第四巻 第一章 新会長の空席
生徒会長になって三日目、私は副会長の仕事まで抱えていた。
「真白ちゃん。こちら、先生からです」
ひよりが書類の束を机へ置く。
「ありがとうございます」
「文化祭実行委員会の予算案、相談箱の設置申請、部活動変更届の新様式です」
「部活動変更届?」
「西村さんの公約を受けて、前会長が試案を作っていたそうです」
文香先輩を見る。
元会長は窓際の臨時席で、受験勉強をしているはずだった。
「試案だけです」
「いつ作ったんですか」
「選挙期間中です。どちらが当選しても、検討材料になるように」
「選挙管理側が、候補者の公約を?」
「制度として必要だと思いました」
「西村さんに見てもらいましたか」
「まだです」
「では、保留にします」
文香先輩が私を見る。
「理由を伺っても?」
「西村さんの発案です。本人がいない場所で完成させたくありません」
「制度は個人の所有物ではありません」
「分かっています」
「学校へ来るまで待てば、必要な生徒が使えません」
「それも分かっています」
就任三日目から、元会長に試されている。
「では、一週間だけ保留します。その間に、既存の様式で不利益が出る生徒がいれば個別対応します」
「一週間後も西村さんが来なければ?」
「私たちで検討を進めます。完成前に、意見を送るか本人へ尋ねます」
「よいと思います」
文香先輩は頷いた。
「最初から答えが分かっていて聞きましたね」
「新会長の判断を確認しました」
「意地が悪いです」
「この学校で覚えました」
「皆、それを使いますね」
ひよりが書類を分類しながら、にこにこと笑っている。
「ひより、副会長代行の仕事、多すぎない?」
「大丈夫です」
「庶務もあるでしょう」
「お菓子を焼く時間はあります」
「そこを基準にしないでください」
「昨日は相談箱の形をしたクッキーを」
「作らなくて結構です」
「もう作りました」
机の上へ、小さな四角いクッキーが並ぶ。中央にチョコレートで投入口まで描かれていた。
「かわいいですね」
「ありがとうございます」
「真白ちゃん、そういうところ、素直になったね」
宮本先輩が扉から顔を出した。
「ノックをしてください」
「したよ」
「聞こえませんでした」
「新会長、仕事に集中してる」
「先輩は受験勉強を」
「差し入れを持ってきただけ」
紙袋を掲げる。
「何ですか」
「パン。真白ちゃん、昨日お昼を食べ忘れたって、ひよりちゃんに聞いたから」
「ひより」
「心配だったので」
「仕事を理由に食事を抜くのは、会長として不適切です」
文香先輩が真顔で言う。
「元会長は、会議前に昼食を抜いていたことが」
「過去の失敗を引き継がないでください」
「それを言われると」
「食べて」
宮本先輩が私の前へパンを置く。
「今は勤務中です」
「昼休みだよ」
「次の会議の準備が」
「五分でいいから」
「先輩」
「会長命令って、誰が会長に命令するの?」
「先生です」
「じゃあ、先輩命令」
「そんな権限はありません」
「好きな人からのお願い」
室内が止まる。
文香先輩が机へ額をつけた。
「元会長?」
「受験勉強に疲れました」
「今の一言で倒れましたね」
「違います」
ひよりは相談箱クッキーを一つ、文香先輩の前へ置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「先輩」
私は宮本先輩を見る。
「学校で、その言い方をしないでください」
「真白ちゃん、嫌だった?」
「嫌ではありません」
「じゃあ」
「私たちの関係を、周囲が勝手に決める材料になります」
先輩の表情が変わる。
西村さんの噂を思い出したのだろう。
「ごめん」
「二人の時なら」
言ってから、声が小さくなる。
「いいの?」
「……はい」
「じゃあ、食べて」
「それは別です」
「先輩からのお願い」
「言い直しても、内容は同じですね」
先輩が笑う。
仕方なくパンの袋を開けた。
文香先輩は顔を上げたが、目元を押さえたままだ。
「元会長。声に出さないでください」
文香先輩は参考書を立てて顔を隠した。ページの間から、『宮本莉々香・卒業までに確認したいこと』と書かれた細長い付箋が覗いている。
「それ、受験勉強ですか」
「記憶術の応用です」
「何を覚えるつもりですか」
「英単語です」
「付箋に宮本先輩の名前があります」
「……索引です」
「何の索引ですか」
「佐久間さん、呆れないでください」
「まだ何も言っていません」
「顔に書いてあります」
「便利ですね、その言葉。話を逸らさないでください」
昼の放送が始まる時間になり、宮本先輩は放送室へ戻った。
今日は部長と二人で担当する。
西村さんの名前は当番表から消されていない。
退部届も、まだ部長が保留している。
「今日も欠席ですね」
文香先輩が言う。
「はい」
「返事の催促は」
「していません」
「一昨日、家へ行ったのに?」
「本人が連絡不要だと思える文章だけ送りました」
「何と」
「配布物は保管する、と」
「それだけ?」
「それだけです」
文香先輩は、少し安心したように見えた。
「正解ですか」
「正解は分かりません」
「元会長でも?」
「特に、このようなことは」
「先輩なら、どうしますか」
「自分の部屋に閉じこもった経験はありません。だから、自分の実感だけで西村さんを理解したつもりにはなれません」
「では」
「学校へ来ることを、唯一の回復にしないよう気をつけます」
「唯一の回復」
「家で食事ができた。返信を一通送れた。制服へ触れた。本人にしか見えない前進があります」
私は机の上の空白の役員名簿を見る。
「副会長になってほしいと思っています」
「はい」
「でも、それも学校へ戻すための餌にしてはいけない」
「はい」
「難しいですね」
「人の選択を待つのは、いつでも難しいです」
「先輩は、ずっと待てるんですか」
「卒業までなら」
「短いですね」
「期限があるから、私も自分の進路を選べます」
文香先輩は参考書を閉じた。
「佐久間さんも、宮本さんを待っているのでしょう」
「今は西村さんの話です」
「似たところがあります」
「私たちは学校へ来ています」
「待つ側が、相手のために自分を止めすぎないことです」
胸に残る言葉だった。
「西村さんが戻るまで、生徒会を始めないつもりですか」
「いいえ」
「副会長席を見て、仕事を抱え込み続ける?」
「それも、しません」
「なら、よいです」
元会長は、役職を降りても容赦がない。
それでも、私が一人で間違えないよう、少し離れた席から目を配ってくれている。
副会長席だけが、静かに空いている。
空席を抱えたまま、それでも生徒会の時計は止まらない。




