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第三巻 第八章 ひとりで勝たない

 選挙運動四日目、西村陣営の掲示物が一枚破られた。

 校舎裏の掲示板に貼った公約説明で、上半分が裂けて地面へ落ちていた。

「故意かは分かりません」

 私は現場を確認しながら言った。

「昨日、風が強かったから」

「画鋲は四つとも残っています」

 梓は低い声で答える。

 紙だけが中央から破れている。

「誰かがやったってことでしょう」

「断定はできない」

「真白は、自分の掲示だったら同じこと言う?」

「言う」

「本当に?」

「梓」

 私たちの間に、少しだけ険しい空気が生まれる。

「候補者同士で話していると誤解を招きます」

 西村さんが止めた。

「江口さん。新しい掲示を作りましょう」

「でも」

「破った方を探すより、早いです」

「それでいいの?」

「よくはありません。ただ、今は選挙運動の時間を使いたい」

 梓は納得していない顔だった。

「分かった。でも、次はラミネートする」

「選挙掲示物への加工は、申請が必要です」

「高橋先輩に頼む」

「申請をしてください」

「分かってる」

 以前なら、梓は私へ言われる前に反発しただろう。

 今は西村さんを見る。

 候補者の時間を守ろうとしている。

「佐久間さん」

 西村さんが私を呼ぶ。

「あなたの陣営に、疑いを向けるつもりはありません」

「分かっています」

「でも、江口さんが怒ることも、止めないでください」

「止めていません」

「今、止めようとしました」

「犯人を決めつけないように」

「それは必要です。ただ、掲示を破られて傷ついた人へ、最初に正しさを教えなくてもよいと思います」

 胸に刺さる。

「……すみません」

「私ではなく、江口さんへ」

 梓は新しい紙を取りに行こうとしていた。

「梓」

「何」

「疑ってると思われたくなくて、先に止めた。掲示を大切に作った梓の気持ち、考えてなかった」

「選挙中に、対立陣営へ謝るの?」

「友達に謝ってる」

 梓は私を見た。

「真白のそういうところ、ずるい」

「ごめん」

「もういい。謝りすぎ」

「新しい掲示の申請は、すぐ確認する」

「ひいき?」

「迅速な事務」

「便利だね」

「仕事だから」

 二人で少し笑った。

 西村さんも笑う。

「やはり、佐久間さんは会長に向いています」

「対立候補が言わないでください」

「私も向いています」

「それなら、よいです」


 破れた掲示を見つけたのは、一年生のファンクラブ会員だった。

 その子は昼休み、生徒会室へ来た。

「私が破りました」

 震える声で言い、頭を下げる。

「わざとではありません。画鋲が浮いていたから直そうとして、引っ張ったら」

「なぜ、その場で届けなかったんですか」

「西村先輩の応援をしていると思われるのが嫌で」

 梓の顔が険しくなる。

「どういう意味」

「私は宮本先輩のファンだから」

「ファンだったら、千尋を嫌わないといけないの?」

「江口先輩も、最初は」

 梓が言葉を失う。

 そうだ。

 梓は西村さんを、宮本先輩へ近づく人として敵視した。

 本人を見る前から。

「私が悪かった」

 梓は言った。

「え?」

「あなたに直接何か言ったわけじゃない。でも、私が『恋敵』とか『敵』とか言ってたのを聞いて、千尋を応援するのはファンじゃないって思ったなら、私にも責任がある」

「江口先輩」

「掲示を破ったことは、千尋に謝って。わざとじゃなくても」

「はい」

「でも、誰を応援するかは自分で決めて。莉々香様のファンだからって、真白へ入れなくてもいいし、千尋へ入れてもいい」

「江口さん」

 会長が穏やかに呼ぶ。

「はい」

「今の言葉を、ファンクラブの皆さんへ伝えていただけますか」

「私が?」

「影響力があります」

「高橋先輩のほうが」

「実務上は。しかし、あなたは公然と宮本さんを敬愛し、同時に西村候補の応援演説者です」

「敬愛というか、信仰」

「余計に説得力があります」

 会長の真顔に、私は吹き出しそうになった。

「真白、今笑った?」

「笑ってない」

「口元」

「会長の言い方が」

「私は真面目です」

 会長は本当に真面目だった。

 その日の放課後、梓はファンクラブの連絡網へ文章を送った。

『宮本莉々香様は、私たちの投票先を決めるために存在しているのではありません。誰を応援しても、ファンであることとは別です。私は西村千尋候補を、本気で会長にするため応援します』

 最後に、

『なお、選挙を理由に宮本先輩へ候補者の推薦を求める行為は禁止です』

 と付け加えた。

 十分後、宮本先輩から梓へ直接返信が来た。

『梓ちゃん、ありがとう。そういうところ、好きだよ』

 梓はその画面を見て、五分間動かなくなった。

「梓」

「今、話しかけないで」

「でも」

「一生分の報酬を受け取った」

「選挙運動へ戻ってください」

「今日、もう無理」

 西村さんが梓のスマートフォンを取り上げた。

「返して」

「選挙が終わるまで、私が預かります」

「横暴!」

「候補者として、応援演説者の体調を管理します」

「莉々香様の文章、もう一回だけ」

「暗記したでしょう」

「したけど、原文には原文の力が」

「帰宅時に返します」

「千尋!」

 二人が廊下で追いかけ合う。

 私はその様子を見ながら、宮本先輩へ言った。

「先輩。梓を機能停止させないでください」

「褒めただけだよ」

「効果を理解してください」

「真白ちゃんも、褒めたら止まる?」

「止まりません」

「かわいいね」

「止まりません」

「頑張ってるところ、好き」

「……選挙運動中です」

「ちょっと止まった」

「止まっていません」

 会長が背後で、また目元を押さえている。

「会長も止まっています」

「私は何も聞いていません」

「聞いていました」

「職務へ戻ります」

 早足で去っていく会長の耳は赤かった。


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