幕間 ふたつのチョコレート
幕間 ふたつのチョコレート
バレンタイン当日の放課後、前日に喧嘩をした二人は、約束どおり生徒会室へ来た。
今日は髪も制服も整っている。赤い箱と紙袋も無事だったらしく、それぞれ膝の上へ大切そうに置いていた。
「反省文、確認したよ」
私は二枚の用紙を机へ並べる。
「二人とも、先に手を出したのは自分だって書いてる」
「私が腕をつかんだから」
「でも、その前に私が道を塞いだので」
昨日は相手が悪いと言い合っていたのに、一晩でずいぶん態度が変わった。
「じゃあ、喧嘩については二人に同じ注意をする。次に同じことがあったら、担任と生活指導の先生へ報告するからね」
「はい」
「それから、宮本先輩に直接会いたいって話だったけど、今日は私が同席する」
二人の背筋が同時に伸びた。
「来るんですか」
「放送部の活動後に」
「どうしよう」
「謝るんでしょ」
「分かってるけど」
さきほどまで落ち着いていた二人が、急に鏡を探し始める。窓ガラスへ顔を映し、前髪を直し、リボンの角度を確かめる。
「身だしなみは十分。二人とも、座って」
「佐久間さんは緊張しないんですか」
「昨日、話したから」
「二人きりで?」
「放送室にほかの部員もいた」
「下の名前で呼ばれたって本当ですか」
どうしてもう広まっているのだろう。
「いまは関係ない」
「ファンクラブで話題になってます」
「話題にしないで」
「佐久間さんも会員になるんですか」
「ならない」
即答すると、二人はなぜか顔を見合わせた。
「それなら、安心かな」
「何が?」
「何でもありません」
昨日の反省が本当に生きているのか不安になった。
扉が二度叩かれた。
「宮本です」
「どうぞ」
莉々香先輩は、紙袋を両腕で抱えて入ってきた。
大きさも包装もばらばらな包みが、袋の口から覗いている。箱、透明な袋、小さな封筒。片方の持ち手は重さで伸びかけていた。
「遅くなってごめん。放送室の前で、何人かに呼び止められて」
「それは全部、チョコレートですか」
「たぶん。数えてないけど」
二人の表情が、目に見えて緊張する。
莉々香先輩は二人の正面へ座り、紙袋を足元へ置いた。
「昨日、私のことで喧嘩したって聞きました」
「すみませんでした」
二人が揃って頭を下げた。
「私に謝らなくていいよ。怪我はなかった?」
「はい」
「チョコも無事?」
「はい」
「よかった」
先輩は二人の箱を見て、素直に笑った。
それだけで、二人の頬がまた赤くなる。
「それで、真白ちゃんから聞いたんだけど。私が二人に好きって言ったから、どっちが先に渡すか決めようとしたんだよね」
「……はい」
「私、二人ともに言ったの覚えてる」
二人が顔を上げた。
「黒板を消してるところ、いいなって思った。髪を耳にかけた方が似合うっていうのも、本当にそう思った」
「じゃあ」
「でも、付き合ってほしいって意味じゃなかった。私の言い方が分かりにくくて、ごめんね」
言葉はまっすぐだった。
昨日、私から事情を聞いたばかりなのに、もう自分の中で答えをまとめている。
赤い箱の生徒は、箱の角を親指で押した。
「先輩には、特別な人はいないんですか」
「いないよ」
「本当に?」
「うん。好きな人はたくさんいるけど、誰かと付き合ってはいない」
「好きな人がたくさんいる」という部分で、二人の表情が複雑になる。
私は口を挟んだ。
「宮本先輩。その言い方も」
「分かってる。今度は説明するから」
先輩は私へ軽く手を上げ、二人へ向き直った。
「私が言う好きは、その人のいいところを好きだと思った、っていう意味。恋人になりたいって意味で言うときは、ちゃんとそう言う」
「これからも、ですか」
「これからは、勘違いさせないよう気をつける。でも、黒板を消してるところがいいなって思ったことも、髪型が似合ってると思ったことも、嘘にはしたくない」
二人は黙って聞いていた。
やがて紙袋の生徒が、小さく笑う。
「何か、ずるいです」
「ごめん」
「謝るところも、ずるい」
「じゃあ、どうしたらいい?」
「チョコ、受け取ってください」
彼女は紙袋を差し出した。
「告白の返事はいらないです。作ったから、食べてほしいだけ」
「うん。ありがとう」
赤い箱も続いて差し出される。
「私のも」
「ありがとう」
「どっちから先に食べるかは、先輩が決めてください」
「また喧嘩にならない?」
「なりません」
「たぶん」
「たぶんを付けないでください」
前日と同じやり取りに、四人で笑った。
二人が帰ると、莉々香先輩は受け取った箱を自分の紙袋へ入れた。
「これで、よかった?」
「はい。私が口を挟む必要はほとんどありませんでした」
「真白ちゃんに怒られたから、考えたんだよ」
「怒ったわけでは」
「怒ってた」
「注意です」
「真白ちゃんの注意、先生より怖いね」
「それは言いすぎです」
私は机の上を片づけながら、紙袋へ目を向けた。
「何個いただいたんですか」
「分からない。放送部の分と、個人でもらった分が混ざってるから」
「一度確認してください。手紙が入っているかもしれません」
「真白ちゃん、手伝ってくれる?」
「自分でしてください」
「一人だと、誰から何をもらったか分からなくなりそう」
確かに、礼を伝えるなら整理した方がよい。
私は紙袋の中身を机へ出し、差出人の名前があるものと、ないものに分けた。
全部で二十七個。放送部全体宛てが八個。莉々香先輩個人宛てが十九個。そのうち、名前のないものが四個。
「十九人」
莉々香先輩が、他人の数でも聞いたように呟く。
「四十人から好かれている可能性があるという話は、まだ先です。この時点でも十分多いでしょう」
「女子校って、みんなこんなにチョコもらうんじゃないの?」
「私は三個です」
「もらってるんだ」
「友人同士の交換です。梓と、ひよりと、同じ委員会の子」
「私もあげればよかった」
「なぜですか」
「真白ちゃんに」
「先輩が渡せば、また噂になります」
「じゃあ、来年はこっそり」
「そういうことを簡単に言わないでください」
「来年の話だよ」
莉々香先輩は、十九個の包みを一つずつ紙袋へ戻した。
「来年も、真白ちゃんが私のこと怒ってるか分からないけど」
「怒る前提なんですか」
「会わなくなってるかもしれないし」
一年後、先輩は三年生で、私は二年生になる。監視役はとっくに終わっているはずだ。
「問題を起こさなければ、会う必要はありません」
「やっぱり寂しいな」
「いま知り合ったばかりでしょう」
「知り合ったばかりだから、これからなのに」
先輩は紙袋を持ち上げた。
「今日はありがとう、真白ちゃん」
「私は同席しただけです」
「それでも」
扉を開けるとき、紙袋から小さな包みが一つ落ちた。
私が拾うと、先輩は両手が塞がっているからと、口で受け取ろうと顔を近づける。
「置いてから受け取ってください!」
思わず声を上げた。
「びっくりした」
「こちらがです」
「真白ちゃん、顔赤いよ」
「近いからです」
「ごめん。両手が空いてなくて」
先輩は紙袋を床へ置き、私の手から包みを受け取った。
「来年は、真白ちゃんにも一つ」
「覚えていなくて結構です」
「私は覚えてるよ」
その言葉を否定する前に、先輩は紙袋を抱え直して出ていった。
生徒会室へ残った甘い匂いは、窓を開けてもなかなか消えなかった。




