第三巻 第十六章 選挙の後に残る声
翌朝、私は校門で何度も祝福された。
「佐久間会長、おめでとうございます」
「まだ会長ではありません。任期は来月からです」
「新会長」
「次期会長です」
「どれでも同じでは?」
「違います」
一年生は笑いながら去っていく。
呼ばれるたびに訂正していたら、宮本先輩が止めた。
「もう会長でいいんじゃない?」
「現会長がいます」
「文香も、怒らないよ」
「私が怒ります」
「真白会長」
「先輩」
「真白ちゃん会長」
「余計に変です」
「会長ちゃん」
「原型がありません」
先輩は楽しそうだ。
「真白ちゃんが会長になったら、私は監視対象じゃなくなる?」
「卒業まで特別監視は継続です」
「会長自ら?」
「引き継げる人がいません」
「嬉しい」
「喜ぶところではありません」
「会長になっても、私を見てくれる」
「そう言いました」
「うん」
先輩の笑顔に、胸が温かくなる。
西村さんは、いつもどおり登校した。
隣の教室へ顔を出すと、何人かが西村さんへ声をかけていた。
「選挙、お疲れさま」
「演説よかったよ」
「次、出るなら応援する」
「ありがとうございます」
穏やかに答える。
梓が隣の席を勝手に確保し、弁当の約束をしている。
「今日は唐揚げある?」
「ありません」
「落選したから?」
「関係ありません。朝、時間がなかったので」
「じゃあ購買」
「自分で買ってください」
「千尋が選んで」
「なぜ」
「候補者を半年応援した報酬」
「二週間もありません」
「体感半年」
「卵サンドでよいですか」
「甘いパンも」
「一つだけです」
「二つ」
「一つ」
いつもの二人だ。
張っていた肩が、ようやく少し下がった。
しかし、噂は私たちの見えないところで広がっていた。
『編入生なのに会長へ立候補した目立ちたがり』
『宮本先輩に近づくため、生徒会まで使おうとした』
『負けるつもりだったと演説で認めた』
全部、事実の一部を使っていた。
だから否定しにくい。
悪意のない会話もあった。
「西村さん、あれだけ目立ったから、しばらく気まずいよね」
「でも二百票以上取ったんだから、すごくない?」
「転校するって本当?」
「会長になれなかったから、行くんじゃない?」
廊下ですれ違った生徒が話している。
私に気づくと、慌てて黙る。
「今の話は、誰から聞きましたか」
「匿名掲示板で」
「西村さんは転校しません」
「そうなんですか」
「はい」
「なら、よかった」
本当に悪意がない。
それでも、同じ言葉が何度も繰り返されれば、人を傷つける。
生徒会室で対策を話し合った。
「全校へ注意を出します」
私が言うと、会長はすぐに頷かなかった。
「内容は?」
「候補者に関する根拠のない噂を広めないよう」
「根拠のある事実と、何が違いますか」
「恋愛のために生徒会を使おうとした、は根拠がありません」
「立候補当初、勝つための準備をしていなかったことは、本人が演説で話しています。そこへ恋愛の憶測を足された時、事実と憶測をどう分けるかが問題です」
「だからといって」
「注意文を出せば、知らなかった生徒へ噂の内容を教えることになります」
南と同じ懸念だった。
「では、何もしないんですか」
「本人へ確認しましょう」
「また本人に選ばせるのですか」
強い言い方になった。
「何度も傷ついているのに、どうしてほしいかまで本人に考えさせるんですか」
「佐久間さん」
「すみません」
「謝る必要はありません」
会長は静かに私を見る。
「あなたが次期会長だから、あえて厳しく言います。守りたいという感情と、守るための判断は分けてください」
「はい」
「私たちができる対策を用意した上で、本人の希望を聞きます。何もしないか、全校へ注意を出すかだけではありません」
「ほかに」
「教職員へ共有し、個別の場で噂を止めてもらう。匿名掲示板には、具体的な内容へ触れず、個人への憶測を書き込まないよう学校から通知する。新聞部には、選挙結果と両候補の活動を正確にまとめてもらう」
南が手を挙げる。
「もう記事を作っています。『二十六票差が残したもの』」
「見出しが少し煽っています」
「変える。内容は、二人の公約と、佐久間さんが西村さんの案を検討すると話したこと」
「恋愛には触れないでください」
「一文字も」
「お願いします」
会長が続ける。
「ファンクラブ内の発言は、高橋さんと江口さんから注意してもらいます」
「分かりました」
梓は顔を曇らせた。
「私が最初に敵って言ったから」
「全部を背負わないでください」
「でも」
「それも、守りたいという感情です」
会長が言う。
「責任を感じるなら、今できることをしてください。自分を罰することは、対策ではありません」
「はい」
梓は頷いた。
「佐久間さん。西村さんへ話せますか」
「私が?」
「次期会長として」
「友人としては」
「両方です。分けられないなら、両方であることを伝えてください」
「分かりました」
昼休み、西村さんを屋上前へ呼んだ。
「また、ここですね」
「人が少ないから」
「新聞部に知られています」
「今日は南を生徒会室へ置いてきた」
「監禁ですか」
「記事の校正を頼んでる」
「仕事を与えたのですね」
「言い方を選んで」
少し笑う。
以前と同じに見える。
「噂のことですか」
西村さんから切り出した。
「知ってたんだね」
「はい」
「つらくない?」
「平気です」
「西村さん」
「慣れています」
「その言い方、前にも聞いた」
父親の転勤に慣れていると言った時。
「慣れてる人は、そんなふうに言わないよ」
西村さんの表情が固まる。
「会長と対策を考えた。先生方への共有、匿名掲示板への一般的な注意、新聞部の記事、ファンクラブ内での注意。この四つ」
「大げさにしないでください」
「何もしないほうがいい?」
「はい」
「本当に?」
「放っておけば、別の話題へ移ります」
「それまで耐える?」
「耐えられます」
「西村さん」
「次期会長として、私を特別扱いしないでください」
拒絶する声だった。
「友達として心配してる」
「それが、特別扱いです」
「友達は特別だよ」
言うと、西村さんが目を伏せた。
「だから、嫌なんです」
「何が」
「皆さんが優しいほど、私は苦しくなります」
「なぜ」
「二百四十三人が選んでくれた。江口さんが泣いた。佐久間さんは公約を検討すると言った。宮本先輩も、残ってくれてありがとうと言った」
声が少しずつ硬くなる。
「それなのに私は、負けたことが恥ずかしい。噂を聞くたび、立候補しなければよかったと思う。皆さんの優しさへ、きちんと応えられません」
「応える必要は」
「そう言われるのも苦しいんです!」
階段へ声が響いた。
西村さんが息を整える。
「すみません」
「謝らないで」
「今は、一人にしてください」
「でも」
「それが、私の希望です」
私は何も言えなかった。
本人が選べるようにする。
何度も大切にしてきたことが、今は西村さんを一人にする理由になる。
「分かった」
それでも、答えるしかなかった。
「ただ、対策は噂の内容を広げない形で進める。西村さんだけのためじゃなくて、今後、同じことを起こさないために」
「次期会長として?」
「うん」
「分かりました」
「友達としては、待ってる」
「どこで」
「いつもの教室で。生徒会室でも。放送室でも」
「待たないでください」
「それは、私の選択だから」
西村さんが私を見る。
泣きそうな目だった。
「ずるい」
「四人目だよ」
「数えないでください」
「西村さんが笑うかと思って」
「笑えません」
「そっか」
「……少しだけ」
口元がわずかに緩んだ。
それでも、階段を下りていく背中は重かった。




