第二巻 第六章 公開放送は誰のもの
六月初めの生徒会定例会で、放送部から一件の企画書が提出された。
「昼の校内放送、公開収録企画」
私は表紙を読み上げた。
「はい」
放送部長が緊張した面持ちで頷く。その隣には宮本先輩と西村さんが並んでいた。
企画の内容は単純だ。
七月の一週目に行われる文化部週間に合わせ、普段は放送室から流している昼の番組を講堂で公開収録する。放送部の活動を知ってもらい、新入部員を増やすことが目的だという。
「趣旨に問題はありません」
私が言うと、部長の顔が明るくなった。
「では」
「ただし、出演者欄について確認があります」
私は企画書を持ち上げた。
「司会、宮本莉々香、西村千尋。この組み合わせは誰が決めたんですか」
「私です」
部長が答える。
「宮本は経験が長いですし、西村は転入したばかりですが技術があります。二人なら、初めて見る生徒にも放送部の魅力が伝わるかと」
「妥当ですね」
「真白ちゃん、何が気になるの?」
宮本先輩が首を傾げる。
「何も気になっていません」
「今、すごく気になるって顔だったよ」
「観客の安全管理です。宮本先輩が出演すると、通常以上の人数が集まる可能性があります」
「私だけじゃないでしょう。西村さんの声、もう人気だよ」
「そうなのですか」
西村さんが本気で驚いた。
「一年生が、落ち着く声だって言ってた」
「宮本先輩ほどでは」
「比べなくていいよ。私は西村さんの読み方、好き」
一瞬、会議室の空気が止まる。
宮本先輩は慌てて付け足した。
「放送として、ね」
「分かっています」
「うん」
「私も、宮本先輩の声が好きです。こちらは両方の意味で」
「両方」
「放送としても、恋愛としても」
「説明しなくても分かるよ」
先輩の耳が赤い。
会長が、私の隣で静かに俯いた。
「会長?」
「何でもありません」
「肩が震えています」
「咳を我慢しています」
「口元が笑っています」
「佐久間さん、会議に集中してください」
「こちらの台詞です」
放送部長は事情をどこまで知っているのか、遠い目で天井を見ていた。
「ええと。企画の説明を続けても?」
「お願いします」
公開放送では、生徒から事前に募集した手紙を紹介する。相談や部活動の告知、誰かへ伝えたい感謝などを、司会の二人が読むらしい。
「匿名で受け付けますが、放送前に内容を確認します。個人への誹謗中傷や、過度に私的な内容は除外します」
「恋愛相談は?」
会長が尋ねた。
「扱う予定です」
「宮本さんと西村さんが、恋愛相談を」
会長の声が少し上ずる。
「会長」
「企画上の確認です」
「目が輝いています」
「照明の反射です」
ブラインドは閉まっている。
私は企画書へ目を戻した。
「手紙の選定には、生徒会も立ち会います。講堂の収容人数を超えないよう入場券を配布し、席の占有は禁止。写真撮影と録音も、放送部が認めた時間以外は不可とします」
「真白、写真撮影不可って」
傍聴席にいた梓が声を上げた。
「なんであなたがいるの」
「ひよりの補助」
ひよりは受付で資料を配っている。一人で十分に見えた。
「公式記録係として申請します」
「新聞部か放送部へ入ってください」
「私は何者にも縛られない写真家だから」
「ファンクラブに縛られています」
「信仰は自由だよ」
「撮影は不自由」
梓が頬を膨らませる。
西村さんが彼女を見た。
「江口さんの写真は、綺麗です」
「急に何」
「昨年の展示で使われたものを、高橋先輩に見せていただきました」
「高橋先輩!」
「布教用ではないわ。資料よ」
会議室の後方で、千夏先輩が平然と答えた。
「なんで高橋先輩までいるんですか」
「観客動線に関する助言を求められたの」
「誰から」
「放送部長からです」
部長が目を逸らす。
「昨年、四十人を一度に運営した実績があると聞いて」
「最初に本人の承諾を取らなかった企画の実績を買わないでください」
「でも、動線は完璧だったよ」
宮本先輩が言う。
「先輩が褒めるから、調子に乗るんです」
「高橋さん、すごいと思うけど」
「ほら」
千夏先輩は無表情を保っている。しかし、企画書を持つ手がわずかに震えていた。
「私は、必要な助言をしただけ。入場券は色分けし、開場時間を学年ごとに五分ずらす。列形成は中庭側。講堂前の廊下を塞がないよう」
「もう運営責任者では?」
「違うわ」
「腕章まで作ってあります」
「試作品よ」
机の下から『公開放送運営』と書かれた腕章が出てくる。
準備がよすぎる。
「佐久間さん」
会長が私を見る。
「生活指導と安全管理の責任者として、この企画を担当してください」
「また私ですか」
「宮本さんの周囲で公平な判断ができ、ファンクラブへ強く言え、放送部とも連携できる人が必要です」
「建前は?」
「今のが建前です」
「本音は」
会長は一拍置いた。
「最前列で見たいです」
「正直ですね」
「もちろん、生徒会長として」
「最前列は運営席です」
「では運営を」
「会長には全体統括があります」
「……残念です」
今度ははっきり声に出た。
宮本先輩が私へ笑いかける。
「真白ちゃんが担当なら、安心だね」
「仕事が増える私は安心できません」
「一緒に準備できるよ」
「先輩は出演者です。準備は放送部で」
「じゃあ、原稿の確認で会える」
「会いたいのですか」
つい、聞いてしまった。
宮本先輩は目を丸くし、それから当然のように言った。
「会いたいよ」
胸が跳ねる。
「だって、真白ちゃんに会うと楽しいから」
「……そうですか」
「うん。真白ちゃんは?」
答えを待つ目。
会長が息を潜める気配。梓が身を乗り出す気配。南が扉の隙間でペンを構える気配まで分かる。
「会議中です」
私は企画書で顔を隠した。
「質問へ答えてないよ」
「次の議題へ進みます」
「真白ちゃん」
「進みます」
会長が、耐えきれないように小さく呟いた。
「……尊い」
「会長。議事録に感想を書かないでください」
「書いていません。心の声です」
「声に出ています」
講堂の安全管理より先に、生徒会室の秩序をどうにかする必要がありそうだった。
企画が承認されると、校内には手紙を入れるための箱が設置された。
初日だけで百二十通が集まった。
そのうち四十七通が宮本先輩への質問、二十一通が西村さんへの質問、十五通が二人の関係についてだった。
「放送部の活動を知ってもらう企画では?」
私は選別用の机に手紙を積んだ。
「みんな、放送を聞いてくれてるってことだよ」
宮本先輩は前向きである。
「『宮本先輩は、毎日何人くらい褒めていますか』」
「数えてないなあ」
「『好きと言う時、どのくらい本気ですか』」
「いつも本気だよ」
「そう答えるから問題になるんです」
「嘘は言ってないよ」
「恋愛かどうかを明確にしてください」
「好きなところを好きって言ってるだけなのに」
先輩は困った顔で、手紙を一通持ち上げる。
「『最近、言葉の前に恋愛じゃないって付けるのが寂しいです』だって」
「それは」
「『前みたいに、自然に褒めてくれる先輩が好きでした』」
宮本先輩の声が落ちた。
私は返す言葉を探した。
先輩が言葉に気をつけるようになったのは、私が取り締まったからだ。誤解で傷つく人を減らすために、必要だったと思っている。
けれど、先輩の言葉に救われた人もいる。
何気ない一言を、恋愛と取り違えず、ただ嬉しいと思えた人も。
「宮本先輩」
西村さんが手紙へ手を伸ばした。
「私は、前置きがあってもなくても、先輩の言葉を自分で判断できます」
「西村さんはね」
「全員がそうではありません。でも、全員ができないわけでもありません」
「どうしたらいいと思う?」
「分かりません」
先輩が笑った。
「西村さん、こういう時は答えをくれないんだね」
「私が決めることではないので」
「そっか」
西村さんは私を見る。
私も、答えを求められている気がした。
「言葉をやめる必要はないと思います」
ゆっくり言う。
「ただ、相手の反応を見てください。先輩がどういうつもりだったかだけで、言葉の意味は決まりません。困っていたら説明する。距離を取られたら追わない。これまでどおりです」
「褒めてもいい?」
「場所と状況を考えれば」
「真白ちゃんにも?」
「どうして私で確認するんですか」
「一番、困った顔をするから」
「なら控えてください」
「でも、本当は嫌じゃないでしょう?」
息が止まった。
宮本先輩は、いつもの軽い笑顔ではなかった。
私の答えを、ちゃんと待っている。
「……嫌なら、その場で止めています」
「じゃあ、嬉しい?」
「調子に乗らないでください」
「答えてない」
「先輩、手紙の選別を続けますよ」
先輩は少し笑った。
「はい」
西村さんが手元の紙へ視線を落とす。
その横顔に浮かんだものを、私は見ないふりをした。




