第三巻 第一章 次期会長を捕まえました
新学期初日の朝、私は生徒会室へ拉致された。
「人聞きの悪い言い方をしないでください」
長谷川文香会長は、いつもの席から穏やかに言った。
「では、拘束です」
「もっと悪くなりました」
「扉の前を三人で塞いだのは、どなたですか」
振り返る。
副会長、会計、書記の三人が、気まずそうに目を逸らした。
ひよりだけは、私の隣でお茶を淹れている。
「真白ちゃん、温かいうちにどうぞ」
「ひよりも共犯だよ」
「会長候補のお話を聞いていただきたくて」
「聞きました。お断りします」
「まだ説明していません」
「次期生徒会長へ立候補してください、でしょう」
「察しがよくて助かります」
「お断りします」
二度目は、はっきり言った。
会長は動じない。
「理由を伺っても?」
「人前に立つのが得意ではありません。全校生徒の代表になるような性格でもありません。生活指導として現場を回るほうが向いています」
「それだけですか」
「責任が重すぎます」
「はい」
「会長のように、いつでも冷静な判断ができる自信もありません」
「私も、いつでも冷静ではありません」
「宮本先輩が絡む時ですね」
「具体例を挙げなくて結構です」
会長の机の奥に、非公認ファンクラブ会員番号三番の会員証が眠っている。
今では本人以外、ほぼ全員が知っている秘密だ。
「では、私が会長になったとして、宮本先輩と少し話すたびに『尊い』と漏らしてもよいのですか」
「それは私の個人的な性質で、会長職とは関係ありません」
「自覚があったんですね」
「佐久間さん。話を逸らさないでください」
会長は机の上へ一冊のファイルを置いた。
去年の秋から私が対応した案件がまとめられている。
バレンタイン前日の喧嘩。入学式の新入生騒動。無許可の誕生祭。公開放送。新聞部の記事。数えたくないほどのファンクラブ関連案件。
「佐久間さんは、誰か一人を悪者にして終わらせませんでした」
「悪いことをした人は注意しました」
「はい。しかし、理由を聞き、次に同じことを起こさない方法を一緒に考えた」
「生活指導の仕事です」
「それができる人を、私は次の会長に推したいのです」
正面から言われると弱い。
会長は、私が断りにくい言葉を知っている。
「会長。私を困らせていますか」
「少し」
「認めるんですか」
「困らなければ、考えていただけないでしょう」
「ずるいですね」
「生徒会長ですから」
「職権の使い方を間違えています」
ひよりが私の前へ湯呑みを置いた。
「真白ちゃんが会長になったら、私もお手伝いします」
「ひよりは来期も生徒会へ?」
「はい。庶務を続けたいです」
「ファンクラブ会員が生徒会に残るんですね」
「会員であることと、お仕事は分けています」
「会長より立派です」
「佐久間さん」
「事実です」
扉が開いた。
噂をすれば何とやら、宮本先輩が顔を出した。
「真白ちゃん、捕まってるって聞いたけど」
「誰からですか」
「梓ちゃん」
「伝わるのが早すぎます」
「会長になるの?」
「なりません」
即答すると、先輩は明らかに残念そうな顔をした。
「どうして」
「向いていないからです」
「向いてると思うけど」
「先輩まで」
「私、真白ちゃんが会長だったら嬉しい」
「もう一度言います。先輩まで」
「だって、真白ちゃん、人の話をちゃんと聞くでしょう」
「先輩の話は聞き流すことがあります」
「聞いた上で流してるから、同じだよ」
「違います」
先輩は部屋へ入り、私の隣に立った。
「会長って、話すのが上手い人がなるの?」
「それも必要です」
「でも文香、普段は上手いけど、私の話になると変でしょう」
「宮本さん」
会長が咳払いする。
「三月の誕生祭で、会員証を必死に隠してたし」
「宮本さん」
「公開放送の時は、最前列に自分の席を作って」
「宮本さん!」
「事実です」
私が助け船を沈める。
会長は額を押さえた。
「先輩。会長は、会長の適性について話しているんです」
「うん。だから、完璧じゃなくてもできるって話」
会長が顔を上げる。
宮本先輩は私を見ていた。
「真白ちゃんが誰かの前で上手く話せなかったら、私が話すよ」
「先輩は卒業します」
「卒業するまでは」
その言葉に、胸が少し沈む。
「それに、卒業しても応援できる」
「学校の選挙には関われません」
「応援って、選挙だけじゃないでしょう」
「……そうですね」
「立候補してって言ってるわけじゃないよ」
「今の話の流れで?」
「真白ちゃんが決めることだから」
以前なら、「立候補しなよ」と簡単に言ったかもしれない。
この人は、変わった。
私が取り締まったからだけではない。西村さんと出会い、自分の言葉が相手の選択へ影響することを知った。
「でも、向いてるとは思う」
「結局、言うんですね」
「感想だから」
先輩が笑う。
私は湯呑みを持ち上げた。
「考えるだけです」
「立候補を?」
会長が尋ねる。
「はい。今すぐは決めません」
「それで十分です」
「逃げないよう扉を塞ぐ必要はありませんでした」
「念のためです」
「信用がありませんね」
「佐久間さんは、困っている人からは逃げません。しかし、自分のことからは時々逃げます」
「何の話ですか」
会長の視線が、私と宮本先輩の間を往復する。
「一般論です」
「楽しそうな顔で言わないでください」
会長選挙の告示まで、あと二週間。
私はその日から、行く先々で立候補を勧められるようになった。
昼休みには、梓が弁当を持って私の席へ来た。
「会長、やるの?」
「考えてる」
「やったほうがいいよ」
「梓まで」
「真白が会長なら、莉々香様の卒業までの安全は守られる」
「そのために会長になるんじゃない」
「ファンクラブの活動も、理解ある規制を」
「違反は違反」
「会員が生きていける程度の自由を」
「普通に学校生活送って」
梓は卵焼きを一つ食べる。
「でも、真面目に向いてると思う」
「私が人前に立つところ、想像できる?」
「できるよ。真白、怒る時は全員の前でも平気でしょう」
「怒りたいわけじゃない」
「困ってる人がいたら、もっと平気」
会長と同じことを言う。
「応援演説、私がしようか」
「まだ立候補してない」
「したら」
「会長が担当する話になってる」
「古参会員の権力が」
「生徒会長として」
「半分は推しと監視役を公式に応援したいだけでしょう」
「否定できない」
「真白が認めるんだ」
「会長の性格を」
梓は笑い、次の卵焼きを取ろうとした。
私は箸で止める。
「自分のを食べて」
「今日は作ってない」
「購買で買ってきて」
「一つだけ」
「今、一つ食べた」
「じゃあ最後にもう一つ」
「西村さんの唐揚げと交換してた時も、同じこと言ってたよね」
「千尋は一つしかくれなかった」
「普通でしょ」
「そういえば、今日まだ来ないね」
「西村さんが?」
「いつもなら、昼の放送が終わったらここに来るのに」
放送は聞いた。宮本先輩と西村さんの声は、いつもどおりだった。
「放送部の仕事では」
「莉々香様だけ先に三年棟へ戻ったよ」
「よく見てるね」
「敬虔だから」
「その言葉で説明しないで」
気にはなった。
けれど、私から探しに行くほどの理由はない。
そう思っていると、教室の扉が開いた。
西村さんだった。
「遅くなりました」
「誰も待っていません」
「私は待ってたよ」
梓が手を振る。
「唐揚げを?」
「今日はお弁当、作ってない」
「購買のパンあるでしょ」
「千尋の唐揚げは」
「ない」
「役に立たない」
「友達を弁当で評価しないで」
私は西村さんを見る。
いつもと変わらない、穏やかな顔。
ただ、鞄を机の脇へ置く時、薄い紙の端が見えた。
『転校』の二文字。
「西村さん」
「はい」
「その書類は」
西村さんは鞄を閉じた。
「まだ、話せません」
「分かりました」
追及しなかった。
公開放送の日に、私たちは互いの選択を勝手に決めないと約束した。
話したくなった時に、話せばいい。
それでも、胸の奥に嫌な予感が残った。




