↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/40

第二章 宮本先輩は何も知らない

昼休みになった途端、教室の空気が変わった。

 弁当箱を開く音に混じって、天井近くのスピーカーから短い音楽が流れる。普段なら梓との会話に紛れて意識もしない校内放送だった。

『こんにちは。二月十四日、金曜日。お昼の放送を始めます』

 柔らかく、よく通る声。

 無理に明るく作っていないのに、教室のざわめきが一段下がった。

 梓は箸を止め、背筋を伸ばしている。私と話す気は、もうないらしい。

『今日はバレンタインですね。放送室にも、朝から甘い匂いが届いています。暖房の近くへチョコレートを置いている人は、溶かさないように気をつけてください』

 教室のあちこちで笑いが起きた。

 続いて曲紹介。学校からのお知らせ。最後に、放送部へ届いた短いメッセージが読まれる。

『一年二組の方から、“友達に渡すつもりだったチョコレートを、登校中に自分で食べてしまいました。どうしたらいいですか”』

 少しの間。

『もう一つ買いましょう。自分で食べたくなるくらいおいしそうなものを選べるの、素敵だと思います』

 また笑いが広がる。

 大げさなことは何も言っていない。ただ、失敗を笑わず、少し見方を変えて返した。それだけで、声の向こうにいる誰かの肩が軽くなるような気がした。

「……人気がある理由は、少し分かった」

 私が呟くと、梓は得意げに頷いた。

「でしょう?」

「でも、様付けはしない」

「そこはこれから」

「これからもない」

 放送が終わると、梓はようやく箸を動かし始めた。私は弁当を半分残したまま、席を立つ。

「どこ行くの」

「放送室。会長から、本人へ説明するよう言われてる」

「私も行く」

「来なくていい」

「廊下まで」

「来なくていい」

「遠くから見守るだけ」

「なおさら来ないで」

 教室を出ても、梓は十歩ほど後ろをついてきた。階段を上がり、特別教室棟へ渡る廊下まで来て、ようやく柱の陰に止まる。

「それ、見守っているつもり?」

「私はここから先へは行かないから」

「最初から来ないでほしかった」

 放送室の前には、数人の生徒が残っていた。

 リクエスト用紙を箱へ入れる生徒。放送部員へ感想を伝える生徒。中には、扉の小窓から中を覗いているだけの人もいる。

「用事があるなら、通路を塞がないでください」

 腕章を見せると、彼女たちは素直に道を空けた。そのうちの一人が私の顔を見て、小声で何かを囁く。

 昨日の件で、もう私のことまで知られているのだろうか。

 扉を二度叩く。

「失礼します。生徒会の佐久間です」

 中では三人の放送部員が片づけをしていた。

 中央の机で原稿をそろえていた生徒が顔を上げる。肩を少し越す黒髪。切れ長の目はきつく見えてもおかしくないのに、口元には人懐こい笑みがあった。

 写真で確認するまでもない。

 たぶん、この人が宮本莉々香先輩だ。

「生徒会の子?」

「一年三組、佐久間真白です。宮本莉々香先輩にお話があります」

「私だよ」

 先輩は手元の原稿を隣の部員へ渡し、私の前まで来た。

 近くで見ると、確かに目立つ。背が高いわけでも、派手な髪型をしているわけでもない。それなのに、こちらへ注意を向けられた瞬間、周囲の音が少し遠くなった。

「佐久間真白ちゃん」

「はい」

「真面目そうで、かわいい名前だね」

「さっそくですが、そういう発言を控えてください」

「どの発言?」

「いまの発言です」

 莉々香先輩は目を丸くした。後ろで、ほかの放送部員が笑いを堪えている。

「名前を褒めただけだよ」

「真面目そうでかわいい、まで名前に含まれますか」

「真白ちゃんの印象」

「初対面の後輩へ不用意にかわいいと言わないでください」

「不用意じゃないよ。ちゃんと見て言った」

「そういう問題ではありません」

 会話を始めて一分も経っていないのに、ひどく疲れる。

 私は昨日の報告書を取り出した。

「昨日、宮本先輩へチョコレートを渡す順番をめぐって、一年生二人が廊下で喧嘩をしました」

「私に?」

「宮本先輩にです」

「なんで?」

 演技ではない。本気で分からない顔をしている。

「お二人とも、宮本先輩から好きと言われたと主張しています」

「名前は?」

 伝えると、莉々香先輩は少し考えた。

「ああ。黒板を消してた子と、髪を耳にかけた子」

「覚えているんですね」

「顔を見れば、たぶんもっと分かるよ」

「二人とも、自分への告白だと思っています」

「告白?」

「毎朝きちんと黒板を消すところが好きだと」

「うん。好き」

「髪を耳にかけた方が好きだとも」

「そっちも好き」

「だから、その言い方です」

 莉々香先輩は首を傾ける。

「二人とも好きじゃ、だめなの?」

「少なくとも、本人たちは恋愛感情として受け取っています」

「付き合ってほしいとは言ってないよ」

「言わなくても、そう聞こえる場合があります」

「私が言うと?」

「宮本先輩が言うからです」

 また沈黙。

 やがて先輩は、自分の胸元を指さした。

「私って、そんなに?」

「それを私に聞かないでください」

「真白ちゃんは、私のこと知らなかったんでしょう」

「昨日まで名前も知りませんでした」

「じゃあ、分からないね」

「ですが、現に問題は起きています」

「そうだね」

 軽く流されると思った。ところが莉々香先輩は笑みを消し、報告書へ目を落とした。

「二人、怪我は?」

「ありません。髪と制服が少し乱れた程度です」

「私、謝った方がいい?」

「直接会う前に、担任か生徒会を通してください。二人ともまだ感情的です」

「分かった。真白ちゃんに任せる」

「なぜ私に」

「私より分かってそうだから」

「先輩自身の問題です」

「うん。でも、私には分からなかったから」

 その一言だけは、妙に素直だった。

 責任から逃げようとしているのではない。何が起きたのか分からないから、分かる人に頼ろうとしている。

「分からないで終わらせないでください」

「真白ちゃんが教えてくれる?」

「監視役ですから」

「監視役?」

「本日から一か月、宮本先輩とファンクラブの特別監視を命じられました」

 言葉にすると、改めておかしな役目だった。

 莉々香先輩は驚いたあと、楽しそうに笑う。

「じゃあ、これからよく会えるね」

「問題を起こさなければ会いません」

「それは寂しいな」

「そういうことを言わないでください」

「寂しいと思っただけだよ」

 私は報告書で口元を隠した。

 後ろの部員たちが、今度こそ声を立てて笑ったからであって、ほかに理由はない。


 放送室を出ると、柱の陰にいたはずの梓が、三人に増えていた。

 梓のほかに、小田ひよりと、知らない一年生が並んでいる。三人とも扉へ耳を寄せていたらしく、私と目が合うと姿勢を正した。

「何をしているの」

「見守り」

 梓が答える。

「会話、聞いてたよね」

「途中から」

「最初からいたでしょ」

「真白ちゃんって呼ばれてたね」

「そこはどうでもいいの」

 ひよりは胸の前で手を合わせ、穏やかに微笑んでいる。

「佐久間さん、さすがです。莉々香先輩へあれだけ注意できる人、初めて見ました」

「小田さん、ファンクラブに詳しいんだよね」

「会員です」

「生徒会庶務が二人目」

「会長も入れれば三人じゃない?」

 梓が言った。

「会長?」

「あ」

 ひよりが梓の口を塞いだ。

「いま、何て言った?」

「何も」

「会長がどうしたの」

「真白、午後の授業始まるよ」

「ごまかさないで」

 予鈴が鳴る。

 結局、私は三人を追及できないまま、教室へ戻ることになった。

 ただ一つ、監視すべき相手が想定よりずっと多いらしいことだけは分かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。