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第二巻 第十四章 夏休みの放送室

 終業式の日、放送部は夏休み中の当番表を掲示した。

 大会用音源の編集、校内設備の点検、秋の文化祭へ向けた資料整理。三年生にとっては最後の夏だ。

 宮本先輩の名前は、ほとんどすべての日に入っていた。

「受験生ですよね」

 私は当番表を見上げた。

「勉強もしてるよ」

「いつ」

「夜」

「睡眠は」

「深夜」

「足りません」

「真白ちゃん、お母さんみたい」

 隣にいた西村さんの肩が、わずかに揺れた。

 先輩も気づき、すぐに言い直す。

「ごめん。面倒見がいいって意味」

「私は気にしていません」

「でも」

「本当に」

 西村さんは当番表へ目を向けた。

「佐久間さんは、夏休みも生徒会ですか」

「週に二日ほど。会長が進路関係で不在の日も増えますから」

「真白ちゃん、休み合う?」

 宮本先輩が自分の当番表を指す。

「何を企んでいるんですか」

「一緒にお昼、食べられるかなって」

「学校へ来る日なら」

「じゃあ、合わせよう」

「先輩は元の予定を優先してください」

「真白ちゃんの日、教えて」

「なぜ」

「会いたいから」

 まだ、その言葉には慣れない。

「私も教えていただけますか」

 西村さんが加わる。

「西村さんも?」

「放送部の当番を合わせます」

「二人とも、自分の予定で決めてください」

「真白ちゃん、嫌?」

「嫌ではありません」

「じゃあ、決まり」

「何も決まっていません」

 結局、私の登校日には、ほぼ必ず二人の名前が入った。

 それを見た梓が、空白だった自分の予定まで書き込む。

「私は写真部じゃないのに、何をしに来るの」

「生徒会外から真白を支える」

「いつから、それが部活動になったの」

「自主活動」

「私もお菓子を持ってきます」

 ひよりまで参加する。

「では、夏休み中の差し入れ予算を」

 千夏先輩が手帳を開いた。

「高橋先輩は受験勉強をしてください」

「運営には慰労が必要よ」

「公開放送は終わりました」

「反省会が残っている」

「もう三回しました」

「四回目で総括する」

「会長、止めてください」

 会長は窓際で、宮本先輩と私の予定が並んだ当番表を見ていた。

「よい夏になりそうですね」

「止める気がありませんね」

「青春を止める権限は、生徒会長にもありません」

「部外者の登校は止められます」

「申請すれば問題ありません」

「申請書、もう作りました」

 ひよりが人数分を差し出した。

「仕事が早いですね」

「高橋先輩に教わりました」

「悪い方向へ成長しています」


 夏休み最初の登校日。

 校舎は普段より静かで、開いた窓から蝉の声が入ってきた。

 午前中の仕事を終えた私は、弁当を持って放送室へ向かった。

 扉を開けると、宮本先輩が一人で机へ突っ伏している。

「先輩?」

「起きてる」

「起きている人は机と話しません」

「原稿、聞いてた」

「原稿は何も話していません」

 近づくと、先輩は顔だけ上げた。目の下に薄い影がある。

「寝不足ですね」

「昨日、編集が終わらなくて」

「何時まで」

「一時」

「学校に?」

「家で」

「それから勉強は」

「二時まで」

「馬鹿ですか」

「真白ちゃん、言い方」

「寝てください」

「お昼は?」

「起きてから」

「真白ちゃんと食べたい」

「では十五分寝てください。起こします」

「ここで?」

「保健室へ行きますか」

「移動したら目が覚める」

「なら、ここで」

 先輩は腕へ顔を伏せた。

「真白ちゃん」

「何ですか」

「いる?」

「います」

「起きても?」

「十五分後には」

「そうじゃなくて」

 先輩は目を閉じたまま言う。

「卒業しても、いる?」

 蝉の声が遠くなる。

「学校にはいません」

「うん」

「でも、会おうと思えば会えます」

「思ってくれる?」

「先輩が、卒業した途端に問題を起こさなくなるとは思えませんから」

「監視するの?」

「必要なら」

「よかった」

「よくありません」

 声が少し震えた。

「でも、会います」

 先輩の呼吸が止まる。

「監視役でなくなっても」

「うん」

「先輩が、会いたいと思ってくれるなら」

「思う」

 目を閉じたまま、すぐに答えた。

「絶対、会いたい」

「では、会います」

「約束?」

「はい」

 先輩の口元が緩む。

「真白ちゃん、好き」

「今のは、どちらの意味ですか」

 尋ねてから、心臓が跳ねた。

 先輩が目を開く。

「今、聞くんだ」

「言葉の確認です」

「分からない」

「分からない?」

「前は、友達としてってすぐ言えた。でも今は、聞かれると分からない」

 先輩は私を見上げた。

「真白ちゃんは?」

「私は」

 答えようとした時、扉が開いた。

「失礼します。遅くなり――」

 西村さんが止まる。

 その後ろに、梓、ひより、千夏先輩、会長まで並んでいた。

「なんで全員で」

「廊下で会いました」

 西村さんが答える。

「偶然です」

 梓が言う。

「差し入れです」

 ひよりが包みを掲げる。

「反省会よ」

 千夏先輩がファイルを持ち上げる。

「校内巡回です」

 会長が最後に言った。

「会長。夏休みの巡回は先生が担当です」

「自主的な巡回です」

「全員、出て」

「今、何の話を?」

 会長の目が輝いている。

「何でもありません」

「真白ちゃんが、好きの意味を聞いてた」

「先輩!」

 会長が壁へ手をついた。

「大丈夫ですか」

「立っていられないだけです」

「大丈夫ではありません」

「尊……」

「言わせません」

 私は先に遮った。

 梓は宮本先輩へ駆け寄る。

「莉々香様、寝不足なんですか」

「ちょっとだけ」

「真白、何をしてるの。早く寝かせて」

「今、寝ようとしていたんです」

「みんな静かにしましょう」

 ひよりが唇の前へ指を立てる。

「お菓子は、起きてからですね」

「ひより、保冷剤を冷蔵庫へ。高橋さんはカーテンを半分閉めて。梓、撮影禁止。西村さんは編集の進捗を確認して」

 会長が次々に指示する。

「会長は?」

「私は、ここで見守ります」

「出てください」

「静かにしています」

「存在がうるさいです」

「ひどい」

 宮本先輩が、机に伏せたまま笑っている。

「眠れません。全員、隣の準備室へ」

 私が追い出そうとすると、先輩が袖を掴んだ。

「真白ちゃんは、いて」

 室内が止まる。

 会長が口元を押さえる。

「会長」

「何も言っていません」

「目で言っています」

「目は閉じます」

「出てください」

 五人を準備室へ押し込む。

 扉の向こうから梓の「信仰上、これは許すべき?」という声と、千夏先輩の「本人が望んでいるなら」という真面目な答えが聞こえた。

 西村さんの声だけは聞こえない。

「先輩」

「何?」

「西村さんに悪いとは思わないんですか」

「どうして」

「私だけ残して」

「眠るところを見ててほしい相手は、自分で選んでいいでしょう」

 公開放送で自分が言った言葉を使う。

「ずるいですね」

「西村さんに教わった」

「本人は、そんな使い方をしていません」

「真白ちゃん、嫌?」

「……嫌ではありません」

「じゃあ、おやすみ」

「十五分です」

「はい」

 先輩は今度こそ目を閉じた。

 すぐに寝息が穏やかになる。

 私は隣の椅子へ座り、時計を見た。

 カーテンの隙間から夏の光が細く差す。

 あと何度、こうして同じ部屋で夏を過ごせるのだろう。

 卒業しても会うと約束した。

 それでも、今と同じではない。

 同じでなくていいのかもしれない。

 監視役ではない私と、監視対象ではない先輩が、どんなふうに会うのか。

 それを考えると、怖くて、少し楽しみだった。


 十五分後、先輩を起こす。

 準備室の扉も開けた。

 ひよりが弁当とお菓子を並べ、千夏先輩が公開放送の反省資料を配り、梓が写真を見せる。会長は宮本先輩の隣を狙っていたが、私が資料置き場にした。

 西村さんは窓際へ座った。

「隣、いいですか」

 梓が尋ねる。

「どうぞ」

「さっきは、その」

「何ですか」

「平気?」

「佐久間さんが残ったことですか」

「うん」

「平気ではありません」

 西村さんは正直に言った。

「でも、宮本先輩が選んだことです」

「そう」

「江口さんは、私の隣で平気ですか」

「信仰上の敵だけど、食事は別」

「では、いただきます」

「それ、私の卵焼き」

「おいしそうだったので」

「自分のあるでしょう」

「交換しましょう」

「何と」

「唐揚げ」

「……二つなら」

「一つです」

「交渉が下手」

 二人が真剣に弁当を見比べる。

 宮本先輩が私の隣で囁いた。

「あの二人も、仲いいね」

「そうですね」

「真白ちゃん、嬉しそう」

「友人同士が仲よくするのは、よいことです」

「私と西村さんは?」

「よいことです」

 少しだけ間が空いた。

「前は、そんな顔で言えなかった」

「今も、何も思わないわけじゃない」

「うん」

「でも、それは私の問題です」

「私にも、少し分けてね」

「何を」

「真白ちゃんの問題」

 先輩は弁当のミニトマトを箸で転がした。

「一人で考えて、急に冷たくなられるの、寂しいから」

「努力します」

「約束?」

「努力です」

「じゃあ、半分約束」

「勝手に決めないでください」

「半分だけ」

 先輩が笑う。

 私も、少し笑った。

 向かいから会長の小さな声が聞こえる。

「……尊い」

「会長」

「ミニトマトが」

「食材へ責任を押しつけないでください」

 夏休みの静かな校舎で、放送室だけがやけに賑やかだった。

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