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第三巻 第七章 会長候補の口説き方

 翌日の昼休みは、私の番だった。

 演台へ立つ直前まで、宮本先輩は私の襟元を直していた。

「曲がっていますか」

「ちょっとだけ」

「自分でできます」

「動かないで」

「先輩。近いです」

「真白ちゃん、緊張してる?」

「少し」

「手、冷たい?」

「普通です」

 先輩が私の手を取った。

「冷たいよ」

「確認しなくていいです」

「温める?」

「選挙運動中です」

「候補者の体調管理」

「応援演説者の範囲を超えています」

 離そうとした時、客席側から大きな咳払いが聞こえた。

 会長が選挙管理席で、口元を押さえている。

「会長、具合が?」

 ひよりが心配する。

「大丈夫です。少し、喉に」

「笑いをこらえていますね」

 私が言うと、会長は首を振った。

「違います」

「目元を押さえています」

「眩しいだけです」

「今日は曇りです」

 梓は西村さん側の席から、こちらを冷たい目で見ていた。

「真白、選挙運動で莉々香様と手を繋ぐのは反則じゃない?」

「繋いでない」

「今まで握ってた」

「体温の確認」

「候補者の体調管理だよ」

 宮本先輩が援護する。

「二人で同じ言い訳しないで」

「西村さんの体調は、梓が確認すれば?」

「え」

 梓が固まる。

 西村さんは平然と手を差し出した。

「お願いします」

「なんで本当に出すの」

「公平に」

「そういう問題?」

 梓は迷った末、指先で西村さんの手へ触れた。

「普通」

「ありがとうございます」

「お礼を言わないで」

 何をしているのだろう、私たちは。

 会長選挙の緊張感が、開始前から消えている。


 演台へ立つと、景色が変わった。

 昨日は聴衆の側にいた。今日は五十人以上の視線が、すべて自分へ向いている。

 喉が乾く。

 用意した原稿の一行目が、急に他人の言葉に見えた。

 舞台袖を見る。

 宮本先輩がいた。

 声を出さず、口だけ動かす。

『大丈夫』

 隣の管理席では、会長が静かに頷いた。

 反対側には梓がいる。対立候補の腕章をつけたまま、私を見ていた。

 西村さんも。

 私は息を吸った。

「私は、生活指導担当として、たくさんの問題に関わってきました」

 声は震えなかった。

「チョコレートを渡す順番を巡る喧嘩、無許可のイベント、廊下を塞ぐ見学者、個人の気持ちを勝手に記事へする行為。こうして並べると、一部の方に偏っていますが」

 笑いが起きる。

 宮本先輩が、自分のことだと気づいていない顔で拍手している。

「問題が起きた時、私たちは早く原因を決めたくなります。あの人が悪い。あの団体が迷惑だ。規則を守れないなら、やめさせればいい」

 千夏先輩が、客席の後方でこちらを見る。

「しかし、禁止するだけでは、別の場所で同じことが起きます。なぜそうしたのか。誰が困ったのか。どうすれば、したいことと守るべきことを両立できるのか。私は、最後まで話せる生徒会を作ります」

 自分で書いた原稿なのに、話しながら意味を知る。

「相談窓口を分かりやすくし、申請の手続きを簡単にします。何かをしたい人が、規則を破る前に相談できるようにするためです。議事録を公開し、生徒会が何を決めたのか、なぜ決めたのかを伝えます」

 紙から顔を上げる。

「私は、話すことが得意ではありません。人前に立つことも、今でも怖いです」

 ざわめきが小さくなる。

「それでも、困っている人がいる時は、前へ出ます。間違えた時は、隠さずに訂正します。皆さんの学校を、誰か一人を置き去りにして決めません」

 一礼する。

 拍手が聞こえた。

 顔を上げると、一番大きく拍手しているのは宮本先輩だった。

 その横で、会長が目元を押さえている。

 また感情が漏れているのかと思ったが、今度は違った。

 本当に、少し泣いていた。


 演説後、会長はすぐに平静を取り戻した。

「よい演説でした」

「ありがとうございます」

「一年前、生徒会へ入った時とは別人ですね」

「一年前も、同じ私です」

「失礼。そうですね」

 会長は微笑んだ。

「元から持っていたものを、言葉にできるようになりました」

「会長のおかげです」

「宮本さんではなく?」

「先輩にも、です」

「両方」

 宮本先輩が私たちの間へ入る。

「私も入れて」

「何の話か分かっていますか」

「真白ちゃんが会長に向いてる理由」

「まだ選挙中です」

「向いてることは、結果と関係ないよ」

「先輩は」

「何?」

「私が負けても、同じことを言えますか」

「言うよ」

 迷わなかった。

「会長じゃなくても、真白ちゃんは真白ちゃんでしょう」

「そうですね」

「でも、勝ってほしい」

「はい」

「応援演説、もっとちゃんと書くね」

「まだ完成していないんですか」

「書いてあるけど、今日の真白ちゃん見たら、増やしたくなった」

「時間内に収めてください」

「五分でしょう?」

「一分超過で警告です」

「六分にできない?」

「できません」

「会長権限で」

「現会長に選挙時間を変更する権限はありません」

 会長が答える。

「文香、融通が利かない」

「公平な選挙のためです」

「真白ちゃんを応援したいのに?」

「したいからこそです」

 会長の言葉は強かった。

「私の感情で規則を変えれば、佐久間さんの勝利に傷がつきます」

「そっか」

「宮本さんも、時間内に伝えてください」

「分かった」

「原稿は、明日の放課後までに選挙管理委員会へ」

「はい」

 先輩が素直に頷く。

 会長は少し目を細めた。

「よい演説を期待しています」

「文香が悔しくなるくらいの?」

「はい」

「会長」

 思わず呼ぶ。

「何でしょう」

「張り合っています」

「応援演説者としての競争心です」

「もう応援演説者ではありません」

「心は」

「会長」

「失礼しました」

 会長は口元だけで笑った。


 放課後、生徒会室へ戻ると、机の上に花束が置かれていた。

「何ですか、これは」

 ひよりがカードを読む。

「『初演説成功記念 ファンクラブ有志一同』です」

「選挙期間中の贈答は禁止です」

「お花なので、金銭的な」

「禁止です」

 千夏先輩へ連絡すると、五分で現れた。

「知らないわ」

「有志一同と」

「私は承認していない」

「では誰が」

「一年生の新規会員かもしれない」

「回収してください」

「花に罪はない」

「そういう問題ではありません」

「返却先が分からない。生徒会室へ飾って、選挙後に宮本さんへ」

「なぜ先輩へ」

「ファンクラブの財産だから」

「その理屈なら、先輩も受け取れません」

「では、職員室へ」

「先生方へ押しつけないでください」

 結局、花束は学校の玄関へ『文化部週間の装花』として飾られ、カードだけを回収した。

 先輩は花の前で一年生に話しかけられ、

「綺麗だね。みんなが毎日水を替えてくれるところ、好きだよ」

 と言った。

 翌日、水替えの希望者が十二人集まり、当番表を作ることになった。

「先輩は、選挙期間中だけ発言を控えてください」

「花を褒めただけなのに」

「人も褒めました」

「水を替えるところ」

「同じです」

「真白ちゃん、会長になったらもっと厳しくなる?」

「先輩に対しては」

「それもいいかも」

「何がですか」

「会長になっても、私を見てくれるってことでしょう」

「監視です」

「卒業したら?」

「……見ます」

「監視じゃなくても?」

「質問が多いです」

 先輩は満足そうに笑った。

 その顔を見ていると、選挙の緊張が少しだけ薄れた。


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