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第三巻 第九章 候補者討論会

 選挙一週間前、候補者討論会が開かれた。

 場所は視聴覚室。

 参加者は候補者二名、司会を務める選挙管理委員、各候補の応援演説者。そして取材許可を得た新聞部の南。

「三角形の次は、四角形ですね」

 開始前、南が座席を見回して言った。

「何がですか」

「佐久間候補、宮本先輩、西村候補、江口さん」

「図形にしないでください」

「長谷川会長を入れると五角形」

「会長は選挙管理です」

「感情的には?」

「南」

「記事には書かない」

「考えないでください」

「思想の自由」

「口に出さない自由も覚えてください」

 司会のひよりがマイクを確認する。

「それでは、始めます。候補者同士を尊重し、質問には時間内でお答えください」

「ひよりちゃん、立派」

 宮本先輩が小声で言う。

「宮本さん、私語は」

 会長が注意する。

「文香、厳しい」

「管理側ですから」

「そういうところ、好き」

 会長の手からペンが落ちた。

「会長?」

「大丈夫です」

「開始前から大丈夫ではありません」

「今のは友人としてです」

「説明しなくていいです」

 会長が机の下で深呼吸する。

 選挙管理側に最も不安な人がいる。


 最初の質問は、相談窓口の違いだった。

「両候補とも相談制度を公約に掲げています。佐久間候補から、西村候補へ質問をお願いします」

「西村候補は匿名相談を提案しています。悪意ある投稿や、事実確認ができない相談へ、どう対応しますか」

 西村さんは少し考えた。

「匿名で受け付けますが、対応を希望する場合は、後から本人確認のできる番号を発行します。誹謗中傷は公開せず、具体的な被害が書かれている場合は、先生方と連携します」

「誰が内容を確認しますか」

「生徒会役員二名以上です。一人の判断へ委ねません」

「回答期限は」

「三日以内に、受付状況だけでも返します」

「分かりました」

 準備している。

 梓が質問した結果だろう。

「次に、西村候補から佐久間候補へ」

「申請手続きの簡素化によって、無許可に近い企画が増える危険はありませんか」

 千夏先輩が後方で聞いている。

「申請項目を減らすのではなく、必要な項目を分かりやすくします。相談段階の簡易申請を設け、実施可能かを早めに判断します」

「却下する基準は」

「安全、個人情報、授業への影響、費用負担です。人気があるか、私が好むかは基準にしません」

「宮本先輩に関する企画も?」

「同じです」

 客席から小さな笑いが起きる。

「無許可の誕生祭は?」

「申請されれば、規模と内容を確認します。体育館を使用するなら、本人の同意と参加者の安全管理が必要です」

「本人が参加しない場合は」

「写真や音源の使用許可が必要です」

「なるほど」

 西村さんの質問というより、千夏先輩のための確認になっている。

 後方で千夏先輩が真剣にメモしていた。

 次回を計画しないでほしい。


 討論が進むにつれ、違いが見えてきた。

 私は、問題が起きた後に誰も取り残さない仕組みを重視する。

 西村さんは、問題になる前に声を拾う仕組みを作ろうとしている。

「似ていますね」

 司会のひよりが素直な感想を漏らした。

「小田さん」

 会長が注意する。

「すみません。でも、どちらも誰かのお話を聞く生徒会です」

「違いがなくて、選べませんか」

 西村さんが尋ねる。

「いいえ」

 ひよりは首を振った。

「真白ちゃんは、困っている人のところへ自分から行く人です。西村さんは、困っている人が自分から来なくても声を出せる方法を作る人です」

 的確だった。

「ひよりが会長になれば?」

 私が言う。

「私には、まだ難しいです」

「次の次は?」

「考えてみます」

 会長が満足そうに頷く。

「次期候補がもう一人育っていますね」

「私たちの選挙中です」

「長期的な視点です」


 最後の質問は、南が事前に集めた生徒からのものだった。

「『会長になって、一番失うかもしれないものは何ですか』」

 選挙管理委員が読み上げる。

 政策ではなく、個人への質問だ。

「私から答えます」

 私はマイクへ向かった。

「時間です。会長職には、多くの放課後と休日が必要です。友人と過ごす時間や、自分だけで休む時間は減ると思います」

「それでも、なぜ立候補を?」

「失うものより、引き受けたい責任があるからです」

 答えながら、宮本先輩を見る。

 卒業までの時間も、減るかもしれない。

 会長になれば、今以上に忙しくなる。

 それでも、先輩が安心して卒業できる学校を引き受けたい。

「西村候補は」

 西村さんは、すぐに答えなかった。

「父と過ごす時間です」

 室内が静まる。

 転勤のことを、ここで話すつもりなのだ。

「父の転勤が決まりました。当選した場合、私はこの学校へ残り、父とは離れて暮らします」

 梓が西村さんを見る。

 初めて聞いたのだろう。

「落選した場合は?」

 質問者が尋ねる。

「まだ、決めていません」

「任期を務めるために残るのですか」

「はい」

「会長にならなければ、残る理由はない?」

 鋭い問いだった。

 西村さんは目を伏せた。

「そうかもしれません」

「違うでしょう」

 梓が立ち上がった。

「江口さん。応援演説者は発言を」

 会長が止める。

「でも」

「候補者の回答です」

「千尋は」

「梓さん」

 西村さんが呼ぶ。

「座ってください」

 梓は唇を噛み、座った。

「私は、会長になれば残ると決めました。会長にならなければ、父と行くかもしれません。それが今の答えです」

 自分の人生を、選挙結果へ預けようとしている。

 私は腹が立った。

 候補者としてではない。

 友人として。

「質問してもよろしいですか」

 私は手を挙げた。

「候補者同士の追加質問を認めます」

「西村候補。あなたは、選挙に負けたら、ここにいる価値がないと思っていますか」

 西村さんの表情が変わる。

「価値の話ではありません」

「では、理由ですか。会長になることだけが、この学校へ残る理由ですか」

「今は、そう決めています」

「梓は?」

「佐久間候補」

 会長が止める。

 それでも、言わずにいられなかった。

「放送部は。ひよりのお菓子は。高橋先輩の企画は。会長が感情を漏らすところは。私たちは、理由になりませんか」

「真白」

 梓の声がする。

「候補者としての質問を超えています」

 西村さんの声は静かだった。

「友人として聞いています」

「今は選挙です」

「選挙が終わるまで、友人をやめた覚えはありません」

「やめてください」

 初めて、西村さんが強い声を出した。

「私の選択を、皆さんの好意で囲まないでください」

 胸を打たれた。

 善意なら残るべきだと言ってよいわけではない。

 私たちが寂しいから、父と離れろとは言えない。

「……すみません」

 私は頭を下げた。

「質問を取り消します」

 会長が討論終了を告げた。

 拍手はまばらだった。

 視聴覚室には、言えなかった言葉が重く残った。


 終了後、西村さんは一人で帰った。

 梓は追わなかった。

 私は候補者控室で、机を見つめていた。

「真白ちゃん」

 宮本先輩が隣へ座る。

「私、間違えました」

「うん」

「否定しないんですね」

「真白ちゃんが一番分かってるから」

「残ってほしいんです」

「私も」

「それを言うことも、駄目なんでしょうか」

「駄目じゃないと思う」

「でも、囲むなと言われました」

「残ってほしいって言うことと、残れって言うことは違うでしょう」

「違いを、私は守れたでしょうか」

「今日は、ちょっと守れなかったかも」

 先輩は優しいだけの答えをくれなかった。

「千尋ちゃん、みんなのために残ったら、苦しくなった時に誰も責められない。だから、自分で理由を決めたいんだと思う」

「分かっています」

「うん」

「分かっていて、怖くて」

「いなくなるのが?」

「はい」

「真白ちゃん、私の卒業も怖い?」

 不意に聞かれる。

「今、その話を」

「同じ顔してるから」

「怖いです」

 もう隠さなかった。

「先輩が卒業するのも、西村さんが転校するかもしれないのも。今まで一緒にいた人がいなくなることが」

「私も怖い」

「先輩も?」

「卒業したら、真白ちゃんが会ってくれなくなるかもって」

「会うと約束しました」

「うん。でも、学校みたいに毎日は会えない」

「そうですね」

「だから、寂しい」

 先輩が私の手の近くへ、自分の手を置く。

 触れない。選ばせる距離だった。

 私は小指だけを重ねた。

「怖いから、今のうちに離れるのは違います」

「うん」

「西村さんにも、いつかそう思ってほしい」

「今は待とう」

「選挙は待てません」

「選挙は、本気でやる」

「はい」

「千尋ちゃんが、負けたことを逃げる理由にできないくらい」

「勝つ、ということですか」

「違うよ」

 先輩は首を振った。

「どっちが勝っても、本気で選ばれたって思える選挙にする」

「先輩は、時々よいことを言いますね」

「時々?」

「普段は軽口が多いので」

「真白ちゃん、そういう素直じゃないところも好き」

「今のどこに好きな要素が」

「安心したから」

「何に」

「いつもの真白ちゃんに戻った」

 小指が絡む。

 私はその手を離さなかった。


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