第二巻 第十三章 好きでいる資格
公開放送の翌朝、感想箱は溢れていた。
箱の周りにも手紙が積まれ、入りきらなかった分は紙袋へ入れられている。
「何通ある?」
「三百二十八通です」
ひよりが数えた結果を報告する。
「昨日の観客は百八十人だよね」
「校内放送で聞いた方からも届いています」
「一人で五通書いた人もいるよ」
梓が封筒を持ち上げた。
「筆跡で分かるの?」
「全部、表に『莉々香様へ 一』から『五』って」
「連作ですね」
「ひより、感心しないで」
生徒会室の長机に、放送部員と生徒会役員が集まっていた。内容を確認し、個人へ渡すものと部への感想を分けるためだ。
会長は、宮本先輩宛ての山を前に、ひどく平静な顔をしている。
「会長。右手に持っている封筒は」
「分類中です」
「さっきから同じものを読んでいます」
「文章に問題がないか、慎重に」
「表に『声を失っても、あなたを見つけます』と書いてあります」
「表現が少し強いですね」
「会長が書いたんですか」
「なぜそうなるのです」
「筆跡が似ています」
「偶然です」
会長が封筒を山へ戻す。
耳が赤い。
「感想は一人一通という決まりがなかったので」
「やはり書いたんですね」
「長谷川文香個人としてです」
「匿名の意味がありません」
「心は匿名でした」
「意味が分かりません」
宮本先輩が封筒を拾い、表書きを読む。
「これ、文香が?」
「違います」
「字、文香のだ」
「違います」
「ありがとう」
「……はい」
会長が俯く。
梓が合掌した。
「古参の祈りが報われた」
「江口さん、静かに」
「会長、泣いてます?」
「泣いていません」
「目元が」
「寝不足です」
ここまで来ると、隠れファンという設定に無理がある。
西村さん宛ての手紙も多かった。
『転校してきてくれて、ありがとう』
『昨日の言葉を聞いて、疎遠になった友達へ連絡しました』
『声が好きです。恋愛ではありませんが、これからも放送を聞きたいです』
西村さんは一通ずつ、時間をかけて読んでいた。
「全部、お返事を書くんですか」
「名前のあるものには」
「七十通あります」
「夏休みまでには」
「真面目ですね」
「嬉しいので」
隣で宮本先輩が笑う。
「西村さん、昨日から人気者だね」
「先輩の半分以下です」
「比べなくていいって」
「そうでした」
西村さんも笑った。
その時、ひよりが小さな白い封筒を見つけた。
「真白ちゃん。これ、生徒会宛てです」
差出人の名はない。
中には便箋が一枚。
『放送室に紙を貼ったのは私です。西村先輩が嫌いだったわけではありません。宮本先輩の隣が変わるのが嫌でした。公開放送を聞いて、間違っていたと思いました。ごめんなさい』
室内の空気が変わる。
「これだけ?」
千夏先輩が尋ねる。
「はい」
「名乗っていないのね」
「でも、謝っています」
ひよりが言う。
「謝罪は、本人へ届かなければ意味がないわ」
千夏先輩の声は厳しかった。
「名乗れば、自分が責められる。だから匿名で許してほしいなんて」
「高橋先輩」
「何」
「先輩は、許せませんか」
西村さんが静かに聞く。
「私が決めることではない」
「では、私は、今はこれで十分です」
「でも」
「貼り紙を見た時は、怖かったです。学校へ来たことも、部活へ入ったことも、全部間違いだったと言われた気がしました」
西村さんは便箋を手に取った。
「でも、間違っていたと思ってくれた。それを知れただけで、今日は十分です」
「今後、同じことがあれば」
「その時は、佐久間さんが止めてくださいます」
急に名前を出され、私は背筋を伸ばした。
「もちろんです」
「江口さんも怒ってくださいます」
「怒る。今でも、ちょっと怒ってる」
「高橋先輩も、会員を調べてくださいました」
「当然よ」
「だから、怖くても一人ではありません」
千夏先輩は何も言わず、視線を逸らした。
宮本先輩が便箋を見る。
「私の隣が変わるのが嫌、か」
「心当たりがありますか」
私が聞く。
「あるよ。私も、そう思うことがあるから」
「先輩も?」
「うん。真白ちゃんが西村さんと二人で話してると、ちょっと嫌」
「またその話ですか」
「昨日も二人で、仲よさそうだった」
「ケーブルを片付けてただけです」
「何を話してたの?」
「先輩には関係ありません」
「それ、ずるい」
「個人の会話です」
「西村さん」
「佐久間さんが、宮本先輩を好きかもしれないという話です」
「西村さん!」
室内が静まり返った。
次の瞬間、会長が机へ額をぶつけた。
「会長!?」
ひよりが駆け寄る。
「大丈夫です。少し、情報量が」
「どこか打ちました?」
「情緒を」
「会長、仕事中です」
梓は両手で顔を覆っている。
「真白、本人以外には認めたの?」
「認めてない!」
「好きかもしれない、とはおっしゃいました」
「質問しただけ!」
「私に、『私は先輩が好きなのでしょうか』と」
「一字一句再現しなくていい!」
宮本先輩は、私を見たまま動かない。
「真白ちゃん」
「違います。違わないかもしれませんが、今はまだ」
「好きかもしれないの?」
「全員の前で聞かないで」
「じゃあ、二人ならいい?」
「そういう問題では」
「あとで聞くね」
「聞かないで」
「聞く」
珍しく強い言い方だった。
先輩の顔も赤い。
私だけが追い詰められているのではないと分かり、少しだけ安心する。
「宮本先輩」
西村さんが呼ぶ。
「何?」
「私も、後でお話があります」
「西村さんも?」
「はい」
「今日、話が多いね」
「人気者ですから」
「私、人気者だから話をされるの?」
「いいえ。宮本莉々香という方だからです」
宮本先輩は困ったように笑った。
「その言い方、やっぱり慣れない」
「慣れてください」
「まだ好き?」
「昨日より」
「増えてるんだ」
「はい」
先輩の耳がさらに赤くなる。
胸は痛んだ。
でも、以前のように冷たい言葉は出なかった。
西村さんの好意を消さなくても、私の気持ちはなくならない。
私がどうするかは、私が決めればいい。
「西村さん」
「はい」
「手紙の分類を続けよう」
「そうですね」
「宮本先輩も」
「真白ちゃん、逃げた」
「仕事です」
「また便利な言葉」
「先輩にだけは言われたくありません」
笑い声が上がる。
会長だけは机へ伏せたまま、時々「供給が多い」と意味不明なことを呟いていた。
昼休みの終わり、西村さんは宮本先輩を中庭へ呼び出した。
今度、私はついていかなかった。
梓が「見なくていいの」と聞いたが、首を振った。
「二人の話」
「怖くない?」
「怖い」
「素直だね」
「昨日から疲れた」
「じゃあ、ここにいる」
梓は私の隣へ座った。
生徒会室には二人だけだった。
「応援はしないけど、真白が泣いたら肩は貸すよ」
「泣かない」
「知ってる。真白、意地っ張りだから」
「梓に言われたくない」
「千尋も泣かなそう」
「そうだね」
「あの子が泣いたら、どうしよう」
「肩を貸したら?」
「敵なのに?」
「友達でしょ」
梓は少し考えた。
「そうかも」
「本人へ言ってあげて」
「嫌。調子に乗る」
「西村さんは乗らない」
「じゃあ、余計に嫌」
窓から中庭は見えない。
何を話しているかも分からない。
時計の秒針だけが響く。
十分後、扉が開いた。
西村さんが一人で戻ってきた。
目は赤くない。表情も穏やかだった。
「お話、終わりました」
「何を」
聞きかけて止める。
「聞いても?」
「はい。今すぐ返事はいらないと、お伝えしました」
「告白したの?」
梓が立ち上がる。
「改めて。私は宮本先輩を恋愛として好きです、と」
「返事は」
「今は同じものを返せない、と」
胸がほどける。
その安堵を見せたくなくて、拳を握った。
「断られたの?」
梓の声は、思いのほか優しかった。
「いいえ。先輩にも分からないそうです」
「待つの?」
「答えを急がせるつもりはありません。ただ、卒業まで曖昧にするつもりもないと伝えました」
「強いね」
「怖いですよ」
西村さんが笑う。
「今も、少し逃げたいです」
「……肩、貸そうか」
梓がぼそりと言った。
「泣いていません」
「知ってる。言ってみただけ」
「では、少しだけ」
「え?」
西村さんが梓の肩へ額を預けた。
梓の両手が行き場を失い、宙をさまよう。
「ちょっと、千尋」
「十秒だけ」
「真白、どうしよう」
「貸すって言ったでしょ」
「本当に来ると思わないじゃん」
「静かにして」
十秒後、西村さんは顔を上げた。
「ありがとうございました」
「……どういたしまして」
梓の顔が赤い。
西村さんは何事もなかったように席へ座り、手紙の分類を再開した。
梓はしばらく、自分の肩を見つめていた。
「真白」
「何」
「信仰上の敵って、肩を貸してもいいのかな」
「信仰には詳しくない」
「会長に聞こうかな」
「やめたほうがいいよ」




