第四巻 第二章 席は空けて待ちます
西村さんが欠席して五日目の放課後、私はもう一度、伯母の家を訪ねた。
今度は事前に連絡した。
『生徒会の書類を届けたい。玄関先でいい』
西村さんから返事はなかったが、伯母から了承をもらった。
鞄には配布物と、選挙期間中に南が書いた記事、部活動変更届の試案が入っている。
梓の弁当は持ってこなかった。
「本人へ直接渡したいから、今日は持っていかなくていい」
昼休みにそう言って、梓は弁当を私に預けなかった。
「分かった」
「でも、一つ味見して」
「なぜ」
「今日の唐揚げ、味が薄いかも」
「西村さん本人へ聞いて」
「食べてくれたらね」
そう言って、梓は弁当を自分の机へ置いた。
昼休みが終わる頃には、一人で全部食べていた。
呼び鈴を押すと、伯母が出迎えてくれた。
「わざわざ、ありがとう」
「いいえ。お邪魔します」
「千尋ちゃん、今日は下りてこられると思う」
「無理に呼ばなくて結構です」
「本人が、会うって」
驚いた。
客間へ通され、少し待つ。
階段から足音がした。
西村さんは制服ではなく、淡い色の部屋着を着ていた。髪は整っているが、顔色が悪い。
「こんにちは」
「こんにちは」
向かいへ座る。
伯母がお茶を置き、すぐに部屋を出た。
「書類だけではないのでしょう」
西村さんから言う。
「うん」
「学校へ来い、と?」
「それも言わない」
「では、何を」
私は鞄から封筒を出した。
「配布物。期限のあるものには、付箋を貼った。提出は郵送でも、担任の先生に取りに来てもらってもいい」
「ありがとうございます」
「新聞部の記事。読みたくなければ、捨てて」
「はい」
「部活動変更届の試案」
西村さんの手が止まる。
「私の公約」
「文香先輩が、選挙中に作ってた。現行制度の問題を整理しただけで、まだ何も決まってない」
「なぜ、私に」
「意見が欲しいから」
「学校へ行っていない私に?」
「公約を考えた人でしょ」
「落選しました」
「制度を考える資格まで失ったわけじゃない」
西村さんは試案を開かなかった。
「それから」
私は一度、息を吸った。
「西村さん。副会長になってほしい」
西村さんの目が大きくなる。
「……私に、学校へ来いと言うんですか」
「今すぐとは言わない」
「私が何をしたか、知っているでしょう」
「知ってる。それでも、西村さんにいてほしい」
「どうして」
「会長の私の隣に、西村さんがいてほしいから」
用意してきた言葉ではなかった。
でも、これ以外は違うと思った。
「能力があるから、ではないのですか」
「ある。実務経験は少ないけど、私にない視点がある」
「二百四十三票を取り込むため」
「違う」
「私の公約を使いたいから」
「それも違う」
「では、同情でしょう」
「違う」
「全部違うなら、何ですか」
「友達だから」
西村さんが顔を歪めた。
「それが、一番嫌です」
「うん」
「友人だから役職を与えるのは、公平ではありません」
「だから、今日すぐ引き受けてとは言わない」
「今、なってくださいと言いました」
「私の希望を伝えただけ。任命は、学校へ戻って話し合って、先生方とほかの役員が納得してから」
「戻ることが条件ですか」
「役員活動には登校が必要。でも、毎日すべての授業へ出られることを条件にはしない」
「特別扱いです」
「必要な配慮」
「私だけに?」
「必要な人全員に」
西村さんは黙った。
自分が傷ついていることを認めれば、配慮される側になる。
それが嫌なのだろう。
「返事は、今はいらない」
「断ります」
「それも、今の返事として受け取る」
「もう来ないでください」
「分かった」
「諦めるのですか」
「訪ねるのは、ね」
「副会長は」
「席は空けて待つ」
西村さんの目に、怒りが浮かぶ。
「勝手です」
「うん」
「十一月末までしか空けられないのでしょう」
「知ってたの」
「長谷川元会長が、規約の該当箇所だけ送ってきました」
「文香先輩が?」
「返事は不要、と」
「皆、同じことを」
「あなたが最初です」
西村さんの口元が、ほんの少し緩んだ。
「期限までに返事がなければ、別の人を選びますか」
「必要なら」
「待つと言ったのに?」
「生徒会は止めない。代行を置いて、必要な仕事は進める」
「私が戻るまで、空白にするわけではない」
「うん」
「なら、待っていないのと同じです」
「違う」
「何が」
「止まらずに待つ」
自分で言いながら、文香先輩の言葉を思い出した。
相手のために、自分まで止まりすぎない。
「生徒会は動かす。西村さんも、家で食事をしたり、眠ったりして。それを学校へ戻る準備だと思わなくていい」
「会長らしくなりましたね」
「就任して、まだ一週間ほどだよ」
「まだ、ですか」
「私には、あっという間だったから」
「それだけ、仕事をしていたのですね」
「うん」
しばらく沈黙する。
西村さんが、試案へ手を伸ばした。
「これは、置いていってください」
「うん」
「意見を書くとは言っていません」
「分かってる」
「期待しないで」
「努力する」
「約束では?」
「努力」
以前なら、ここで笑ってくれた。
今日は笑わない。
それでも、書類を受け取った。
「じゃあ、帰る」
「はい」
「次は来ない」
「学校で会うまで?」
「それを言うと、圧力になる」
「では、何も言わないでください」
「分かった」
立ち上がる。
部屋を出る直前、西村さんが呼んだ。
「佐久間さん」
「うん」
「副会長の話は、誰まで知っていますか」
「文香先輩、ひより、先生。宮本先輩と梓には、まだ」
「どうして」
「西村さんの役職を、二人の好意で決めたくなかったから」
「そうですか」
「話してもいい?」
「まだ、やめてください」
「分かった」
今度こそ部屋を出た。
駅へ向かう途中、宮本先輩から連絡が来た。
『会えた?』
私は一度、足を止める。
『会えました。それ以上は、本人の許可をもらってから話します』
すぐに返事が来る。
『分かった。真白ちゃんも、ちゃんと帰ってね』
聞き分けがよすぎて、少し寂しい。
以前なら、何を話したのか何度も聞いたかもしれない。
先輩も、止まらずに待つ方法を探している。
『帰ります。先輩も勉強してください』
『好きな人からのお願い?』
『会長からの指導です』
『残念』
画面を見て、少し笑った。
今日、西村さんは笑わなかった。
それでも、差し出した書類を、西村さんは手元に残してくれた。
客間を出る時に見た、その紙を押さえる指が目に残っていた。
学校へ戻ることだけを、前進と呼ぶつもりはない。




