ったことを、少し具体的に伝えては」
「一生懸命なところが素敵?」
「それだけでは、また個人的な好意に聞こえるかもしれません。相談内容について話してください」
「相談内容」
「音を外しても練習を続けていること。本人がクラスへ迷惑をかけていると悩んでいること。その二つです」
先輩は新しい紙を取り出した。
「真白ちゃん、先生みたい」
「宮本先輩が考えるんです」
「はい」
鉛筆が動き始める。
『音を外したことに気づけるなら、周りの声をちゃんと聞いて歌っているんだと思います。迷惑をかけたくないと思えるくらい、クラスの人たちを大切にしていることも伝わりました』
そこで先輩は止まった。
「最後は?」
「先輩が伝えたいことを」
「練習してるところ、私は好き」
「それでは戻っています」
「でも、本当に思った」
「でしたら、“好き”の対象を明確にしてください」
先輩は考え、続きを書いた。
『うまくいかなくても練習を続けようとしている、その気持ちを大切にしてほしいです。私は、そういう頑張り方が好きです』
「これは?」
私は二度読んだ。
相談者本人を恋愛対象として好きなのではない。何を評価しているのか、前後で説明されている。
「よいと思います」
「好きって言ってるけど」
「使うこと自体を禁止していません」
「真白ちゃん、最初より優しくなった?」
「先輩が最初より考えるようになったんです」
莉々香先輩は新しい原稿を両手で持ち、声に出して読み始めた。
最初は少し硬い。二度目は区切りが自然になる。三度目には、普段の放送で聞く声になった。
「これなら、明日読めそう」
「梓が安心します」
「真白ちゃんは?」
「放送部員が予定どおり活動できるなら、生活指導上の問題はありません」
「それだけ?」
「それだけです」
答えると、先輩は納得していない顔をした。
翌日の昼休み。
莉々香先輩は書き直した原稿を読み上げた。
教室の中で、相談を書いた人が誰なのかは分からない。けれど、放送が終わったあと、どこかの教室で少しだけ肩の力を抜いた生徒がいるような気がした。
「莉々香様、いつもより丁寧だったね」
梓が満足そうに言う。
「そうね」
「でも、最後の“好き”はちゃんと残ってた」
「意味を誤解されないように、前後を説明してた」
「真白が直したの?」
「宮本先輩自身」
「ふうん」
梓が私を横目で見る。
「何」
「莉々香様の放送を一緒に作ったんだ」
「相談に乗っただけ」
「尊い」
「会長みたいなことを言わないで」
「文香先輩とは意見が違うから。私はまだ、莉々香様は孤高であるべきだと思ってる」
「じゃあ、なんで嬉しそうなの」
「それとこれとは別」
梓は勝手なことを言いながら、弁当へ戻った。
私も箸を持ち直す。
放送はすでに終わっている。それでも、先輩の声の余韻が、教室に少しだけ残っていた。




