第二巻 第五章 監視という名の尾行
五月の連休明け、宮本先輩と西村さんが二人で出かけるという情報が流れた。
出所は本人たちではない。
放送室の前を通りかかった一年生が、宮本先輩の「じゃあ土曜日、駅前で」という声を聞き、友人へ話し、その友人が梓へ伝え、梓が授業中に私の机へ紙を投げてきた。
『緊急事態。莉々香様、転校生と休日デート』
私は紙の裏へ書いた。
『授業を聞いて』
すぐに戻ってくる。
『真白は平気なの?』
『何が』
『二人きり』
紙を丸めて鞄へ入れた。
平気に決まっている。
宮本先輩が誰と出かけようと、本人の自由だ。校外で、校則に触れない範囲なら、生徒会の仕事ではない。
そう自分へ言い聞かせた日の放課後、私は生徒会室で会長から一枚の書類を渡された。
「週末の校外活動に関する、状況確認をお願いします」
「嫌です」
「まだ内容を説明していません」
「宮本先輩と西村さんの件でしょう」
「察しがいいですね」
「会長の顔に書いてあります」
「どのように?」
「楽しんでいます」
「生徒間トラブルの予防を重視しているだけです」
会長は真顔へ戻した。
「二人が駅前の音響機器店へ行くという話は、ファンクラブにも広まっています。高橋さんが会員へ自制を求めていますが、一部が自主的な見守りを計画しているようです」
「それを尾行と言うんです」
「ですから、生徒会として止めてください」
「ファンクラブを?」
「はい」
「宮本先輩たちを監視するのではなく?」
「結果的に、近くにはいるでしょうね」
会長の目が一瞬だけ輝いた。
「会長が行きたいだけでは」
「私は土曜も学校で仕事です」
「残念そうですね」
「気のせいです」
机の端には、小型の双眼鏡が置かれていた。
「それは何ですか」
「備品です」
「生徒会に双眼鏡はありません」
「野鳥観察用です」
「会長に野鳥観察の趣味が?」
「今、できました」
「没収します」
「佐久間さん」
「何ですか」
「可能であれば、宮本さんが西村さんの前でどのような表情を」
「報告しません」
「生徒会長として必要な範囲で」
「必要ありません」
会長は肩を落とした。
それを見ていたひよりが、慰めるようにお茶を差し出す。
「会長、私が想像で絵を描きましょうか」
「小田さんは優しいですね」
「やめてください。二人とも」
土曜日、私は駅前広場の時計塔の陰にいた。
自分でも、何をしているのだろうと思う。
仕事だ。
宮本先輩たちを尾行しようとするファンクラブ会員を止めるために来た。それ以上の理由はない。
「真白、もう少し詰めて」
「どうして梓までいるの」
「会員を止めるため」
「あなたが一番前のめりでしょう」
「私は公式に真白の補佐」
「任命してない」
時計塔の反対側には、千夏先輩が立っている。帽子に眼鏡、長いコートという、五月には不自然すぎる格好だった。
「高橋先輩も帰ってください」
「会員が問題を起こさないよう、現場責任者として」
「その格好で一番目立っています」
「変装よ」
「不審者です」
少し離れた植え込みが揺れた。
ひよりが顔を出す。
「見つかっちゃいました」
「ひよりまで!」
「会長から差し入れを預かって」
「なぜ植え込みに」
「皆さんが隠れていたので」
「会長は何を持たせたの」
ひよりが紙袋を開く。サンドイッチと水筒、それに小さなメモが入っていた。
『適切な距離を保ち、二人の選択を尊重すること。追伸、何かあれば詳細な報告を』
「追伸が本音です」
私はメモを折った。
待ち合わせ時刻の五分前、宮本先輩が現れた。
白いシャツに薄い青のカーディガン。学校で見るより少し大人っぽい。
梓が小さく息を呑む。
「私服……」
「写真を撮ったらカメラを預かります」
「分かってる。心に保存するだけ」
言いながら両手で四角い枠を作っている。
西村さんは、ちょうど約束の時刻に来た。紺色のワンピースへ明るい上着を合わせている。宮本先輩が彼女を見るなり笑った。
「その服、似合ってるね。いつもより柔らかい感じ」
「ありがとうございます。先輩に褒めていただきたくて選びました」
「えっ」
「半分は冗談です」
「半分なんだ」
「どちらの半分かは、ご想像にお任せします」
宮本先輩が困った顔で笑う。
梓が時計塔を握り締めた。
「あの転校生、莉々香様を翻弄して」
「時計塔を壊さないで」
二人は音響機器店へ入った。
私たちは少し待ってから、店内へ入る。
千夏先輩が入口で買い物籠を取った。
「自然な客を装うわよ」
「何を買うつもりですか」
「必要経費でイヤホンを」
「誰の必要経費ですか」
「私の」
「ただの買い物ですね」
広い店内の奥で、宮本先輩と西村さんはマイクを見比べていた。
デートというより、完全に部活の買い出しだ。
「こっちのほうが指向性が狭いですね」
「でも学校のミキサーに繋げられるかな。端子、確認しないと」
「写真を撮って、部長へ送りましょう」
「そうだね」
二人の会話は真面目だった。
胸の力が抜ける。
「なんだ、買い出しか」
梓も小声で呟いた。
「最初からそう言ってる」
「真白、今ちょっと安心した?」
「会員が騒ぐような内容じゃなくて安心した」
「はいはい」
その時、宮本先輩がこちらを見た。
視線が合う。
私は反射的にスピーカーの陰へ隠れた。
「真白ちゃん?」
遅かった。
「何してるの」
宮本先輩が近づいてくる。
私の背後には梓、千夏先輩、ひよりが縦一列に隠れている。隠れられていない。
「偶然です」
「四人で?」
「偶然、会いました」
「全員、うちの学校の人だよね」
「そうですね」
「高橋さん、その格好、暑くない?」
「暑くありません」
千夏先輩の額から汗が流れている。
西村さんも追いついた。
「自主的な見守り、ですか」
「違います。自主的な見守りを止めに」
「そのために、佐久間さんも見守っていたのですね」
「言葉にするとおかしいけど」
「真白ちゃん、私たちが気になった?」
宮本先輩が覗き込む。
休日の服。いつもと少し違う香り。近い。
「監視対象ですから」
「今日は校外だよ」
「ファンクラブの生徒が問題を起こす可能性が」
「私は真白ちゃんが来てくれて、嬉しいけど」
「……そうですか」
「うん。そのブラウス、似合ってるね。袖のところ、かわいい」
「今、言わなくていいです」
「今日まだ言ってなかったから」
「毎日言う必要はありません」
顔が熱い。
梓が背後で、小さく「いただきました」と呟いた。
「聞こえてる」
「何も言ってないよ」
「言った」
西村さんが私の袖を見た。
「本当に、よくお似合いです」
「西村さんまで」
「これは恋愛の意味ではありません」
「説明しなくていい」
「では、宮本先輩への好意は、今日も恋愛の意味です」
「そっちも報告いらない」
宮本先輩が笑い出した。
「何がおかしいんですか」
「真白ちゃん、西村さんといると、いつもより忙しいね」
「誰のせいですか」
「私?」
「正解です」
結局、私たちは二人の買い出しへ同行した。
音響機器店の次は文具店。その次は喫茶店で、購入候補の資料をまとめる。
尾行者を止めるはずが、六人の集団になってしまった。
喫茶店では、千夏先輩がさりげなく宮本先輩から最も遠い席へ座った。
以前なら一言も話せなかった人だ。今も、近すぎる距離には耐えられないらしい。
「高橋さん、何を飲む?」
「何でも」
「苺のパフェ、おいしそうだよ」
「では、それで」
「甘いもの好き?」
「普通」
「私も好き。写真より、本物のほうが綺麗だよね」
「……何の話?」
「パフェ」
「そう」
千夏先輩は眼鏡の奥で目を泳がせた。
梓が私の耳元へ囁く。
「高橋先輩、今、絶対に自分のことかと思った」
「言わないであげて」
「顔が真っ赤」
「梓も同じでしょ」
「私は御言葉に慣れてるから」
宮本先輩がこちらを見る。
「二人で何の話?」
「何でもありません」
私と梓の声が揃った。
向かいで、西村さんが静かに笑う。
「デートではなくなってしまいましたね」
「ごめんね」
「いいえ。宮本先輩の周りに、どんな方がいるのか知れました」
「変な人ばかりでしょう」
「真白!」
梓が抗議する。
宮本先輩は首を振った。
「みんな、いい子だよ」
「先輩はそう言いますよね」
「本当にそう思ってるから」
「そういうところが、ですか」
西村さんが問いかける。
宮本先輩は目を瞬いた。
「何が?」
「いえ。少し、分かった気がしました」
西村さんは窓の外を見た。
夕方の駅前を、人が行き交っている。
「私は、こういうふうに誰かと寄り道をしたことが、あまりありません」
「前の学校では?」
「いつまでいるか分からないと思うと、深く仲良くなるのが面倒でした」
さらりと言った。
でも、グラスを持つ指には力が入っていた。
「ここでは、したらいいよ」
宮本先輩が言う。
「寄り道。私たち、また買い出しに来るし」
「私たち?」
「放送部のみんな。真白ちゃんたちも、今日みたいについてくるかも」
「ついてきません」
「来ないの?」
「……必要があれば」
「よかった」
どうして、そんなに嬉しそうに笑うのか。
西村さんはその笑顔を見て、それから私を見た。
「やはり、宮本先輩は佐久間さんをよく見ていますね」
「今は西村さんに話してた」
「最後は、あなたに」
「監視役だから」
「そういうことにしておきます」
また言われた。
私は紅茶を飲み、反論を飲み込んだ。
なぜか、今日は少し甘く感じた。




